🌸🌸母が最後に残したもの🌸🌸
私はこれまで36冊の本を書きましたが、いろんな人に「死とユーモアは関係あるんですか?」と聞かれました。
私にはそのことを深く悟らせてくれた体験があります。
私が大学院生のとき、友達のお母さんがなくなりました。
11人の子供を育てあげ、大往生でした。
そのお母さんが亡くなる間際のときの話です。
親族が病室に集まり、神父である長男が「母のために祈りましょう」とカトリックのミサをたてました。
ミサが終わると、
それまで意識のなかった母さんが突然目覚めて、
「祈ってくれてありがとう。
ところでウイスキーを飲みたいわ」
と言ったのです。
母さんはまったくウイスキーを飲まない人だったので、
家族は「変になったのではないか」とびっくりしました。
ウイスキーをグラスに注いで持ってくると、少し飲んだお母さんは、
「ぬるいから、少し氷を入れてちょうだい」
と言いました。
慌てて氷を入れると、お母さんは
「おいしいわ」と言って全部飲んでしまいました。
そして今度は「タバコを吸いたい」と言いました。
長男が
「医者がタバコを吸ってはいけないと言ってますよ」
と言うと、
お母さんは
「死ぬのは医者ではなく私です」
と答えました。
タバコを吸い終わると、お母さんはみんなに感謝して、
「天国でまた会いましょう」
と言って横になり、
そのまま息を引きとったのです。
この話は、亡くなる直前の患者にウイスキーやタバコを勧めてくださいという話ではありません(笑)。
11人の子供を育てたお母さんが最後まで悩んでいたのは、
自分の無力さだったと思うのです。
もうもう動けないから何もできない、
「みんなのために何もしてやれない」と。
そんなお母さんができるのはただ1つ、「笑い話」を残すことでした。
私は後日その家族に会いましたが、「あの死に方はいかにもお母さんらしい」と笑っていました。
中年期と「第3の人生」を充実させて過ごし、最後に大切な人に思いやりと愛を残す。
それは人間らしい生き方であると共に、
人間らしい死に方でもあると思っています。
(「みやざき中央新聞」アルフォンス・デーケンさんより)
私はこれまで36冊の本を書きましたが、いろんな人に「死とユーモアは関係あるんですか?」と聞かれました。
私にはそのことを深く悟らせてくれた体験があります。
私が大学院生のとき、友達のお母さんがなくなりました。
11人の子供を育てあげ、大往生でした。
そのお母さんが亡くなる間際のときの話です。
親族が病室に集まり、神父である長男が「母のために祈りましょう」とカトリックのミサをたてました。
ミサが終わると、
それまで意識のなかった母さんが突然目覚めて、
「祈ってくれてありがとう。
ところでウイスキーを飲みたいわ」
と言ったのです。
母さんはまったくウイスキーを飲まない人だったので、
家族は「変になったのではないか」とびっくりしました。
ウイスキーをグラスに注いで持ってくると、少し飲んだお母さんは、
「ぬるいから、少し氷を入れてちょうだい」
と言いました。
慌てて氷を入れると、お母さんは
「おいしいわ」と言って全部飲んでしまいました。
そして今度は「タバコを吸いたい」と言いました。
長男が
「医者がタバコを吸ってはいけないと言ってますよ」
と言うと、
お母さんは
「死ぬのは医者ではなく私です」
と答えました。
タバコを吸い終わると、お母さんはみんなに感謝して、
「天国でまた会いましょう」
と言って横になり、
そのまま息を引きとったのです。
この話は、亡くなる直前の患者にウイスキーやタバコを勧めてくださいという話ではありません(笑)。
11人の子供を育てたお母さんが最後まで悩んでいたのは、
自分の無力さだったと思うのです。
もうもう動けないから何もできない、
「みんなのために何もしてやれない」と。
そんなお母さんができるのはただ1つ、「笑い話」を残すことでした。
私は後日その家族に会いましたが、「あの死に方はいかにもお母さんらしい」と笑っていました。
中年期と「第3の人生」を充実させて過ごし、最後に大切な人に思いやりと愛を残す。
それは人間らしい生き方であると共に、
人間らしい死に方でもあると思っています。
(「みやざき中央新聞」アルフォンス・デーケンさんより)
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