道元②
🔸境野、大谷先生が道元禅と出合われたのは、どういうきっかけでしたか。
🔹大谷、それは早稲田の東洋哲学の修士課程を昭和40年に終了すると同時に、
曹洞宗大本山である福井の永平寺で修行することを決意したことからです。
主任教授からは
「そんなところに行く必要はない。大学院に残ればよい」
ときつく言われましたが、私は『正法眼蔵』をどうしても理解したかった。
それで『正法眼蔵』だけを持って永平寺に向かいました。
永平寺では「眼蔵会(げんぞうえ)」という『正法眼蔵』の講義が行われています。
ところが、いざ修行が始まると、廊下拭きだとか、布団の上げ下ろしだとか作務(さむ)ばかり。
作務の真義など分かりません。
「眼蔵会」どころではないんです。
🔸境野、ああ、その大変さは私もよく分かります(笑)。
🔹大谷、そのうち活字に飢えましてね。
寺内の知庫寮(ちこりょう)に行って、
「頭が疲れなくて安くて読みやすい本が欲しい」
と言ったんです。
そうしましたら、出してくれたのが道元禅師が宋で天童如浄禅師に学ばれたときの記録『寶慶記(ほうきょうき)』(宇井伯寿訳注/岩波文庫)でした。
40円で買って夢中になって読みましたが、さっぱり分からない。
ただ、そこに次の一節があったんです。
「参禅は身心脱落(しんしんだつらく)なり。
焼香・礼拝・念仏・修懺(しゅさん)・看経(んきん)を用いず、
祗管打坐(しかんたざ)のみ」
この言葉が頭に叩き込まれました。
この真意を求めてこれまでずっと歩んできたように思います。
🔸境野、その言葉をどのように捉えられたのですか。
🔹大谷、心身脱落とは、道元禅師の大悟の証明のような言葉です。
この言葉は要するに、ただ坐れ、それが修行であり身心脱落である。
焼香をしたり、礼拝をしたり、
念仏を称えたり、懺悔(ざんげ)をしたり、
本を読んだりすることではないとおっしゃっているわけです。
別の言い方をすれば、焼香も礼拝も念仏も修懺も看経もすべ全心の揺らぎを呼び起こす。
それは只管打坐の坐禅ではないといえます。
それが分かったのは私が『寶慶記』と出合って約10年後です。
結局、永平寺での修行を終えた後、
大学院の博士課程は駒澤に進み、榑林皓堂(くればやし こうどう)先生の下で学びました。
榑林先生は岩沢惟安門下の『正法眼蔵』の大家でした。
目がご不自由な優しい先生でしたが、
一語一句徹底的にご指導いただきました。
ある時、先生に「何か書いてください」とお願いしたら、
「赤心片片(せきしんぺんぺん)」と書いてくださり、
この書はいまも大事にしています。
🔸境野、赤心片片。すべての事柄に真心を持って接すると言う、素晴らしい言葉ですね。
🔹大谷、その榑林先生から「もっと若い先生がいるから」と言って紹介されたのが、
横井覚道という先生です。
これも忘れられない話なのですが、
私が何気なく
「先生、『正法眼蔵』は難しくて分かりませんね」
と話し掛けたら
「えっ? 何が分からないの?」
とおっしゃるんです。
これには仰天しました。
あの難解な『正法眼蔵』が分かる人がいるんだと。
私は『正法眼蔵』について根掘り葉掘り先生に質問しました。
そうしたら最後に
「あんたのはただ読んでいるだけだ。
読んでいるだけじゃ『正法眼蔵』は分かるはずがない」。
「では、どうするんですか」
と聞くと
「それはね、衣を着てお袈裟(けさ)をかけて、見台(けんだい)を持ってきて、
そこに『正法眼蔵』を載せて三拝をして、
正座して、それから声を出して拝読するんだ」
と教えてくださいました。
3カ月間、毎日続けましたよ。
だけど全然わからない。
癪に障って言いました。
「先生、分かりません」と。
🔸境野、でも正直ですね。普通は分ったような顔をしちゃうものなんだけど(笑)。
🔹大谷、分からんのは分からんですよ。
分かったような顔をするのが一番良くない。
それで、その時先生は
「あんたは漢文が読めるんだから、道元禅師の語録『永平広録』を参究しなさい」
と薦めてくださいました。
私はこの『永平広録』によって道元禅の世界が大きく開けていったんです。
(つづく)
(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)
🔸境野、大谷先生が道元禅と出合われたのは、どういうきっかけでしたか。
🔹大谷、それは早稲田の東洋哲学の修士課程を昭和40年に終了すると同時に、
曹洞宗大本山である福井の永平寺で修行することを決意したことからです。
主任教授からは
「そんなところに行く必要はない。大学院に残ればよい」
ときつく言われましたが、私は『正法眼蔵』をどうしても理解したかった。
それで『正法眼蔵』だけを持って永平寺に向かいました。
永平寺では「眼蔵会(げんぞうえ)」という『正法眼蔵』の講義が行われています。
ところが、いざ修行が始まると、廊下拭きだとか、布団の上げ下ろしだとか作務(さむ)ばかり。
作務の真義など分かりません。
「眼蔵会」どころではないんです。
🔸境野、ああ、その大変さは私もよく分かります(笑)。
🔹大谷、そのうち活字に飢えましてね。
寺内の知庫寮(ちこりょう)に行って、
「頭が疲れなくて安くて読みやすい本が欲しい」
と言ったんです。
そうしましたら、出してくれたのが道元禅師が宋で天童如浄禅師に学ばれたときの記録『寶慶記(ほうきょうき)』(宇井伯寿訳注/岩波文庫)でした。
40円で買って夢中になって読みましたが、さっぱり分からない。
ただ、そこに次の一節があったんです。
「参禅は身心脱落(しんしんだつらく)なり。
焼香・礼拝・念仏・修懺(しゅさん)・看経(んきん)を用いず、
祗管打坐(しかんたざ)のみ」
この言葉が頭に叩き込まれました。
この真意を求めてこれまでずっと歩んできたように思います。
🔸境野、その言葉をどのように捉えられたのですか。
🔹大谷、心身脱落とは、道元禅師の大悟の証明のような言葉です。
この言葉は要するに、ただ坐れ、それが修行であり身心脱落である。
焼香をしたり、礼拝をしたり、
念仏を称えたり、懺悔(ざんげ)をしたり、
本を読んだりすることではないとおっしゃっているわけです。
別の言い方をすれば、焼香も礼拝も念仏も修懺も看経もすべ全心の揺らぎを呼び起こす。
それは只管打坐の坐禅ではないといえます。
それが分かったのは私が『寶慶記』と出合って約10年後です。
結局、永平寺での修行を終えた後、
大学院の博士課程は駒澤に進み、榑林皓堂(くればやし こうどう)先生の下で学びました。
榑林先生は岩沢惟安門下の『正法眼蔵』の大家でした。
目がご不自由な優しい先生でしたが、
一語一句徹底的にご指導いただきました。
ある時、先生に「何か書いてください」とお願いしたら、
「赤心片片(せきしんぺんぺん)」と書いてくださり、
この書はいまも大事にしています。
🔸境野、赤心片片。すべての事柄に真心を持って接すると言う、素晴らしい言葉ですね。
🔹大谷、その榑林先生から「もっと若い先生がいるから」と言って紹介されたのが、
横井覚道という先生です。
これも忘れられない話なのですが、
私が何気なく
「先生、『正法眼蔵』は難しくて分かりませんね」
と話し掛けたら
「えっ? 何が分からないの?」
とおっしゃるんです。
これには仰天しました。
あの難解な『正法眼蔵』が分かる人がいるんだと。
私は『正法眼蔵』について根掘り葉掘り先生に質問しました。
そうしたら最後に
「あんたのはただ読んでいるだけだ。
読んでいるだけじゃ『正法眼蔵』は分かるはずがない」。
「では、どうするんですか」
と聞くと
「それはね、衣を着てお袈裟(けさ)をかけて、見台(けんだい)を持ってきて、
そこに『正法眼蔵』を載せて三拝をして、
正座して、それから声を出して拝読するんだ」
と教えてくださいました。
3カ月間、毎日続けましたよ。
だけど全然わからない。
癪に障って言いました。
「先生、分かりません」と。
🔸境野、でも正直ですね。普通は分ったような顔をしちゃうものなんだけど(笑)。
🔹大谷、分からんのは分からんですよ。
分かったような顔をするのが一番良くない。
それで、その時先生は
「あんたは漢文が読めるんだから、道元禅師の語録『永平広録』を参究しなさい」
と薦めてくださいました。
私はこの『永平広録』によって道元禅の世界が大きく開けていったんです。
(つづく)
(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)
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