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直感力⑤🌟わからないことをやってみる🌟

2018-01-28 19:14:23 | お話
⑤🌟わからないことをやってみる🌟


誰でもそうなのではないかと思うのだが、何かを覚えたてのときは、とにかく、それに触れているだけで楽しい。

できるとかできないとかはまったく関係ない。

それをしてるだけで嬉しいものだ。

将棋を覚えて最初に熱中するときの感覚も、とにかく駒が動くことが嬉しい。

子どものときはとくにそうだ。

駒を動かしたい。

相手の人に考えられるのも、自分が考え込むのもイヤで、とにかくなんでもいいから駒を動かしていたい。

駒を動かしていればそれだけでも楽しい、といった感覚だ。

「読み」なんてまったくない。

ただ動かしてるだけ。

私もただただ適当に駒を動かしているだけだった。

それは、小学校2年生がサッカーボールをただ蹴って楽しんでいる、

サイコロを振って面白がっているのと、ほとんど同じだ。

あとはまっすぐ転がろうが、ゾロ目が出ようが、偶然でどうなるかというだけの話。

将棋を指すというのは、本当に何も考えることはことわなく、

自分が指す、相手が応じる、また自分も駒を動かす…の繰り返しを楽しむことだった。

その将棋に、気がつけばどっぷりとのめり込むことになった1番の理由は、

「コツが分からなかった」ことだ。

私もいろんなゲームをやった。

例えばダイヤモンドゲーム、野球盤。

どれもいくらか経験を重ねると(勝てるかどうかは別にしても)、

「こういうのがコツなんじゃないか」

というのが、ある程度はわかってくる。

でも、将棋だけは全然分からなかった。

それに、底知れない魅力を感じた。

ものすごく面白いと思ったのだ。

15級でスタートした当初、当然ながらまったく分からない。

八級になってもまったく分かっていないのだが、

それでもやっぱり前よりはちょっと変わったような気がする。

それまでまったくの空振りだったのがちょっとだけバックにかするようになったような、

全然手ごたえがないわけじゃない。

それは、本当にほんのちょっと、微々たる違いなのだが。

考えたら、あの頃もいまも変わらない。

15級のときは、少し程度の差があるだけだ。

どうやったら好きなことを見つけられるのか。

そして、それを追い求められるのか。

人は当たり前のことをや、できることしか続けられないものだ。

さらにいってしまえば、私たちは絶対に好きなことを「やらなければいけない」わけでもない。

少しだけ関心があって、興味が湧いて、やってみたいと思ったら、そこに惹かれる。

小さな子供が自然と母親に手を伸ばすようにそれを追い求めてしまう。

そして追いかけ続けてある時ふと、

自分はこれが好きなんだと気づくのが、1番自然なことではないかと思っている。

そして何よりも「コツが分からないこと」を、難しいから投げ出してしまうのではなく、

「なぜなのか」と探求していく気持ちが大切なのではないか。

子供は、「理解できないこと」を自分で深掘りしていく達人である。

大人になると効率や利得を重視しがちになり、

心の襞(ひだ)に引っかかった疑問や困難な道を素通りしてしまう。

そうしたときこそ、何が自分に有益となるのかなどに囚われた心を排し、

新たな試みを行っていく必要があるのではないだろうか。


(「直感力」羽生善治さんより)

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