「北の大地の水族館」
車中でラジオを聴いていたら、「NPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」
理事長、中村大さんが出演していた。
あまり面白さに、耳をそばだてた。
中村さんは、観光業だけでなく
日本初の
「水族館プロデューサー業界」も手がけている。
特に興味深いのが
「北の大地水族館」(北海道北見市)の激的改革のエピソード。
2010年5月、北海道北見市役所留辺蘂総合支所主幹の若林さんからメールが届いた。
「町にある水族館をリニューアルしたいのですが…」
空港から1時間半の距離。
巨大な道の駅の敷地内にあるその水族館は、ほとんど存在感をしなっていた。
1人も来館者がいない日がありますと若林さん。
飼育員はたった1人、工業高校出たばかりの佐藤君。
彼が「リニューアルはこの人に」と中村さんを指名したのだった。
中村さんは北見市を訪れた。
町の商店街を通ったとき、絶句した。
どこまでも続くシャッター街。
まるで西部劇に出てくるゴーストタウンのようだった。
中村さんは若林さんに言った。
「無理です。やめたほうがいい。
2億5000万円予算なんて、
いくらなんでも安すぎる」
「しかし、もうやる事は決定済みなんです。
水族館のリニューアルを町の活性化につなげたいんです」
と若林さん。
町は寂れている。
その街から半ば見捨てられたような水族館。
しかも、その水族館にスターになるような生き物はいない。
リニューアルをやろうにも予算が少な過ぎる。
まったく素人の若林さんと、たった1人の飼育員・佐藤くんのこれからの日々は思いやられた。
だが、若林さんの最後の言葉が中村さんの心に突き刺さった。
「水族館のリニューアルを町の活性化につなげたいんです」ー。
まちづくりは中村さんのライフワークだった。
受けるべきか断るべきか、中村さんの心は揺れに揺れた。
しかし、もう乗り掛かった船、見捨てる事は出来なかった。
最後は「自分しかいない」という、根拠のない使命感だけが
中村さんを動かした。
お金はない、
スターになる生き物はいない、
街に人がいない、
街に観光の目玉がない、
そして寒い…
まさに弱点だらけの崖っぷちからの出発だった。
必死にもがく中、やっと強みが見つかった。
それは豊富な地下水だった。
そこから安い費用で大水槽の建設と、
「ここで1メートル超のイトウを何十匹も泳がせたら、
壮観で見応えのある水塊になる」
という具体的なイメージが見えてきた。
屋外に穴を掘り、水槽を作った。
スタッフや住民参加の手作りだった。
そこにはこの水族館の1番の弱点である
「貧乏」
を武器にして
マスコミにアピールする
「貧乏水族館奮闘記」
のドラマ作りをしようという中村さんの狙いがあった。
北海道の強烈な冬の寒さで、水槽にも分厚い氷が張った。
すると
「氷の下の魚はどうしているのか。それを見たい」
という
大人の好奇心をくすぐる世界初の「凍る水槽」
ができた。
その珍しい光景見たさに、
毎年いくつかのテレビ局が取材に来た。
「凍った」というニュースが流れるたびに来場者が増えた。
「弱点を克服するには、
お金と時間、大変な努力がいる。
だから逆に、
楽な方法でカバーしたり、武器にすることを考えていく。
極め付きの弱点は、
他では真似できない
個性や魅力、
面白さにつながる」
と中村さん。
1連のドラマ作りとPR作戦が功を奏し、
2012年7月のリニューアルオープン後1年間で、以前の15倍の集客を実現した。
3年目からは旅行業者の団体ツアーも生まれるようになり、
地元経済への波及効果は43億円になった。
ギリギリの状況に自分を追い込み、常識を疑いながら、
「お客さんが本当に求めているもの」
を探り続ける中村さん。
今まで
「弱み」だったものを
一気に
「強み」に変えていく逆転の発想の物語が面白い。
また1人、じっくり直に話を聴いてみたい人が見つかった。
(「みやざき中央新聞」西さん社説より)
弱点は、個性!
これからは、そんな時代。(^_^)
車中でラジオを聴いていたら、「NPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」
理事長、中村大さんが出演していた。
あまり面白さに、耳をそばだてた。
中村さんは、観光業だけでなく
日本初の
「水族館プロデューサー業界」も手がけている。
特に興味深いのが
「北の大地水族館」(北海道北見市)の激的改革のエピソード。
2010年5月、北海道北見市役所留辺蘂総合支所主幹の若林さんからメールが届いた。
「町にある水族館をリニューアルしたいのですが…」
空港から1時間半の距離。
巨大な道の駅の敷地内にあるその水族館は、ほとんど存在感をしなっていた。
1人も来館者がいない日がありますと若林さん。
飼育員はたった1人、工業高校出たばかりの佐藤君。
彼が「リニューアルはこの人に」と中村さんを指名したのだった。
中村さんは北見市を訪れた。
町の商店街を通ったとき、絶句した。
どこまでも続くシャッター街。
まるで西部劇に出てくるゴーストタウンのようだった。
中村さんは若林さんに言った。
「無理です。やめたほうがいい。
2億5000万円予算なんて、
いくらなんでも安すぎる」
「しかし、もうやる事は決定済みなんです。
水族館のリニューアルを町の活性化につなげたいんです」
と若林さん。
町は寂れている。
その街から半ば見捨てられたような水族館。
しかも、その水族館にスターになるような生き物はいない。
リニューアルをやろうにも予算が少な過ぎる。
まったく素人の若林さんと、たった1人の飼育員・佐藤くんのこれからの日々は思いやられた。
だが、若林さんの最後の言葉が中村さんの心に突き刺さった。
「水族館のリニューアルを町の活性化につなげたいんです」ー。
まちづくりは中村さんのライフワークだった。
受けるべきか断るべきか、中村さんの心は揺れに揺れた。
しかし、もう乗り掛かった船、見捨てる事は出来なかった。
最後は「自分しかいない」という、根拠のない使命感だけが
中村さんを動かした。
お金はない、
スターになる生き物はいない、
街に人がいない、
街に観光の目玉がない、
そして寒い…
まさに弱点だらけの崖っぷちからの出発だった。
必死にもがく中、やっと強みが見つかった。
それは豊富な地下水だった。
そこから安い費用で大水槽の建設と、
「ここで1メートル超のイトウを何十匹も泳がせたら、
壮観で見応えのある水塊になる」
という具体的なイメージが見えてきた。
屋外に穴を掘り、水槽を作った。
スタッフや住民参加の手作りだった。
そこにはこの水族館の1番の弱点である
「貧乏」
を武器にして
マスコミにアピールする
「貧乏水族館奮闘記」
のドラマ作りをしようという中村さんの狙いがあった。
北海道の強烈な冬の寒さで、水槽にも分厚い氷が張った。
すると
「氷の下の魚はどうしているのか。それを見たい」
という
大人の好奇心をくすぐる世界初の「凍る水槽」
ができた。
その珍しい光景見たさに、
毎年いくつかのテレビ局が取材に来た。
「凍った」というニュースが流れるたびに来場者が増えた。
「弱点を克服するには、
お金と時間、大変な努力がいる。
だから逆に、
楽な方法でカバーしたり、武器にすることを考えていく。
極め付きの弱点は、
他では真似できない
個性や魅力、
面白さにつながる」
と中村さん。
1連のドラマ作りとPR作戦が功を奏し、
2012年7月のリニューアルオープン後1年間で、以前の15倍の集客を実現した。
3年目からは旅行業者の団体ツアーも生まれるようになり、
地元経済への波及効果は43億円になった。
ギリギリの状況に自分を追い込み、常識を疑いながら、
「お客さんが本当に求めているもの」
を探り続ける中村さん。
今まで
「弱み」だったものを
一気に
「強み」に変えていく逆転の発想の物語が面白い。
また1人、じっくり直に話を聴いてみたい人が見つかった。
(「みやざき中央新聞」西さん社説より)
弱点は、個性!
これからは、そんな時代。(^_^)