🍀🍀健太くん🍀🍀
「ラジオ日本」という放送局で10分ぐらいの番組を長年やっております(当時)。
この番組宛にリスナーさんからお手紙が届きます。
その手紙を私が読み、隣に座っている大学の先生がコメントをするコーナーがあるんです。
ある時、「鈴木健太くん」という男の子のお母さんからこんな手紙をもらいました。
健太くんには、1つ違いの脳性麻痺のお兄ちゃんがいるんです。
ですから次に生まれた子供には、「ただ健康であってもらいたい」という願いを込めて「健太」と名づけました。
その手紙にはこう書かれていました。
「健太はいつも『お兄ちゃんはバカだから』と言いながらお兄ちゃんをいじめます。
健太を厳しく怒ったほうがいいでしょうか」
と。
それに対し、先生はこう言いました。
「健太くんを怒らないでください。
怒れば健太くんはお兄ちゃんをいじめなくなるでしょう。
でもそれはお母さんがいる間だけです。
お母さんがいなくなれば、またお兄ちゃんをいじめます。
だから怒らずにうまく言い聞かせてあげて下さい」。
後日、お母さんからまた手紙が届きました。
健太くんの4歳のお誕生日の時、お友達を4人呼んで家でパーティーをしたそうです。
お母さんはみんなにケーキを配りました。
ちょうどそこにお兄ちゃんがやってきて、「怪獣だぞ」と言いながら、ケーキを全部踏んづけてしまったのです。
健太くんのお友達はびっくりです。
「何すんだよ。やめろ」と言いながら、4人でお兄ちゃんを叩き始めました。
すると健太くんは、お兄ちゃんと友達の間にさっと入って、
「ごめんなさい。お兄ちゃんをぶつなら僕をぶって」
と言ったのです。
見ていたお母さんは、その日の日記の最後に、「健太、ありがとう」と言葉を添えました。
健太くんは小学校に入りました。
不思議なもので、たまたま健太くんの机の隣には両手の不自由な子が座りました。
この子のお母さんというのは、何をしてあげても、
「あー、どうも」
としか言わない人だったそうです。
体育の授業になると先生が、
「体操着に着替えてグラウンドへ出ろ」
と号令をかけます。
いつも1番最後に出てくるのは健太くんでした。
あまりにも毎回続くので、先生は「今回こそは健太を怒らないとな」と思いました。
そして先生は、ほかの児童たちを運動場に待たせ、教室に向かったのです。
教室のドアを開けると、健太くんは汗だくになりながら両手の不自由な子に体操着を着せてあげていました。
大の大人だって両手の不自由な子に体操着を着せるのは大変です。
健太くんは、その子に何とか体操着を着せてあげた後、
その子が運動場に出て行くまで見届け、
それから自分が着替えを始めていたというのです。
だから健太くんは1番最後だったのです。
先生は保護者会で、両手の不自由なその子のお母さんに、そのことを話しました。
先生の話が終わるとお母さんは黙って席を立ち、健太くんがいる隣の教室に行きました。
そして健太くんの横にひざまずき、
「健太くん、ありがとう…、健太くん、ありがとう」
と、涙を流しながら
何度もお礼をお礼の言葉を言ったそうです。
(「みやざき中央新聞」R1.11.25 笑福亭夢之助さんより)
「ラジオ日本」という放送局で10分ぐらいの番組を長年やっております(当時)。
この番組宛にリスナーさんからお手紙が届きます。
その手紙を私が読み、隣に座っている大学の先生がコメントをするコーナーがあるんです。
ある時、「鈴木健太くん」という男の子のお母さんからこんな手紙をもらいました。
健太くんには、1つ違いの脳性麻痺のお兄ちゃんがいるんです。
ですから次に生まれた子供には、「ただ健康であってもらいたい」という願いを込めて「健太」と名づけました。
その手紙にはこう書かれていました。
「健太はいつも『お兄ちゃんはバカだから』と言いながらお兄ちゃんをいじめます。
健太を厳しく怒ったほうがいいでしょうか」
と。
それに対し、先生はこう言いました。
「健太くんを怒らないでください。
怒れば健太くんはお兄ちゃんをいじめなくなるでしょう。
でもそれはお母さんがいる間だけです。
お母さんがいなくなれば、またお兄ちゃんをいじめます。
だから怒らずにうまく言い聞かせてあげて下さい」。
後日、お母さんからまた手紙が届きました。
健太くんの4歳のお誕生日の時、お友達を4人呼んで家でパーティーをしたそうです。
お母さんはみんなにケーキを配りました。
ちょうどそこにお兄ちゃんがやってきて、「怪獣だぞ」と言いながら、ケーキを全部踏んづけてしまったのです。
健太くんのお友達はびっくりです。
「何すんだよ。やめろ」と言いながら、4人でお兄ちゃんを叩き始めました。
すると健太くんは、お兄ちゃんと友達の間にさっと入って、
「ごめんなさい。お兄ちゃんをぶつなら僕をぶって」
と言ったのです。
見ていたお母さんは、その日の日記の最後に、「健太、ありがとう」と言葉を添えました。
健太くんは小学校に入りました。
不思議なもので、たまたま健太くんの机の隣には両手の不自由な子が座りました。
この子のお母さんというのは、何をしてあげても、
「あー、どうも」
としか言わない人だったそうです。
体育の授業になると先生が、
「体操着に着替えてグラウンドへ出ろ」
と号令をかけます。
いつも1番最後に出てくるのは健太くんでした。
あまりにも毎回続くので、先生は「今回こそは健太を怒らないとな」と思いました。
そして先生は、ほかの児童たちを運動場に待たせ、教室に向かったのです。
教室のドアを開けると、健太くんは汗だくになりながら両手の不自由な子に体操着を着せてあげていました。
大の大人だって両手の不自由な子に体操着を着せるのは大変です。
健太くんは、その子に何とか体操着を着せてあげた後、
その子が運動場に出て行くまで見届け、
それから自分が着替えを始めていたというのです。
だから健太くんは1番最後だったのです。
先生は保護者会で、両手の不自由なその子のお母さんに、そのことを話しました。
先生の話が終わるとお母さんは黙って席を立ち、健太くんがいる隣の教室に行きました。
そして健太くんの横にひざまずき、
「健太くん、ありがとう…、健太くん、ありがとう」
と、涙を流しながら
何度もお礼をお礼の言葉を言ったそうです。
(「みやざき中央新聞」R1.11.25 笑福亭夢之助さんより)
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