体に語りかける⑥
「人のために尽くしなさい」
「人が喜ぶような生き方をしなさい」。
私たちは子どもころからそういわれてきました。
しかし、自分で自分の価値を認められない、他者評価に生きている人が、人のために尽くそうとすると、体をこわしてしまうこともあります。
会社を経営している40代の女性は、腰痛と左の臀部(お尻)に痛みを感じて来院しました。
きついスケジュールのなか、仕事で海外に行き、重い荷物を運んでいたら症状があらわれたといいます。
「経営について何か大変に思ってることはないですか?」
とたずねると、
300人のスタッフを抱えて、やらなければならないことが山積みで困っているといいます。
本当はこじんまりとした個人経営で満足だったけれど、
自分の意図に反して経営が軌道に乗り、会社が大きくなっていったそうです。
「会社が大きくなればスタッフも増えます。
会社の重要なことも、ある程度スタッフに任せればいいとわかっていても、任せられるスタッフもいなくて。
毎日遅くまで働いて、もうヘトヘト。
スタッフが増えれば、スタッフの家族も養わなきゃいけないし、私ががんばらないとダメなんです」
つらそうに訴える彼女に、私は次のようなこといいました。
何か成功を収めると、周囲の期待はさらに高まります。
それは、本人の肩にのしかかり、心の中には、失敗に対する恐れも芽生えます。
そこに、任せられない、自分がやればいいなどと、「抱え込む」役割を背負ってしまうと、
それ以外のものも、どんどん抱え込むことになります。
誰にも頼らず自分でなんとかしなければならない。
自分が完璧なら仕事がうまくいくはず。
そんな価値観が、彼女の腰痛を引き起こしているように私は思えました。
自分の世界を隅々までコントロールしているような感覚では、
自分も苦しいだろうし、この先ますます苦しくなるのではないですか、と。
「先生、まさにそのとおりです」
彼女はとても納得していましたが、その後、なかなか彼女の症状はよくなりません。
それは彼女自身が理解していました。
「本当にそのとおりだと思うのですが、なかなかそんな自分を心から受け入れられないのです」
頭で理解することと、心で感じて受け入れることはまったく別のことなのです。
そもそも、なぜ意図に反して会社を大きくしたのかとたず尋ねると、
がんばってくれているスタッフのためにも、会社を成長させたい、
スタッフの生活を安定させて喜んでもらいたいと思ったからといいます。
彼女自身は、 "人に喜んでもらいたい" という他者貢献が動機と思っているのですが、
実は、 "まわりによく思われたい" という考えが軸になっている場合もあります。
本当の自分の気持ちに気づいて、それを大切に扱ってあげていれば、
"会社を大きくするという選択を断る"
ことだってできたできたはずです。
しかし、その選択をしなかったということは、実は、心のどこかで
「これだけやってあげているんだから、ちゃんと働いてくれるよね」
「あなたたちのために尽くしている私にもっと感謝して」
などといった見返りを期待していることもあるのです。
「人のために尽くすことはよいこと」ですが、無償の愛ではないことがほとんどです。
たとえばボランティア活動を積極的にされる方は無償の愛が動機と思っていますが、
心の奥底では
「自分は世の中で役に立っている存在だ」
「お金に関係なく施しをしている自分は美しい」
といった他者評価を求めていることも多いのです。
そのような人は、
「どうせ、みんないい人だと思われたいんでしょ」
などと自分のしていることを批判されると、
隠していた本心を見透かされたようで、怒りが湧き出てしまうんです。
本当に心から人を助けたい、誰にどう思われようとそれがしたい、
と思っている人は、まわりからなんといわれようと
「はい、そうですか」
くらいにしか思いません。
「助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助けつづくけなさい」
と、マザー・テレサはいいましたが、
他者評価ではなく、自分で自分を認めてあげることが、健やかさにつながります。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
「人のために尽くしなさい」
「人が喜ぶような生き方をしなさい」。
私たちは子どもころからそういわれてきました。
しかし、自分で自分の価値を認められない、他者評価に生きている人が、人のために尽くそうとすると、体をこわしてしまうこともあります。
会社を経営している40代の女性は、腰痛と左の臀部(お尻)に痛みを感じて来院しました。
きついスケジュールのなか、仕事で海外に行き、重い荷物を運んでいたら症状があらわれたといいます。
「経営について何か大変に思ってることはないですか?」
とたずねると、
300人のスタッフを抱えて、やらなければならないことが山積みで困っているといいます。
本当はこじんまりとした個人経営で満足だったけれど、
自分の意図に反して経営が軌道に乗り、会社が大きくなっていったそうです。
「会社が大きくなればスタッフも増えます。
会社の重要なことも、ある程度スタッフに任せればいいとわかっていても、任せられるスタッフもいなくて。
毎日遅くまで働いて、もうヘトヘト。
スタッフが増えれば、スタッフの家族も養わなきゃいけないし、私ががんばらないとダメなんです」
つらそうに訴える彼女に、私は次のようなこといいました。
何か成功を収めると、周囲の期待はさらに高まります。
それは、本人の肩にのしかかり、心の中には、失敗に対する恐れも芽生えます。
そこに、任せられない、自分がやればいいなどと、「抱え込む」役割を背負ってしまうと、
それ以外のものも、どんどん抱え込むことになります。
誰にも頼らず自分でなんとかしなければならない。
自分が完璧なら仕事がうまくいくはず。
そんな価値観が、彼女の腰痛を引き起こしているように私は思えました。
自分の世界を隅々までコントロールしているような感覚では、
自分も苦しいだろうし、この先ますます苦しくなるのではないですか、と。
「先生、まさにそのとおりです」
彼女はとても納得していましたが、その後、なかなか彼女の症状はよくなりません。
それは彼女自身が理解していました。
「本当にそのとおりだと思うのですが、なかなかそんな自分を心から受け入れられないのです」
頭で理解することと、心で感じて受け入れることはまったく別のことなのです。
そもそも、なぜ意図に反して会社を大きくしたのかとたず尋ねると、
がんばってくれているスタッフのためにも、会社を成長させたい、
スタッフの生活を安定させて喜んでもらいたいと思ったからといいます。
彼女自身は、 "人に喜んでもらいたい" という他者貢献が動機と思っているのですが、
実は、 "まわりによく思われたい" という考えが軸になっている場合もあります。
本当の自分の気持ちに気づいて、それを大切に扱ってあげていれば、
"会社を大きくするという選択を断る"
ことだってできたできたはずです。
しかし、その選択をしなかったということは、実は、心のどこかで
「これだけやってあげているんだから、ちゃんと働いてくれるよね」
「あなたたちのために尽くしている私にもっと感謝して」
などといった見返りを期待していることもあるのです。
「人のために尽くすことはよいこと」ですが、無償の愛ではないことがほとんどです。
たとえばボランティア活動を積極的にされる方は無償の愛が動機と思っていますが、
心の奥底では
「自分は世の中で役に立っている存在だ」
「お金に関係なく施しをしている自分は美しい」
といった他者評価を求めていることも多いのです。
そのような人は、
「どうせ、みんないい人だと思われたいんでしょ」
などと自分のしていることを批判されると、
隠していた本心を見透かされたようで、怒りが湧き出てしまうんです。
本当に心から人を助けたい、誰にどう思われようとそれがしたい、
と思っている人は、まわりからなんといわれようと
「はい、そうですか」
くらいにしか思いません。
「助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助けつづくけなさい」
と、マザー・テレサはいいましたが、
他者評価ではなく、自分で自分を認めてあげることが、健やかさにつながります。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
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