④🌟完璧主義に陥らない🌟
義務感や力みを身にまとわないためには、完璧主義にはならない、曖昧さを残すことも案外大切だと思う。
最近は、データ収集が容易になり、統計学や確率論が進んで先の見通しが立てやすくなった、ということになっている。
可能性を数字に置き換えて、効率的な選択を考える風潮が強いように思う。
そうしてデータに頼り、最も正しい、効率的なものを選択しているつもりでいながら、
一方では、矛盾するようだが、人は知らず知らずのうちにジンクスに囚われてしまう。
勝負の前はこれを食べるといいだとか、必ず何時間前に起きてこれだけはして、この道を通ってとか、なんでもそうだ。
これが正し、絶対だときっちりかっちりした選択に重きを置いていると、
次第にそれはジンクスになり、自分を支配するものになってしまう。
だから、というわけでもないが、私はあまりそのような考え方をしないことにしている。
それでも、その日のうちに終わらせる用事は、その日のうちに済ませるように心がけている。
そうしないと忘れてしまうから、というのも理由の1つだが、
明日へ持ち越すものを極力少なくして1日を終えたいと思っているからだ。
ただし、毎日の時間の過ごし方には、これといって習慣やルールみたいなものを設けていない。
もちろん、対局がある、打ち合わせや外での仕事がある、といった約束をされているときはその時間に合わせて行動することになるが、
それ以外の日常生活では、午前中は何をして、この時間はこれに取り組んで…、といったことは決めない。
寝る時間も、起きる時間もバラバラだ。
空いた時間の長さによってやることを変える。
まとまった時間がとれるなら原稿を書こう、30分だったら色紙、10分だったらメールの返事を、といった具合だ。
何時から何時かといった時刻に規定されるのではなく、空いてる時間がどれくらいあるかで考える。
要は、決められた時間の中でちゃんと消化すればいい。
そこでやりくりすればできるのだから。
長期的のスケジュールに関しても、「目分量」だ。
もちろん、パソコンや手帳、ホワイトボードなどに予定を書いて見えるようにしてはいるが、
基本的には大雑把。
なんとなくこの時期はこれくらい忙しくなるだろうとか、
暇になりそうだとか、
そういったおおよその見込みで先の予定を立てる。
がっちり決めてしまうのではなく(勝負の結果次第と言うこともあるから、気張らない、と表現する方が正確だが)、
アバウトにざっくりと、こんな感じ、と予想して決める。
棋士の生活は、タイトル戦の開催日程、また対局の結果次第で、直前まで予定が立たないこともあり、そのくらいの感覚でやっていかないと、精神的にも参ってしまう。
あまりにもきっちり無駄なく予定を決めてしまうと、
万一日程が詰まってしまったときや思い通りに事が運ばなかったときに対応ができない。
ある程度融通がきくようにしておくことが必要になる。
どのぐらいの余裕を持たせればいいかは、まさに塩梅。
自分の経験や感覚に頼って裁量することになる。
そこに絶対というものはない。
それは、時間の使い方や予定の立て方に限らない。
そもそも世の中のもので "絶対" のものなどひとつもないのだから、
曖昧さがあるほうが自然だと思う。
しかし "絶対" という名の安心が欲しいのも自然な気持ちではあるので、
物事がきっちり運ぶように願いつつも、
万が一のことを考えて保険をかける、
そんな意識でちょうど良いのではないかと考えている。
言い換えれば、その場の状況に従う、成り行きを受け入れる感じだろうか。
ひたすらストイックに生きる、というのとは違う。
自分の目指すところを無理せずに続けるために、
その目的にもその他のことにも、余計な力を入れ過ぎないようにしていくのだ。
そしてある程度自然の流れに乗りながら続けていくことが、
結局、長丁場で大局的に見たときに自分の力を発揮できることにつながっているのだと考えている。
(「直感力」羽生善治さんより)
義務感や力みを身にまとわないためには、完璧主義にはならない、曖昧さを残すことも案外大切だと思う。
最近は、データ収集が容易になり、統計学や確率論が進んで先の見通しが立てやすくなった、ということになっている。
可能性を数字に置き換えて、効率的な選択を考える風潮が強いように思う。
そうしてデータに頼り、最も正しい、効率的なものを選択しているつもりでいながら、
一方では、矛盾するようだが、人は知らず知らずのうちにジンクスに囚われてしまう。
勝負の前はこれを食べるといいだとか、必ず何時間前に起きてこれだけはして、この道を通ってとか、なんでもそうだ。
これが正し、絶対だときっちりかっちりした選択に重きを置いていると、
次第にそれはジンクスになり、自分を支配するものになってしまう。
だから、というわけでもないが、私はあまりそのような考え方をしないことにしている。
それでも、その日のうちに終わらせる用事は、その日のうちに済ませるように心がけている。
そうしないと忘れてしまうから、というのも理由の1つだが、
明日へ持ち越すものを極力少なくして1日を終えたいと思っているからだ。
ただし、毎日の時間の過ごし方には、これといって習慣やルールみたいなものを設けていない。
もちろん、対局がある、打ち合わせや外での仕事がある、といった約束をされているときはその時間に合わせて行動することになるが、
それ以外の日常生活では、午前中は何をして、この時間はこれに取り組んで…、といったことは決めない。
寝る時間も、起きる時間もバラバラだ。
空いた時間の長さによってやることを変える。
まとまった時間がとれるなら原稿を書こう、30分だったら色紙、10分だったらメールの返事を、といった具合だ。
何時から何時かといった時刻に規定されるのではなく、空いてる時間がどれくらいあるかで考える。
要は、決められた時間の中でちゃんと消化すればいい。
そこでやりくりすればできるのだから。
長期的のスケジュールに関しても、「目分量」だ。
もちろん、パソコンや手帳、ホワイトボードなどに予定を書いて見えるようにしてはいるが、
基本的には大雑把。
なんとなくこの時期はこれくらい忙しくなるだろうとか、
暇になりそうだとか、
そういったおおよその見込みで先の予定を立てる。
がっちり決めてしまうのではなく(勝負の結果次第と言うこともあるから、気張らない、と表現する方が正確だが)、
アバウトにざっくりと、こんな感じ、と予想して決める。
棋士の生活は、タイトル戦の開催日程、また対局の結果次第で、直前まで予定が立たないこともあり、そのくらいの感覚でやっていかないと、精神的にも参ってしまう。
あまりにもきっちり無駄なく予定を決めてしまうと、
万一日程が詰まってしまったときや思い通りに事が運ばなかったときに対応ができない。
ある程度融通がきくようにしておくことが必要になる。
どのぐらいの余裕を持たせればいいかは、まさに塩梅。
自分の経験や感覚に頼って裁量することになる。
そこに絶対というものはない。
それは、時間の使い方や予定の立て方に限らない。
そもそも世の中のもので "絶対" のものなどひとつもないのだから、
曖昧さがあるほうが自然だと思う。
しかし "絶対" という名の安心が欲しいのも自然な気持ちではあるので、
物事がきっちり運ぶように願いつつも、
万が一のことを考えて保険をかける、
そんな意識でちょうど良いのではないかと考えている。
言い換えれば、その場の状況に従う、成り行きを受け入れる感じだろうか。
ひたすらストイックに生きる、というのとは違う。
自分の目指すところを無理せずに続けるために、
その目的にもその他のことにも、余計な力を入れ過ぎないようにしていくのだ。
そしてある程度自然の流れに乗りながら続けていくことが、
結局、長丁場で大局的に見たときに自分の力を発揮できることにつながっているのだと考えている。
(「直感力」羽生善治さんより)
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