🌸🌸八田與一〈エピローグ・台湾の恩返し〉🌸🌸
八田與一さんや多くの先人の努力による絆を持つ、台湾と日本の関係に、
新たな1ページが加わったのは、1999年のことでした。
その年の9月21日午前1時47分、
台湾中部で大きな地震が発生したのです。
このとき、日本は世界中のどこどの国よりも迅速にレスキュー隊を派遣、
早くも同日夜には、救助活動を開始しました。
「この瓦礫の下に家族がいます。
助けてください」
瓦礫の山を前にして、なすすべなく、泣き叫ぶ人たち。
たとえ生存の可能性がきわめて低いとわかっていても、
日本の隊員たちは、
家族の思いに寄り添い、丁寧に瓦礫を取り除いたそうです。
そして、願いも空しく、瓦礫の下からご遺体が見つかると、
まるで生存者を救出するかのように丁寧に抱き起こし、
全員で整列、目を閉じて頭を垂れ、黙祷を捧げました。
この姿を、多くの台湾の人々がテレビやインターネットで見て、胸を打たれたのです。
台湾は、日本と同じく、
地震や豪雨などの自然災害が多い地域です。
1999年の台湾中部大地震、
2009年の台風による豪雨被害と、
台湾に大きな自然災害が起こるたびに、
日本は多額の義援金を送り、
レスキュー隊を派遣し、仮設住宅を提供するなどして、復興に協力してきました。
それを知る台湾の人々は、
「いつか日本に恩返しがしたい」
と心に誓ってくれていたのだそうです。
その気持ちが、
東日本大震災の天文学的数字にのぼる支援となって表れたのでしょう。
さらに、
台湾の地震で日本のレスキュー隊が示した精神と高度な技術を、
台湾の隊員たちが受け継ぎ、今度は日本の被災地の救助に生かしてくださったのです。
東日本大震災に際しての台湾の支援には、
素敵な後日談があります。
台湾の華視新聞などが台湾で実施したアンケート調査によると、
「あなたにとって2011年の最高に幸福な出来事は?」
という問いかけに対して、
1位に選ばれたのが、この答えだったそうです。
「日本への義援金が世界一になったこと」
台湾の人々の思いやりは、どこまでも深く温ったかいものですね。
平成24年(2012年)3月11日、
東日本大震災の発生から1年。
追悼式典に訪れた台湾の代表を、
日本政府は、
各国と国際機関の代表に用意された一階の座席ではなく、
企業や団体関係者が座るニ階席に案内しました。
おそらく大国・中国に遠慮してのことでしょう。
やむなく台湾の代表は、
「外交団」としてではなく、
一般参加者として献花しました。
セレモニー終了後、日本のメディアから感想求められた
台湾の楊進添(ようしんてん)外交部長(外務大臣に相当)。
彼の口からどんな言葉が出るか、固唾を呑んで見守る報道陣に対して、
楊部長は、怨みがましいことを一切口にせず、こう述べたそうです。
「日本に対する台湾の支援は、
感謝されたいという気持ちでなく、
真の思いやりに基づいた行動です。
台日関係は、
1本の花束などで、
表せるものではありません」
台湾と日本は、それほど深い信頼と尊敬と感謝で結ばれているということを、表現してくださったのでしょう。
台湾のそのような存在こそが、
日本にとって、真の友だちと呼べるのではないでしょうか。
人と人が友情で結ばれるように、町や国や地域の間にも、
固い絆が育まれることを、歴史は証明しています。
そして、
その絆は、名もなき市井の人々の、
思いやり溢れる美しく尊い生き方に支えられているのです。
台湾と日本の間で、
感謝と報恩の歴史を紡いでくれた先人たち。
私たちはそんな歴史を持てたことに
心から感謝し、
先人の恩を、次の代に受け継ぐような生き方をしていきたいですね。
おしまい
(「感動する!日本史」白駒妃登美さんより)
いい話ですね。(≧∇≦)
八田與一さんや多くの先人の努力による絆を持つ、台湾と日本の関係に、
新たな1ページが加わったのは、1999年のことでした。
その年の9月21日午前1時47分、
台湾中部で大きな地震が発生したのです。
このとき、日本は世界中のどこどの国よりも迅速にレスキュー隊を派遣、
早くも同日夜には、救助活動を開始しました。
「この瓦礫の下に家族がいます。
助けてください」
瓦礫の山を前にして、なすすべなく、泣き叫ぶ人たち。
たとえ生存の可能性がきわめて低いとわかっていても、
日本の隊員たちは、
家族の思いに寄り添い、丁寧に瓦礫を取り除いたそうです。
そして、願いも空しく、瓦礫の下からご遺体が見つかると、
まるで生存者を救出するかのように丁寧に抱き起こし、
全員で整列、目を閉じて頭を垂れ、黙祷を捧げました。
この姿を、多くの台湾の人々がテレビやインターネットで見て、胸を打たれたのです。
台湾は、日本と同じく、
地震や豪雨などの自然災害が多い地域です。
1999年の台湾中部大地震、
2009年の台風による豪雨被害と、
台湾に大きな自然災害が起こるたびに、
日本は多額の義援金を送り、
レスキュー隊を派遣し、仮設住宅を提供するなどして、復興に協力してきました。
それを知る台湾の人々は、
「いつか日本に恩返しがしたい」
と心に誓ってくれていたのだそうです。
その気持ちが、
東日本大震災の天文学的数字にのぼる支援となって表れたのでしょう。
さらに、
台湾の地震で日本のレスキュー隊が示した精神と高度な技術を、
台湾の隊員たちが受け継ぎ、今度は日本の被災地の救助に生かしてくださったのです。
東日本大震災に際しての台湾の支援には、
素敵な後日談があります。
台湾の華視新聞などが台湾で実施したアンケート調査によると、
「あなたにとって2011年の最高に幸福な出来事は?」
という問いかけに対して、
1位に選ばれたのが、この答えだったそうです。
「日本への義援金が世界一になったこと」
台湾の人々の思いやりは、どこまでも深く温ったかいものですね。
平成24年(2012年)3月11日、
東日本大震災の発生から1年。
追悼式典に訪れた台湾の代表を、
日本政府は、
各国と国際機関の代表に用意された一階の座席ではなく、
企業や団体関係者が座るニ階席に案内しました。
おそらく大国・中国に遠慮してのことでしょう。
やむなく台湾の代表は、
「外交団」としてではなく、
一般参加者として献花しました。
セレモニー終了後、日本のメディアから感想求められた
台湾の楊進添(ようしんてん)外交部長(外務大臣に相当)。
彼の口からどんな言葉が出るか、固唾を呑んで見守る報道陣に対して、
楊部長は、怨みがましいことを一切口にせず、こう述べたそうです。
「日本に対する台湾の支援は、
感謝されたいという気持ちでなく、
真の思いやりに基づいた行動です。
台日関係は、
1本の花束などで、
表せるものではありません」
台湾と日本は、それほど深い信頼と尊敬と感謝で結ばれているということを、表現してくださったのでしょう。
台湾のそのような存在こそが、
日本にとって、真の友だちと呼べるのではないでしょうか。
人と人が友情で結ばれるように、町や国や地域の間にも、
固い絆が育まれることを、歴史は証明しています。
そして、
その絆は、名もなき市井の人々の、
思いやり溢れる美しく尊い生き方に支えられているのです。
台湾と日本の間で、
感謝と報恩の歴史を紡いでくれた先人たち。
私たちはそんな歴史を持てたことに
心から感謝し、
先人の恩を、次の代に受け継ぐような生き方をしていきたいですね。
おしまい
(「感動する!日本史」白駒妃登美さんより)
いい話ですね。(≧∇≦)
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