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乞食の道

2017-01-09 20:18:08 | お話
乞食の道


以前に聞いた話だが、

ある人が江州(近江国)へ行ったところ、

そこにの村が一村あった。

そこで、橋の渡り初めを祝う儀式が行われていたので、

立ち止まって見ていると、の頭(かしら)とおぼしきものが円陣の中に座っていた。

そこへ祝儀を持った村の連中がやってきた。

その中の1人で痩せて顔色が悪い男が、ナスを3つ手にして頭の前へ進み出た。

頭は、その男を見て

「お前は、近頃、病気を患っていると聞いていたが、

どうして、無理を押してナスを持ってきたのか」

と尋ねた。

すると男は

「そうなんです。私が長いこと闘病していると、

小頭がやってきて、

『この度、橋の渡り初めをやるから、お頭殿にご祝儀を差し上げてもらいたい』

と申し渡されたので、

夜中に人の畑へ忍び込んで盗んできたんです」

と答えた。

お頭は怒り、

「乞食をするのは泥棒をしないためだ。

盗みを働くなら誰も乞食などしない。

お前が村に住む事は許さん」

といって、小頭を招き寄せて、

「この男の病気が治り次第、村から追い出せ」

と命じたそうだ。

このように、たとえ飢え死にしようとも、盗みだけはしないという信念が乞食としての道なのである。

『論語』に、子路が憤って、

「君子でも窮することがあるのでしょうか」

(君子もまた窮すること有るか)

と質問すると、

孔子は、

「君子とて困窮することは当然ある。たが、小人は、そうなると取り乱すのだ」

(君子もとより窮す。小人窮すればここに濫す)

と答えている。


どんなに困窮しても、正しい生き方をしたなら君主である。

困窮して欲望に突き動かされ、

人の道に反することをするのは小人である。

小人となって乞食にも劣る行為に走るのは、

人として情けないことではないか。


(石田梅岩「都鄙問答」より)

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