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般若心経の解説15、"無受想行識"

2016-04-23 13:56:18 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀15


🌸🌸「無受想行識(むじゅそうぎょうしき)」🌸🌸


「受・想・行・識も無く」

先に「空中無色」(空の中には色も無く)について学びましたが、

この五文字も同様に

「空の中には、受想行識も無く」

と理解してください。😄

「受想行識」につきましては、前ページ(解説7)の「人間の心の4つの働き」というところで、

それぞれを説明しましたので、

おさらいをしてください。😄☀️


「色」と、これらの4文字は、あわせますと「五蘊(ごうん)」と総称🌸されるされますので、

ここでは、次の五文字を想定🍀することができます。

空中無五蘊(空の中には五蘊もなく)

この五文字は、あくまでも皆さまの理解を助けるために、かりに作られたものです。

「空☁️」の究極の立場に立てば、

つまり「空」という大真実🌸の高い立場🗻に立てば、

「五蘊」として、分けて説く必要はないのではないか、

というほどの意味にとってよいかと思います。😄

「照見五蘊皆空」(解説1)で説明しました「五蘊皆空」と、

けっきょくは、同じことを述べていると考えられます。😄

さて、以下「般若心経」では、

この「五蘊」をはじめとする仏教の重要な術後に対して

否定的ないい方がなされます。😵

なぜあえて「無⚡️」という字が冠せられるのでしょうか?

ここで、歴史的📖な背景からその理由を考えてみましょう。

「般若心経」などの大乗経典📚が生まれる前は、

伝統的・保守的仏教(とくに説一切有部(せついっさいうぶ)という学派)が盛んでした。

かれらは、私たちの存在を含めた
この世のすべて(一切法)を

微に入り細にわたって分析🔎📑✒️することが、
仏教🌸を学ぶことにほかならないと誇っていました。

これに対して、「般若心経」などを奉ずる人たちは、

従来の仏教🌸は、存在の分析にのみとらわれ、

真実のさとりとは何か、救いとは何か、ということを忘れているのではないか、

と言う猛省をこめて、
「五蘊」などの伝統的な仏教の術語📖に対して「無」という字を冠したのでした。☀️☀️

高い、空の究極の立場🗻からすれば、

何もこと細かい教義をたてる必要はないではないか、

というわけです。😄

伝統的な学匠たちは、これに驚いき😵、そして無視☁️☁️したのでした。


(「あなただけの般若心経」より)

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