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道元①

2020-01-09 14:14:00 | お話
道元①

🔸境野、今日は大谷先生と道元禅師が残された言葉について対談できると言うことで、楽しみにまいりました。

先生とお会いするのは、先生が総指揮を務められた映画『禅 ZEN』(平成21年公開)の試写会以来ですね。

🔹大谷、ええ。境野先生は何しろ早稲田の大先輩でいらっしゃいますから、私も楽しみにしていました。

🔸境野、先生のご著書は何冊も読ませていただきましたが、

道元禅師について実に細かいところまで研究されていることに、とても驚きました。

今日はぜひ教えを賜りたいと思っています。

🔹大谷、境野先生はもともと臨済宗(りんざいらしゅう)のほうで禅の修行されたとお聞きしていますか、

道元禅についても深く研究していらっしゃいます。

どういうきっかけで道元禅を学ぶようになられたのですか。

🔸境野、私は40歳まで臨済の、いわゆる公案禅をやっていました。

ありがたいことに名僧・山本玄峰(げんぽう)老師ともご縁をいただいたのですが、

老師がいつも「最後は道元さんだよ」とおっしゃっていたんです。

それがずっと耳に残っておりましてね。

玄峰老師亡き後は、藤沢寂仙老師に就きましたが、寂仙老師もまた

「道元さんも勉強しなきゃだめだよ」と。

それで昭和44年、37歳の時に駒沢大学の博士課程に進んで、専門に学ぶようになりました。

駒沢では大谷先生の後輩になります(笑)。

🔹大谷、ちょうどその頃、私は駒沢の大学院を終えて、学内にある曹洞宗(そうとうしゅう)の宗学研究所の講師をしていました。

境野先生とは、おそらくどこかで会っているはずです。

🔸境野、寂仙老師からは「駒沢に行ったら酒井得元(とくげん)という先生に就きなさい」と言われていましたので、

そこからは得元老師に師事するようになりました。

🔹大谷、得元老師は、日本を代表する曹洞宗の禅僧である澤木興道(こうどう)老師のお弟子さんで、私もよく存じ上げています。

そう宗学研究所ではご指導をいただきました。

🔸境野、いまも忘れられないのが、修士論文を見ていただくために得元老師のいらっしゃる竹友寮(ちくゆうりょう)をお訪ねした時、

「臨済をやったやつに道元は分からん。帰れ」

と大声で怒鳴られたんです(笑)。

私が

「先生が指導してくださらないのなら、駒沢大学は退学させていただきます」

と外に出ようとしたら

「待て!」

と大声で呼び止められ、ニコッと笑われてから、

結果的に論文の指導許可のハンコを押してくださったんですが、

その時再びニコッと笑って、

「頑張れよ」

と励ましてくださいました。

それが機縁で得元老師の接心(せっしん・座禅会)に熱心に通うようになり、

道元禅師の教えの深さに驚くことになるわけです。

🔹大谷、どういうところに驚かれたのですか。

🔸境野、『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』の現成(げんじょう)公案の巻に有名な次の言葉がありますでしょう。

「仏道をならふというは、自己をならふなり。
自己をならふというは、自己をわするるなり。」

私は臨済の公案(禅宗で師から与えられる問題)をすべて解いていきましたが、

それまで仏道を習うとは仏の道を学ぶことなのだと思っていました。

ところが、道元禅師はそうではない、

自分自身を習うことだとおっしゃっているんですね。

これが分かるようで分からないんです。

一般的に考えれば、習うのはやはり自分の外から習うんです。

哲学書を読んだり、宗教書を読んだりすることと考えちゃうんだけど、

道元禅師はそういうものを一切忘れることだと説かれている。

そして、一番尊いのは、

いま生きている素晴らしい自分の生命の中にこそある、と説かれている。

このことに何よりも驚かされました。

臨済宗も曹洞宗もそれぞれに特徴があって、

今日までいろいろと勉強させていただいたわけですが、

道元禅師との出会いがなかったら、

私の成長はどこかで止まっていたでしょうね。

そういえば、先ほど

「最後は道元さんだよ」という玄峰老師の言葉を紹介しましたが、

公案禅を嫌がっていた澤木興道老師も愛弟子には

「山本玄峰老師は本物だ」

とおっしゃっていたそうです。

🔹大谷、お互い認め合っていらっしゃったんですね。

そういう世界があるのは素晴らしいことですね。


(つづく)

(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)


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