💓💓命の重み💓💓
「他人に迷惑をかけてはいけない」
「年をとったら、子供の世話にならない」
こういうと、自立したかっこいい大人に聞こえるかもしれません。
でも、僕はそう思いません。
「迷惑」という言葉のイメージが悪いので、そう思うのかもしれませんが、
人は持ちつ持たれつ、関わり合いながらしか生きられないというのが世の常。
迷惑をかけまいとしすぎて、他者に助けを求めることさえできない、そんな生き方は悲しすぎませんか?
以前、沖縄のある老人ホームに呼ばれて講演をしたことがあります。
介護士の方から「人間力」の話をしてほしいと言われ、
いざ行ったものの、そこにいる人たちは平均85歳くらい。
講演会という現場には慣れていて百戦錬磨の僕も、さすがに何を話せばいいか、固まってしまいました。
そこで、沖縄の年寄りがよく口にする言葉、「ぬちどぅ(命ころ)宝ってどんな意味かわかりますか?」というと、
冒頭から、お年寄り全員がムッとしたんです。
「俺たちゃ80、90の老人だぞ。
いまさら、命こそ宝って言ったって、なんになるんだ?
こんな命、尊いわけないだろ!」
そこから白熱の議論が始まりました。
「いいえ。それではいけない。命は尊いという気持ちを失ってはいけない」
「あんた、そういうけど、こんな長生きしている俺たちを憐れんでるんだろう!」
「長生きが憐れ?、そんなこというなんて絶対にゆるさない」
僕はお年寄り達とケンカを始めました。
すると、お年寄りも負けずに、こう怒鳴りました。
「あんたな、毎日オムツを替えてもらって、
お風呂も自分で入れない、ご飯も食べさせてもらう、
人の世話にならないと生きていけない。
家族に邪魔もの扱いされてよ〜。
家族は一ヶ月に1〜2回会いにくればいいほうで、
こんな肩身の狭い思いで長生きをする苦しみがわかるか!」
僕はいい返しました。
「そんな考え方や態度が、若者に悪い影響与えるんだよ。
世話してください、オムツ替えて下さい、
おしっこしたから変えてくださいと、なんで元気に頼めないのか?
生きていることが見つめてあるか?」
「そんなこといっても、みじめはみじめなんだ!
こんな老人ホームで寂しい思いをして生きていて、幸せどうかもわからんさぁ〜」
あまりにもしつこいで、僕は最後にこういいました。
「年寄りはですね。黙って長生きしなさい。
命にいちゃもんつけるな!、自然の摂理がその心臓、呼吸を止める日まで、
死にたいとか、生きたいとか注文つけずに、
ただ感謝して生きとけばいい。
まずこれがわからないと、人間として道理に反している。
そして、あなた方、年寄りの面倒を見ることをイヤがる人にほど、頼み事をしなさい。
年寄りっていうのは、生きているだけで人が集まってくる。
きょうだいやいとこのつきあいが少なくても、
おじいちゃん、おばあちゃんが生きていると、それだけで親戚同士が顔を合わせる機会が増えるわけさ。
家族が集うチャンスが生まれるわけさ。
だから、介護を受けようとベッドに寝たきりだろうと、
年寄りが生きているだけで若者に貢献できている。
いいか、渡すから自分を厄介ものだと思わずに、
仕事中の息子に電話をして、
『今すぐ死にそうだ、老人ホームにこい』といって呼び出せ。
そして駆けつけてきたら、『コーラ買ってきて♡』といえ。
こんな年寄り厄介だろう。
そうやって振り回してでも、子供や孫達に仕事を増やせ。
そして図々しく生きなさい。
それを教えるのが年寄りの仕事だ!
そうしなければ、ただの金食い虫だよ」
そういうと、歩けずに車椅子で運ばれているおじいちゃん、おばあちゃんたちが、みんなスタンディングオベーションになって、
泣きながら、
「にいさん、上等話、ありがとう。
あんた、明日もきなさい。
あんたがいいたいことはわかった。
だから、長生きするさ」
といってくれました。
帰り際、一人ひとりに、
「あんたは長生きするよね」
と確認して、全員が
「生きしますよ!」
といってくれたんです。
「迷惑をかけるな」という教えを信じると、
「人と関わらない努力」
をするようになってしまいます。
迷惑はかけるもの。
迷惑をかけられたときは、迷惑と思わない心を持つことが、とても大事です。
だって、
僕たちの命の大本は、
すべて同じ神様のエネルギー。
あなたの命は僕の命であり、
僕の命は誰かの命。
全部つながっているんですから。
(「あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法」金城幸政さんより)
「他人に迷惑をかけてはいけない」
「年をとったら、子供の世話にならない」
こういうと、自立したかっこいい大人に聞こえるかもしれません。
でも、僕はそう思いません。
「迷惑」という言葉のイメージが悪いので、そう思うのかもしれませんが、
人は持ちつ持たれつ、関わり合いながらしか生きられないというのが世の常。
迷惑をかけまいとしすぎて、他者に助けを求めることさえできない、そんな生き方は悲しすぎませんか?
以前、沖縄のある老人ホームに呼ばれて講演をしたことがあります。
介護士の方から「人間力」の話をしてほしいと言われ、
いざ行ったものの、そこにいる人たちは平均85歳くらい。
講演会という現場には慣れていて百戦錬磨の僕も、さすがに何を話せばいいか、固まってしまいました。
そこで、沖縄の年寄りがよく口にする言葉、「ぬちどぅ(命ころ)宝ってどんな意味かわかりますか?」というと、
冒頭から、お年寄り全員がムッとしたんです。
「俺たちゃ80、90の老人だぞ。
いまさら、命こそ宝って言ったって、なんになるんだ?
こんな命、尊いわけないだろ!」
そこから白熱の議論が始まりました。
「いいえ。それではいけない。命は尊いという気持ちを失ってはいけない」
「あんた、そういうけど、こんな長生きしている俺たちを憐れんでるんだろう!」
「長生きが憐れ?、そんなこというなんて絶対にゆるさない」
僕はお年寄り達とケンカを始めました。
すると、お年寄りも負けずに、こう怒鳴りました。
「あんたな、毎日オムツを替えてもらって、
お風呂も自分で入れない、ご飯も食べさせてもらう、
人の世話にならないと生きていけない。
家族に邪魔もの扱いされてよ〜。
家族は一ヶ月に1〜2回会いにくればいいほうで、
こんな肩身の狭い思いで長生きをする苦しみがわかるか!」
僕はいい返しました。
「そんな考え方や態度が、若者に悪い影響与えるんだよ。
世話してください、オムツ替えて下さい、
おしっこしたから変えてくださいと、なんで元気に頼めないのか?
生きていることが見つめてあるか?」
「そんなこといっても、みじめはみじめなんだ!
こんな老人ホームで寂しい思いをして生きていて、幸せどうかもわからんさぁ〜」
あまりにもしつこいで、僕は最後にこういいました。
「年寄りはですね。黙って長生きしなさい。
命にいちゃもんつけるな!、自然の摂理がその心臓、呼吸を止める日まで、
死にたいとか、生きたいとか注文つけずに、
ただ感謝して生きとけばいい。
まずこれがわからないと、人間として道理に反している。
そして、あなた方、年寄りの面倒を見ることをイヤがる人にほど、頼み事をしなさい。
年寄りっていうのは、生きているだけで人が集まってくる。
きょうだいやいとこのつきあいが少なくても、
おじいちゃん、おばあちゃんが生きていると、それだけで親戚同士が顔を合わせる機会が増えるわけさ。
家族が集うチャンスが生まれるわけさ。
だから、介護を受けようとベッドに寝たきりだろうと、
年寄りが生きているだけで若者に貢献できている。
いいか、渡すから自分を厄介ものだと思わずに、
仕事中の息子に電話をして、
『今すぐ死にそうだ、老人ホームにこい』といって呼び出せ。
そして駆けつけてきたら、『コーラ買ってきて♡』といえ。
こんな年寄り厄介だろう。
そうやって振り回してでも、子供や孫達に仕事を増やせ。
そして図々しく生きなさい。
それを教えるのが年寄りの仕事だ!
そうしなければ、ただの金食い虫だよ」
そういうと、歩けずに車椅子で運ばれているおじいちゃん、おばあちゃんたちが、みんなスタンディングオベーションになって、
泣きながら、
「にいさん、上等話、ありがとう。
あんた、明日もきなさい。
あんたがいいたいことはわかった。
だから、長生きするさ」
といってくれました。
帰り際、一人ひとりに、
「あんたは長生きするよね」
と確認して、全員が
「生きしますよ!」
といってくれたんです。
「迷惑をかけるな」という教えを信じると、
「人と関わらない努力」
をするようになってしまいます。
迷惑はかけるもの。
迷惑をかけられたときは、迷惑と思わない心を持つことが、とても大事です。
だって、
僕たちの命の大本は、
すべて同じ神様のエネルギー。
あなたの命は僕の命であり、
僕の命は誰かの命。
全部つながっているんですから。
(「あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法」金城幸政さんより)
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