「湯は外へ」
母は7年前の平成20年に亡くなった。
直腸がんをわずらい、人工肛門をつけていたが、元気に暮らしていた。
ある日、急に腹痛を起こし入院した。
その時、実家を切り盛りしてくれている甥に「もう、あかん」と言ったそうだ。
腸が癒着し、破裂したのだ。
私は、連絡を受け、東京から飛んで帰った。
幸い母はまだ意識があった。
私の手を握ってわずかにまぶたをを動かしたが、
安心したのか、まもなく静かに息をひきとった。
83歳だった。
母の人生は決して平坦ではなかった。
裕福な家で育ったが、母が嫁ぐ頃には没落していた。
舅は政治に財産を注ぎ込み、多額の借金を作った。
父と2人でそれを返済しようと体が曲がるほど働きに働いた。
最大の不幸は、逆縁という運命だ。
3人の子供に恵まれたが、
長女を39歳、長男を49歳の若さで、共にがんでなくしたのだ。
残ったのは私だけだ。
長男には子供がいなかったので、長女が残した2人の男子を
自分の手で育てあげ、今、そのうちの1人が家を継いでいる。
私の記憶では、母はどんな時も泣いたことがない。
本当に強い人だった。
どんなことも「運命」として受け入れた。
それは市井(しせい)の日本人の強さだった。
私は、判断に迷うと、今でも母の言葉を思い出す。
それは幼い頃、母とお風呂に入った時に言われた言葉だ。
昔は風呂が寒かった。
私は、早く温まろうと必死で手を動かし、
湯を自分のほうに取り込もうとした。
それを見て母は、
「湯は外へ、外へとかくもんだ」
と諭した。
自分だけ温まろうと湯を取り込むと、
脇の間から抜けてしまい、かえって温まらない。
反対に、
相手にも温まってもらおうと、湯を外へ外へとかけば、
湯が循環して、結果として自分が温まる。
「人生も同じで、
欲張って、自分だけ得をしようとしたら損をするぞ。
何事も、相手に得をしてもらおうとした方が良いぞ」
と母は言った。
この風呂での教えは、私の生き方に大きく影響している。
私は、母の言葉通り自分の利益を図るよりも、
他人の利益を図ることを原則にしてきた。
銀行員の時も、まず取引先の利益を優先した。
上司から「たまには銀行の利益を考えろ」と叱られたことがある。
しかし私は間違ってなかったと思っている。
金融も商売も人生も、自分だけ利益をえようと考えたら、うまくいくはずがない。
母は、決して学問をした女性ではなかったが、
地に足のついた本物の知恵を持っていた。
そして、これを私に与えてくれた。
ありがとう、母さん。
(「潮・母への感謝」江上剛さんより)
お風呂も地球も同じ。
外へ外へと、、
母は7年前の平成20年に亡くなった。
直腸がんをわずらい、人工肛門をつけていたが、元気に暮らしていた。
ある日、急に腹痛を起こし入院した。
その時、実家を切り盛りしてくれている甥に「もう、あかん」と言ったそうだ。
腸が癒着し、破裂したのだ。
私は、連絡を受け、東京から飛んで帰った。
幸い母はまだ意識があった。
私の手を握ってわずかにまぶたをを動かしたが、
安心したのか、まもなく静かに息をひきとった。
83歳だった。
母の人生は決して平坦ではなかった。
裕福な家で育ったが、母が嫁ぐ頃には没落していた。
舅は政治に財産を注ぎ込み、多額の借金を作った。
父と2人でそれを返済しようと体が曲がるほど働きに働いた。
最大の不幸は、逆縁という運命だ。
3人の子供に恵まれたが、
長女を39歳、長男を49歳の若さで、共にがんでなくしたのだ。
残ったのは私だけだ。
長男には子供がいなかったので、長女が残した2人の男子を
自分の手で育てあげ、今、そのうちの1人が家を継いでいる。
私の記憶では、母はどんな時も泣いたことがない。
本当に強い人だった。
どんなことも「運命」として受け入れた。
それは市井(しせい)の日本人の強さだった。
私は、判断に迷うと、今でも母の言葉を思い出す。
それは幼い頃、母とお風呂に入った時に言われた言葉だ。
昔は風呂が寒かった。
私は、早く温まろうと必死で手を動かし、
湯を自分のほうに取り込もうとした。
それを見て母は、
「湯は外へ、外へとかくもんだ」
と諭した。
自分だけ温まろうと湯を取り込むと、
脇の間から抜けてしまい、かえって温まらない。
反対に、
相手にも温まってもらおうと、湯を外へ外へとかけば、
湯が循環して、結果として自分が温まる。
「人生も同じで、
欲張って、自分だけ得をしようとしたら損をするぞ。
何事も、相手に得をしてもらおうとした方が良いぞ」
と母は言った。
この風呂での教えは、私の生き方に大きく影響している。
私は、母の言葉通り自分の利益を図るよりも、
他人の利益を図ることを原則にしてきた。
銀行員の時も、まず取引先の利益を優先した。
上司から「たまには銀行の利益を考えろ」と叱られたことがある。
しかし私は間違ってなかったと思っている。
金融も商売も人生も、自分だけ利益をえようと考えたら、うまくいくはずがない。
母は、決して学問をした女性ではなかったが、
地に足のついた本物の知恵を持っていた。
そして、これを私に与えてくれた。
ありがとう、母さん。
(「潮・母への感謝」江上剛さんより)
お風呂も地球も同じ。
外へ外へと、、