負けない生き方①
桜井、いや、今日は出だしから1本取られちゃったなぁ(笑)。
まさかそこに座っているのが羽生さんだったとはね(笑)。
羽生、はははっ、致知出版社の編集者さんのふりをしていました(笑)。
桜井、そう、僕はてっきり編集者の方だと思い込んで、気づかなかった。ごめんなさいね(笑)。
僕もいろんな将棋の方にお目にかかってきたけど、羽生さんはやっぱり何か違う。
「油断してねぇな、この人」
っていう感じ。
いつも穏やかに笑っているけど、将棋のバックボーンとなる普段の日常生活にも油断がないなって。
今日もやられちゃったけどね(笑)。
そういう人って珍しいですね。
当然将棋で油断はしてないだろうけど、そうじゃないところにも油断がないんだよね。
かといって、ぐっと考えてるとかじゃなくて、飄々(ひょうひょう)としている。
僕なんかバカだからすぐ出ちゃうじゃない、
自分の中にある気迫とかさ。
でも羽生さんの場合、本当に飄々としているから、
たぶん電車に乗っていても、まさかこんなすごい人が乗っているなんて、誰も気づかないんじゃないかな。
羽生、普通にサラリーマンで通用するはずです(笑)。
桜井、紛れ込めちゃうんだ(笑)。
僕はまだ子供の頃、父親が14世名人の木村義雄さんと親しくて家族付き合いをしていたから、将棋というものがあるっていうこただけは知っていました。
でも、まさかそれから何十年もして、現代の名人が会いにきてくださるとはね。
それからとてもフランクにお付き合いさせていただいているけど、
これも何かの繋がりかなと思ってますよ。
羽生、私はたぶん桜井さんのことを、自分は21、22歳の頃から知っていたんですが、
なかなかお目にかかる機会がなくて、
やっと対面を果たすことができたのは20年ぐらい経ってからでした。
桜井、そんなこと言ったら、僕は15、16歳の頃の羽生さんのことも知っていますよ(笑)。
羽生、初めて桜井さんの道場に伺って、いろいろ話を聞かせていただいたあの日は、すごく緊張した記憶があります。
桜井、嘘ばっか(笑)。
最初からこんなふうに打ち解けてたじゃないですか。
とにかく羽生さんは、全く別の世界で生きているのにお話の一つひとつにいちいち意気投合できる。
誰に対しても合わせるのがうまいからね。
僕みたいなのは合わせにくい男だと思うんだけど、それでも合わせてしまう人なんですよ。
羽生、私は対局で一年中全国を飛び回っていて、あれ以来、桜井さんには時々滞在先にお電話をいただくんですが、
お話をしていると、何かもう対局の結果をわかっていらっしゃるように感じるんですよね。
そして、私のあるタイトル戦で負けたときには、
負け方が良かったと言ってくださいました。
こんなこと言ってくださる方は他にいませんから、結構うれしいんです。
桜井、羽生さんは、20代からずっと第一線で活躍し続けておられるじゃないですか。
それは実力だけでも運だけでもできることじゃない。
そこには何かがなければ絶対に成せないことですよ。
今、たまたま若い棋士が連勝を続けて騒がれているけど、
じゃぁその子が今後もずっと輝き続けるかっていうのは、また別の話ですよね。
ましてや今後の時代も変わってきて、将棋がこれまでのような形で指されるかどうかも分らない。
人が指した足跡を追うんじゃなくて、機械が導き出したものを参考にしてやるようになってしまったら、
それは本当の勝負と言えるのかどうか。
最近は、スマホさえあれば仕事でも何でもできるなんてバカなこと言ってるヤツがいるけど、
そうなってしまうと、人との接触がなくなってしまうじゃないですか。
羽生さんは何時間も対局者と接触するわけで、
その中で自分の心身も変化するし、相手の心身も変化する。
単に将棋の指し手だけじゃなくて、
そういうところも勝負の中に入っていると思うんです。
そういう面で、羽生さんの場合は何か他の人よりも余分に持っているものがあるんじゃないですか。
そこが大切なんでしょうね。
羽生、ただ、私の師匠のところに入門したのは小学校6年生の時でしたけれども、
その時は特に志を持って棋士を目指したという感じではなかったんです。
最初は缶蹴りをやってたりラジコンrをやったり、
子供がやる遊びの中の1つで将棋を覚えたんですけど、
それをたまたま熱中して続けるようになったわけで、
1つの巡り合わせですよね。
ですから入門する時も、ただ漠然と、好きな将棋を続けられたらいいなというのが最初でした。
ところが入門すると奨励会っていうプロの養成機関に入るんですけど、
そこには年齢制限というものがあって、
20歳までに初段、25歳までに4段にならないといけないんです。
ですから、それを果たせなかった人がどんどん去っていくんですよ。
さすがにそういう姿を見ていると、
あまり遊び半分でぶらぶらやってはいけないんだなと、小学生なりに思いました。
桜井、羽生さんの周りにはきっと、たくさんの子供たちが必死に将棋をやっていたと思うんですよ。
でも羽生さんの場合は、それを通り越した余裕のようなものを若い時から持っていらっしゃったんじゃないですか。
対局中にピンチに陥って、これはまずいなと思いつつも、どうにかなるんじゃないかという余裕。
そういうものを持ち合わせていないと、こんなに長く活躍できないでしょう。
棋士になってどれくらいになりますか、羽生さんは。
羽生、気がついたらもう32年です(笑)。
桜井、そんなに長い間一線で活躍し続けている人は、羽生さん1人でしょ。
羽生、でも、先日引退された加藤一二三先生は、現役生活63年ですから、
私はやっとその折り返し地点に達したばかりなんです。
あと30年頑張れって言われたら、さすがに気持ちは萎えますよ(笑)。
桜井、羽生さんほどのことをやってると、同じことはもう二度とできないよっていう気持ちに当然なるでしょうね。
その時、その時をちゃんとやっているから、その一つひとつをもう一回やれと言われても難しい。
羽生さんの場合は、周りの期待もすごく高いから、
それにずっと応え続けるというのも大変なことだと思いますよ。
(つづく)
(「致知」10月号 桜井章一さん羽生善治さん対談より)
今日のカルディでの買い物、
混ぜるだけクミンソース、素焼きミックスナッツ、「ビジュー」プラウンロール
桜井、いや、今日は出だしから1本取られちゃったなぁ(笑)。
まさかそこに座っているのが羽生さんだったとはね(笑)。
羽生、はははっ、致知出版社の編集者さんのふりをしていました(笑)。
桜井、そう、僕はてっきり編集者の方だと思い込んで、気づかなかった。ごめんなさいね(笑)。
僕もいろんな将棋の方にお目にかかってきたけど、羽生さんはやっぱり何か違う。
「油断してねぇな、この人」
っていう感じ。
いつも穏やかに笑っているけど、将棋のバックボーンとなる普段の日常生活にも油断がないなって。
今日もやられちゃったけどね(笑)。
そういう人って珍しいですね。
当然将棋で油断はしてないだろうけど、そうじゃないところにも油断がないんだよね。
かといって、ぐっと考えてるとかじゃなくて、飄々(ひょうひょう)としている。
僕なんかバカだからすぐ出ちゃうじゃない、
自分の中にある気迫とかさ。
でも羽生さんの場合、本当に飄々としているから、
たぶん電車に乗っていても、まさかこんなすごい人が乗っているなんて、誰も気づかないんじゃないかな。
羽生、普通にサラリーマンで通用するはずです(笑)。
桜井、紛れ込めちゃうんだ(笑)。
僕はまだ子供の頃、父親が14世名人の木村義雄さんと親しくて家族付き合いをしていたから、将棋というものがあるっていうこただけは知っていました。
でも、まさかそれから何十年もして、現代の名人が会いにきてくださるとはね。
それからとてもフランクにお付き合いさせていただいているけど、
これも何かの繋がりかなと思ってますよ。
羽生、私はたぶん桜井さんのことを、自分は21、22歳の頃から知っていたんですが、
なかなかお目にかかる機会がなくて、
やっと対面を果たすことができたのは20年ぐらい経ってからでした。
桜井、そんなこと言ったら、僕は15、16歳の頃の羽生さんのことも知っていますよ(笑)。
羽生、初めて桜井さんの道場に伺って、いろいろ話を聞かせていただいたあの日は、すごく緊張した記憶があります。
桜井、嘘ばっか(笑)。
最初からこんなふうに打ち解けてたじゃないですか。
とにかく羽生さんは、全く別の世界で生きているのにお話の一つひとつにいちいち意気投合できる。
誰に対しても合わせるのがうまいからね。
僕みたいなのは合わせにくい男だと思うんだけど、それでも合わせてしまう人なんですよ。
羽生、私は対局で一年中全国を飛び回っていて、あれ以来、桜井さんには時々滞在先にお電話をいただくんですが、
お話をしていると、何かもう対局の結果をわかっていらっしゃるように感じるんですよね。
そして、私のあるタイトル戦で負けたときには、
負け方が良かったと言ってくださいました。
こんなこと言ってくださる方は他にいませんから、結構うれしいんです。
桜井、羽生さんは、20代からずっと第一線で活躍し続けておられるじゃないですか。
それは実力だけでも運だけでもできることじゃない。
そこには何かがなければ絶対に成せないことですよ。
今、たまたま若い棋士が連勝を続けて騒がれているけど、
じゃぁその子が今後もずっと輝き続けるかっていうのは、また別の話ですよね。
ましてや今後の時代も変わってきて、将棋がこれまでのような形で指されるかどうかも分らない。
人が指した足跡を追うんじゃなくて、機械が導き出したものを参考にしてやるようになってしまったら、
それは本当の勝負と言えるのかどうか。
最近は、スマホさえあれば仕事でも何でもできるなんてバカなこと言ってるヤツがいるけど、
そうなってしまうと、人との接触がなくなってしまうじゃないですか。
羽生さんは何時間も対局者と接触するわけで、
その中で自分の心身も変化するし、相手の心身も変化する。
単に将棋の指し手だけじゃなくて、
そういうところも勝負の中に入っていると思うんです。
そういう面で、羽生さんの場合は何か他の人よりも余分に持っているものがあるんじゃないですか。
そこが大切なんでしょうね。
羽生、ただ、私の師匠のところに入門したのは小学校6年生の時でしたけれども、
その時は特に志を持って棋士を目指したという感じではなかったんです。
最初は缶蹴りをやってたりラジコンrをやったり、
子供がやる遊びの中の1つで将棋を覚えたんですけど、
それをたまたま熱中して続けるようになったわけで、
1つの巡り合わせですよね。
ですから入門する時も、ただ漠然と、好きな将棋を続けられたらいいなというのが最初でした。
ところが入門すると奨励会っていうプロの養成機関に入るんですけど、
そこには年齢制限というものがあって、
20歳までに初段、25歳までに4段にならないといけないんです。
ですから、それを果たせなかった人がどんどん去っていくんですよ。
さすがにそういう姿を見ていると、
あまり遊び半分でぶらぶらやってはいけないんだなと、小学生なりに思いました。
桜井、羽生さんの周りにはきっと、たくさんの子供たちが必死に将棋をやっていたと思うんですよ。
でも羽生さんの場合は、それを通り越した余裕のようなものを若い時から持っていらっしゃったんじゃないですか。
対局中にピンチに陥って、これはまずいなと思いつつも、どうにかなるんじゃないかという余裕。
そういうものを持ち合わせていないと、こんなに長く活躍できないでしょう。
棋士になってどれくらいになりますか、羽生さんは。
羽生、気がついたらもう32年です(笑)。
桜井、そんなに長い間一線で活躍し続けている人は、羽生さん1人でしょ。
羽生、でも、先日引退された加藤一二三先生は、現役生活63年ですから、
私はやっとその折り返し地点に達したばかりなんです。
あと30年頑張れって言われたら、さすがに気持ちは萎えますよ(笑)。
桜井、羽生さんほどのことをやってると、同じことはもう二度とできないよっていう気持ちに当然なるでしょうね。
その時、その時をちゃんとやっているから、その一つひとつをもう一回やれと言われても難しい。
羽生さんの場合は、周りの期待もすごく高いから、
それにずっと応え続けるというのも大変なことだと思いますよ。
(つづく)
(「致知」10月号 桜井章一さん羽生善治さん対談より)
今日のカルディでの買い物、
混ぜるだけクミンソース、素焼きミックスナッツ、「ビジュー」プラウンロール
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