gooブログへ移転することになりました。
この際、やめてしまう、という魅力的な
選択枝もあったのですが、まあ、なんとか
やってみようか、ということです(^^;
なにかとめんどうくさいのですが、
すこしづつ、出来るところまでやってみます。
よろしくお付き合いください。
3日ぶりに快晴
になりました。
昨日は暴風
並みだったので
行けなかったので
今日、ミカン山に
行ってきました。写真の通り、今が盛り、と実っています。
とても新鮮で、それだけで、“おいしい!”ですよ(^^/
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ところで、新しい女性大臣二人が、辞任しましたね。
法律のしばりは必要でしょうが、ものによりましょう?
うちわを配って、天下の大臣が即刻“首!”って、どう
いうことでしょう?絹で出来た扇子ならわかりますが、
本人の漫画つきの安物を取り上げて『けしからん!』
『じゃあ、首!』という話は、あまりにもお粗末、
情けない、くだらない!
法規の目が粗すぎるからなのか。変に緻密すぎて
動きがしばられすぎているからなのかな?
☆ ☆ ☆ ☆
さっさと首にして、進めようとした矢先に、
今度は、宮沢新経産相が、政活費でSMバーの支払いを
したらしいという? (まあ、よく調べるよね、感心!)
どうなってるの?この国の政治家さんたち。
一日中、
台風の
ようでした。
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25日は、相島へ
渡ってきます。
(^^;船で・・・
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1607年から
1811年にかけて
鎖国の時代にもかかわらず、朝鮮から、『よしみをかよわす』という意味の
『朝鮮通信使』が計12回もやってきたそうですが、そのうち11回は、
相島で福岡藩が接待しているのですね。
300名から500名もの来客を、今の価格で何億円もかけて
藩をあげてもてなしたのだそうです。
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2年ほど前から、
日本と韓国と共同で
『記憶遺産』にしようという
動きがあるそうです。
これは、すばらしいですね。
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国指定史跡『相島積石塚群』も見てきます。
現在254基の積石塚が確認されているのだそうです。
石積みの古墳では、全国的にみても極めてまれな遺跡ということです。
風と波が治まればいいんですけど。
綿津見神にお祈りしましょうかね(^^;
続きで、お寺です。
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【梅岳寺】
立花山登山口
の入口に位置し、
立花道雪の墓が
あります。
道雪は、大友宗麟から立花城を預けられ、毛利、龍造寺、島津
などと戦い続け、大敗したことがなかったそうです。(強かったんだ!)
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元亀2年(1571)、道雪のもとへ25歳の側室が輿入れしてきました。
『色姫』です。
化粧料として、西郷300町(今の福津市、福間あたり)がついてきました。
色姫は、宗像大宮司、氏貞の妹です。(うん、力関係がわかるなあ!)
色姫は立花山城の松尾丸を与えられたので、『松尾殿』と呼ばれて
いたそうです。
(でも、普段は平地の青柳村で暮らしていたらしい)
(8月21日ブログをご覧ください(^^/ )
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すぐ近くに『独鈷寺』(とっこじ)があります。
最澄によって
最初に作られた
天台宗のお寺
と言われています。
独鈷と鏡は最澄が
持ち帰ったもので、
今でも寺宝とされているそうです。(いつか見たいものです)
唐から持ち帰った
法火が、1000年も
絶やさずに竈に
燃え続けていたと
いうお話はこの前
しましたよね?
『千年家』(せんねんや)と言われている横大路家の話です(^^;
こんがらかった話が、時折結びつくって、楽しいでしょ?
新宮町渡船場までの
所要時間は、駅から
30分ちょうど位でした。
近くの神社にお参り
してきました。
【綿津見神社】
底津綿津見神
中津綿津見神
上津綿津見神
絵馬は15面ある
ものの、一番
古くて嘉永7年
(1854年)の『官女図』で、他は明治、大正となっていました。
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【磯崎神社】
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、
少彦名命(すくなひこなのみこと)
スサノオ命
子宝がさずかるという、子持石があります。
絵馬堂がありましたが、閉まってました。
ここには、正徳6年(1716)、享保2年(1717)の絵馬があるので、
一度見たいものです。
『当浦イルカ捕獲図』があり、イルカ漁があったことがうかがえます。
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【新宮神社】(下府)
ここにはオットセイ捕獲図というのがあるらしいです。
明治15年に分祀したとあります。
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【新宮神社】(上府)
工事中でした。
ここには
宝永3年
(1706)の
繋馬図がある
のですが、きっと、新品の拝殿で見ることが出来るように
なることでしょう(^^:
らしいです。
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