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台湾で神様になった日本人

2016-02-25 14:15:56 | お話
「台湾で神様になった日本人」


台湾を深く知ってもらおうと、

一昨年の4月に「日本精神の学び」と「求め合うよりも与え合う」を合言葉として、

日本全国から集まってきた60名の方々と台湾ツアーを敢行しました。

よくある「グルメツアー」ではなく、

日本統治時代の薫りが残る足跡や建物、

日本人が祀られている場所を巡ったり、

台湾の日本語世代の方々のお話を聞いたり、

そんな日本の先人たちの心に触れる「スペシャルツアー」として企画をされました。


「飛虎(ひこ)将軍」と呼ばれて慕われ敬われいる日本人の
「神様」の廟(びょう)にも行きました。

なぜ、この日本人が台湾で「神様」として祀られているのか、

皆さんはご存知ですか?


それは太平洋戦争末期の、1944年10月12日のことです。

日本本土と同じように、台湾にも米軍が大規模な爆撃を開始しました。

台湾南部の台南のことです。

おびただしい数の米軍機が襲来し、それを迎え撃つために日本のゼロ戦が飛び立ちました。

激しい空中戦の中、米軍の戦闘機を数機撃墜した日本の戦闘機がありました。

しかし、その戦闘機もやがって尾翼に被弾しました。

すぐに脱出し、落下傘を使用すれば、その飛行隊員は助かっていたはずです。

しかし、

その隊員は、戦闘機を操縦し、郊外へ向かって飛び続けました。

眼下の町は、藁葺き屋根の家だらけでした。

炎上する機体が落ちれば、
あっという間に火は燃え広がり、

多くの人たちが間違いなく焼け死んでいたことでしょう。

民家のないところまで飛び続けた戦闘機は、

やがて空中で爆発し、

そこでようやく飛行隊員は脱出しました。

しかし、
その落下傘を米軍が攻撃したのです。

落下傘は破れ、隊員は激しく地面に叩きつけられました。

地元の人たちが発見したときには、すでに息絶えていたそうです。

その飛行隊員は、彼の遺品から
茨城県出身の杉浦茂峰(しげみね)少尉と確認されました。

享年21歳でした。


戦闘機が落ちて火の海になっていたら、
きっと焼け死んでいたであろう町の人たちは、

空を見上げながら、杉浦少尉に感謝しました。

自分の命以上に、他国の住民たちの命を優先したその行いは、

台湾の人たちの心を動かしました。

地元の人たちは杉浦少尉に対する最高の謝恩を表すために祠(ほこら)を建て、

永久にその恩徳を継承したいと考えました。

こうして

彼は、軍人であるにもかかわらず「神様」として祀られるようになったのです。


1993年、多くの地域住民の協力で、この祠は敷地50坪のきらびやかな廟に建て替えられました。

正面には「鎮安堂 飛虎将軍」と書かれた額が掲げられています。

「鎮安」は「邪気を鎮め、民を安心させる」という意味で、

「飛虎」は戦闘機、

「将軍」は台湾では神として祀られる勇士の意味です。

廟にかけられた横断幕には、日本語で

「歓迎日本国の皆々様、ようこそ参詣にいらっしゃいました」

と書かれてあり、廟の中には日本国旗が掲げられています。

朝夕2回、火のついたタバコが今は3本ずつ捧げられ、

朝は「君が代」、
午後には「海ゆかば」が流れ、

日本からの参詣者もたくさん訪れています。


冒頭に述べた台湾ツアーに参加した日本人とその廟を参拝したところ、
地元のお祭りの話になりました。

台湾にもお神輿があるのですが、

「日本人の飛虎将軍には日本製のお神輿に乗せてあげたい」

と切望されていることがわかりました。

その思いを感じ取ったツアーの主催者で、クロフネカンパニー代表の中村文昭さんが中心となり、

「お神輿奉納プロジェクト」が始まりました。


中村文昭さんと、

「博多の博多」の歴女として全国で日本の歴史の話をされている
白駒妃登美さん、

そして在台日本人として台湾と日本に関連した著書を多数執筆されている
片倉佳史さん

の3人がリレー講演会を行い、

お神輿奉納のための募金活動を
日本全国各地で行ってくださいました。

おかげで、お神輿制作と日本から運ぶ運賃に十分な寄付金が集まり、

2015年3月10日、中村さんを代表とする日本からの有志グループによって、

総ヒノキで作られたお神輿が奉納されました。

頭頂後には金メッキを施されたゼロ戦の模型がありました。


このプロジェクトがこんなに早く実現するとは、僕は全く予想していませんでした。

ツアーの3分の2くらい人たちは初めて台湾に来た日本人ばかりで、

台湾はどんな国かもよく知らないし、

「台湾には親日家が多い」

程度の情報しか知らない人たちでした。

でも台湾に来て、みんな変わりました。

現地の人たちと交流し、日本人の兵士が地元で神様として祀られていることに、皆さんとても驚いていました。

このプロジェクトが昨年実現できたことが、
僕はとても意義のあることだったと思っています。

終戦70周年の記念の年でしたから。

戦争の事はもう既に忘れられていることも多いですが、
これ以上風化させてはいけないと思います。

どれだけ多くの人たちが、
「行きたくない」と言う思いを抱きながら、
あの戦争に行ったことでしょう。

でも、みんな命を懸けて戦いました。

それは、

後の世の我々のためであり、

気持ちは等しく

「誰かを守るために」

という思いだったはずです。

さらに日本の人々のその思いは、

自国民の範ちゅうにとどまらず、

台湾人に対しても同様の心を示したのです。

そのことに国を越えて台湾の人々が感動し、

飛虎将軍が「神様」として祀られるようになったわけです。


(「みやざき中央新聞」H28.2.15号李久惟(ジョー・リー)さんより)


日本魂の立派な生き方ですね。

私は、他人を思いやる人がたくさんいる日本を誇りに思います。