②シンクロ世界一を目指して②
(ワールドカップでメダルを取ってからの日本の選手たちの様子はいかがでしたか)
彼女たちには夢物語だったメダルが現実になって、
次の2015年の世界選手権でメダルが取りたいって言い始めたんです。
(選手たちの心にスイッチが入ったわけですね)
まだスイッチ何か入ってませんよ。
まぁ、私についていったらメダルまで連れていってくれるかなぁと思ったんでしょう。
だから、
「私についてきたってメダルなんか取れないよ!
私についてきて何をするかなんだよ!」
ていう事は、ものすごく言いました。
それでも私の日本語は、まだまだ通じていなかった。
だから、
なぜ朝は元気そうに振る舞わなければいけないんだとか、
しんどくてもしんどそうな顔をしてはいけないとか、
誰が原因でできないかを追求して直していくことの重要性とか、
辛抱強く説き続けました。
あの子たちが1番好きなのは
「みんなと一緒」。
1番ほっとする言葉が「チームワーク」と「絆」。
1番嫌いなのは「目立つこと」。
そのくせ勝ちたいって、おかしいでしょ(笑)。
そういうふうに我われ大人が育てたのよね。
家庭でも学校でも「皆一緒に頑張りましょう」って。
レベルの高いところでそれを言うならいいんです。
でも、そんな低い所で皆で一緒に頑張ろうって、どうすんのって。
だから私はチームで泳いでいる時も
「あなたがダメ」って言うんですよ。
「犯人はあなた」って。
だって個人の集まりが集団ですから、
個人の欠点をなくしてスキルを上げないと、集団がいいものにならないじゃないですか。
(確かにおっしゃる通りです)
さっきも触れましたけど、彼女たちは自分で自分の心のスイッチを入れられない。
もう日本の若者は大丈夫かいって感じですね。
これは冗談ですけど、
たまに銃弾でも飛んできたら少しはピリッとするんじゃないやろうか(笑)。
豊かで、平和で、周りは皆優しくて、失敗しても
「頑張ったから、いいんじゃないの」
っていう中で生きてきたのが今の日本の若い子ですよ。
それを戦う集団にしようと思ったら、
足を、引っ張ってる人に
「あなたが悪い」って、はっきり言うこと。
それはいじめじゃなくて、いいものをつくるための原因追究です。
できる子にも繰り返し入りました。
「ちゃんとやってくれない子に、どうして腹を立てないの?
いい加減にしてよって言いなさいよ!」って。
「もっと怒りなさいよ、焦りなさいよ、
オリンピックの日は決まっているのよ」
って。
そうしたらあの子ら
「私も失敗するから言えません」
って言うんです。
それでもいなさいって。
言ったからには失敗できない。
そうやって無言で自分にプレッシャーをかけてるんだって。
「チームがバラバラになるのが怖い」
とも言ってきました。
絶対にならないって、
だって最終目標は一緒なんだから。
(リオ五輪直前のグアム合宿の練習は、壮絶を極めたそうですね)
朝は5時40分から自習練習が始まります。
朝食後にストレッチ、ウォーキングアップをして、8時から練習。
昼食を挟んで筋力トレーニング、ウォーミングアップをして、
夜の9時まで練習。
その後ストレッチや練習ビデオのチェックをするから、
全部終わるのは、いつも夜中の12時でした。
(とてつもない練習量ですが、具体的にはどんなメニューを)
演技の練習はもちろんですが、
それ以外にも例えば腹筋だったら多い日は一日2,000回。
それから練習前には、まず100メートルを10本、
さらに200メートルを10本泳ぎます。
設定タイムが切れなかったら何度でもやり直しますから、
いつも大体5,000メートルくらいは泳いでいましたね。
それを終えて、やっとシンクロの練習が始まるんです。
一般の人から見たら異常に映るかもしれませんけど、
メダルを取るならこれくらい当たり前です。
それでは普段から、この子たちの当たり前のレベルを上げるためにずっとやってきているんですから。
だけど皆暗い顔をしとったなぁ。
もう練習メニューを聞いただけで泣く子がいるの(笑)。
涙を流したらエネルギーがいるからやめとけ。
泣いていいのは、親が亡くなった時と、メダルを取った時だけって言うんだけど。
私も心の中では、課題をクリアできない子に対して
「お願いだからクリアしてよ」
って祈るような気持ちですよ。
疲れてくると、ますますクリアしにくくなるでしょ。
でも、そこで「もうええよ」って言ったら、
次も負けてくれるやろうって甘えが出てきます。
だから心を鬼にしてクリアするまでやらせる。
ようやくできたときには、心の中で「あぁ、よかった」と。
もう自分との闘いですよ。
(選手の心が折れてしまうことはないのですか)
だから一人ひとりの体力と心の状態をすごく見てますよ。
この子はもう限界に近いなぁとか。
そこら辺の瀬戸際の心を見て言葉をかけるんです。
(やはり一人ひとりの限界も違うのでしょうね)
もう全然違います。
怒られても自分で心を整理できる子もいれば、自分の中にこもっていく子もいる。
だから一人ひとりよく見極めた上で、
本番でどんな状況になっても大丈夫なところまで追い込んでいかないとダメ。
ですから最後のグアム合宿では、ともかく最悪の条件のもとで練習しようと思ったんです。
そして、風が吹く、雨が降る、練習はきついという中で、
形を崩さずにキチッと演技できるようになってきたのを見て、
あぁ、この子らはもうどんなハプニングがあっても何とかするわというのが見えてきました。
とにかく最後の最後に支えになるのは、本番までにどこまでやったか、それ以外にないですよ。
(本番では、どんな言葉を掛けて選手を送り出されましたか)
デュエットの2人には
「思い切って行ってきなさい。
これまでやってきたことを見せてきなさい」
って送り出しました。
団体のチームには
「私の指導歴の中でも1番ハードな練習をしてきたんだから、あなたたちにできないわけがない」
と。
(心が奮い立つ言葉ですね)
団体のチームにはもう一つ
「丁寧にするな」
とも言いました。
本番で失敗したくないと思うと丁寧にするんです。
ちゃんとしたこところにもっていこうとして探ろうとする。
それはするなと。
10点はいらない。
瞬間に懸けなさいと。
試合の直前というのは、やっぱり失敗したら嫌だから縮こまってしまいがちです。
だから何を言ってやったら吹っ切れるか、
攻めの泳ぎをしてくれるか、
一人ひとりの様子を見ながら考えますね。
その時にどんな言葉が心の中からほとばしるのかは、やはり、その時にならないと分かりません。
(デュエットで銅メダルを獲得した日は、奇しくもご自身のお誕生日と重なりましたね)
オリンピックは9回目でしたけど、決勝の日と誕生日が重なったのは初めてでした。
2人がメダルを持ってきて、
「お誕生日おめでとうございます」って言ってくれた時は本当に嬉しかった。
結局、私はあの子たちの「メダルが欲しい」という思いに引っ張られましたね。
その思いには何とか応えることができた。
表彰式を客席から見ながら思いました。
私はコーチとして、この子たちをとことん追い込んだ。
追い込んだことへの責任の取り方は、メダルを取らせることなんことなんだと。
むちゃくちゃ追い込んだけど、力が足りなかったよねっていうのはダメですよね、やっぱり。
選手たちに
「あれだけやったけど、やっぱり私たちダメだったね」
とは言わせたくない。
表彰式を見ながら、責任を果たせた安堵感がこみ上げてきました。
練習中はあれだけ泣きそうな顔をしていた子らが、
ほんま、綺麗やったわ。
(つづく)
(「致知」2016.12月号より)
(ワールドカップでメダルを取ってからの日本の選手たちの様子はいかがでしたか)
彼女たちには夢物語だったメダルが現実になって、
次の2015年の世界選手権でメダルが取りたいって言い始めたんです。
(選手たちの心にスイッチが入ったわけですね)
まだスイッチ何か入ってませんよ。
まぁ、私についていったらメダルまで連れていってくれるかなぁと思ったんでしょう。
だから、
「私についてきたってメダルなんか取れないよ!
私についてきて何をするかなんだよ!」
ていう事は、ものすごく言いました。
それでも私の日本語は、まだまだ通じていなかった。
だから、
なぜ朝は元気そうに振る舞わなければいけないんだとか、
しんどくてもしんどそうな顔をしてはいけないとか、
誰が原因でできないかを追求して直していくことの重要性とか、
辛抱強く説き続けました。
あの子たちが1番好きなのは
「みんなと一緒」。
1番ほっとする言葉が「チームワーク」と「絆」。
1番嫌いなのは「目立つこと」。
そのくせ勝ちたいって、おかしいでしょ(笑)。
そういうふうに我われ大人が育てたのよね。
家庭でも学校でも「皆一緒に頑張りましょう」って。
レベルの高いところでそれを言うならいいんです。
でも、そんな低い所で皆で一緒に頑張ろうって、どうすんのって。
だから私はチームで泳いでいる時も
「あなたがダメ」って言うんですよ。
「犯人はあなた」って。
だって個人の集まりが集団ですから、
個人の欠点をなくしてスキルを上げないと、集団がいいものにならないじゃないですか。
(確かにおっしゃる通りです)
さっきも触れましたけど、彼女たちは自分で自分の心のスイッチを入れられない。
もう日本の若者は大丈夫かいって感じですね。
これは冗談ですけど、
たまに銃弾でも飛んできたら少しはピリッとするんじゃないやろうか(笑)。
豊かで、平和で、周りは皆優しくて、失敗しても
「頑張ったから、いいんじゃないの」
っていう中で生きてきたのが今の日本の若い子ですよ。
それを戦う集団にしようと思ったら、
足を、引っ張ってる人に
「あなたが悪い」って、はっきり言うこと。
それはいじめじゃなくて、いいものをつくるための原因追究です。
できる子にも繰り返し入りました。
「ちゃんとやってくれない子に、どうして腹を立てないの?
いい加減にしてよって言いなさいよ!」って。
「もっと怒りなさいよ、焦りなさいよ、
オリンピックの日は決まっているのよ」
って。
そうしたらあの子ら
「私も失敗するから言えません」
って言うんです。
それでもいなさいって。
言ったからには失敗できない。
そうやって無言で自分にプレッシャーをかけてるんだって。
「チームがバラバラになるのが怖い」
とも言ってきました。
絶対にならないって、
だって最終目標は一緒なんだから。
(リオ五輪直前のグアム合宿の練習は、壮絶を極めたそうですね)
朝は5時40分から自習練習が始まります。
朝食後にストレッチ、ウォーキングアップをして、8時から練習。
昼食を挟んで筋力トレーニング、ウォーミングアップをして、
夜の9時まで練習。
その後ストレッチや練習ビデオのチェックをするから、
全部終わるのは、いつも夜中の12時でした。
(とてつもない練習量ですが、具体的にはどんなメニューを)
演技の練習はもちろんですが、
それ以外にも例えば腹筋だったら多い日は一日2,000回。
それから練習前には、まず100メートルを10本、
さらに200メートルを10本泳ぎます。
設定タイムが切れなかったら何度でもやり直しますから、
いつも大体5,000メートルくらいは泳いでいましたね。
それを終えて、やっとシンクロの練習が始まるんです。
一般の人から見たら異常に映るかもしれませんけど、
メダルを取るならこれくらい当たり前です。
それでは普段から、この子たちの当たり前のレベルを上げるためにずっとやってきているんですから。
だけど皆暗い顔をしとったなぁ。
もう練習メニューを聞いただけで泣く子がいるの(笑)。
涙を流したらエネルギーがいるからやめとけ。
泣いていいのは、親が亡くなった時と、メダルを取った時だけって言うんだけど。
私も心の中では、課題をクリアできない子に対して
「お願いだからクリアしてよ」
って祈るような気持ちですよ。
疲れてくると、ますますクリアしにくくなるでしょ。
でも、そこで「もうええよ」って言ったら、
次も負けてくれるやろうって甘えが出てきます。
だから心を鬼にしてクリアするまでやらせる。
ようやくできたときには、心の中で「あぁ、よかった」と。
もう自分との闘いですよ。
(選手の心が折れてしまうことはないのですか)
だから一人ひとりの体力と心の状態をすごく見てますよ。
この子はもう限界に近いなぁとか。
そこら辺の瀬戸際の心を見て言葉をかけるんです。
(やはり一人ひとりの限界も違うのでしょうね)
もう全然違います。
怒られても自分で心を整理できる子もいれば、自分の中にこもっていく子もいる。
だから一人ひとりよく見極めた上で、
本番でどんな状況になっても大丈夫なところまで追い込んでいかないとダメ。
ですから最後のグアム合宿では、ともかく最悪の条件のもとで練習しようと思ったんです。
そして、風が吹く、雨が降る、練習はきついという中で、
形を崩さずにキチッと演技できるようになってきたのを見て、
あぁ、この子らはもうどんなハプニングがあっても何とかするわというのが見えてきました。
とにかく最後の最後に支えになるのは、本番までにどこまでやったか、それ以外にないですよ。
(本番では、どんな言葉を掛けて選手を送り出されましたか)
デュエットの2人には
「思い切って行ってきなさい。
これまでやってきたことを見せてきなさい」
って送り出しました。
団体のチームには
「私の指導歴の中でも1番ハードな練習をしてきたんだから、あなたたちにできないわけがない」
と。
(心が奮い立つ言葉ですね)
団体のチームにはもう一つ
「丁寧にするな」
とも言いました。
本番で失敗したくないと思うと丁寧にするんです。
ちゃんとしたこところにもっていこうとして探ろうとする。
それはするなと。
10点はいらない。
瞬間に懸けなさいと。
試合の直前というのは、やっぱり失敗したら嫌だから縮こまってしまいがちです。
だから何を言ってやったら吹っ切れるか、
攻めの泳ぎをしてくれるか、
一人ひとりの様子を見ながら考えますね。
その時にどんな言葉が心の中からほとばしるのかは、やはり、その時にならないと分かりません。
(デュエットで銅メダルを獲得した日は、奇しくもご自身のお誕生日と重なりましたね)
オリンピックは9回目でしたけど、決勝の日と誕生日が重なったのは初めてでした。
2人がメダルを持ってきて、
「お誕生日おめでとうございます」って言ってくれた時は本当に嬉しかった。
結局、私はあの子たちの「メダルが欲しい」という思いに引っ張られましたね。
その思いには何とか応えることができた。
表彰式を客席から見ながら思いました。
私はコーチとして、この子たちをとことん追い込んだ。
追い込んだことへの責任の取り方は、メダルを取らせることなんことなんだと。
むちゃくちゃ追い込んだけど、力が足りなかったよねっていうのはダメですよね、やっぱり。
選手たちに
「あれだけやったけど、やっぱり私たちダメだったね」
とは言わせたくない。
表彰式を見ながら、責任を果たせた安堵感がこみ上げてきました。
練習中はあれだけ泣きそうな顔をしていた子らが、
ほんま、綺麗やったわ。
(つづく)
(「致知」2016.12月号より)