大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ヨハネによる福音書12章12~26節

2019-07-09 08:56:35 | ヨハネによる福音書

2019年1月27日 大阪東教会主日礼拝説教  柔和な王吉浦玲子

<神のご計画>

 エルサレムの群衆はなつめやしの枝を持って主イエスを迎えました。過ぎ越し祭が始まろうとしていました。過ぎ越し祭は春の祭りでした。季節をさかのぼりますが、秋には仮庵祭がありました。そのとき、ヨハネによる福音書7章を読みますと主イエスは隠れるようにしてエルサレムにおられたことがわかります。そして秋の仮庵祭ではこのような熱烈な歓迎はお受けにならなかったのです。季節は巡り、ラザロの復活の出来事を知った人々を中心に、イエス様がエルサレムに来られると聞いて歓迎しました。しかし、主イエスは人々から歓迎をお受けになりたいと考えて過ぎ越し祭に来られたわけではありません。そもそも人々から歓迎を受け目立ってしまうとご自身の身に危険が及びます。実際、19節を読みますと、エルサレムに歓迎される主イエスの様子を妬ましく見ている権力者たちがいたのです。もちろん主イエスは危険はご承知であって、けっしてそれを恐れておられたわけではありません。エルサレムで起こるすべてのことが十字架に繋がっていくことをわかったうえで、主イエスはエルサレムに入って来られました。主イエスはご存知でした。権力者たちだけでなく、いまは歓迎している群集が数日後には十字架につけろと叫ぶことになることを。主イエスを殺したい権力者たちの思いが遂げられる日が近づいていることを分かっておられました。群衆に歓迎されることが、権力者たちの憎しみをさらに買う行為であることをわかったうえで、仮庵祭のときとは異なり、あえて人々の目に着く形でエルサレムに入って来られました。

 15節で人々は「ホサナ」という言葉を叫んでいます。これは詩編115:25に記されている言葉のヘブライ語の音(ホーシーアーナー 主よ、今、救ってください)をギリシャ語で表現したものです。また「イエスはろばの子を見つけて」とあり、主イエスがろばに乗っておいでになる有名な箇所は、ゼカリア9:9で預言されていることでした。つまり主イエスのエルサレム入場によって、旧約聖書においてすでに預言されていたことが成就したのです。この主イエスのエルサレム入城、そして人々の熱狂がすでに神のご計画のうちにあったことがわかります。つまりこれから起こる十字架の出来事は、弟子の裏切りや権力者の憎しみや群集心理によって起こったことのようでありながら、実際は神のご計画のうちに起こったことでした。主イエスご自身が父なる神のご計画に従い、ご自身の意思のもとに十字架へと歩まれたのです。そうでなければ目立つようにエルサレムに入っては来られませんし、そもそもエルサレムにも近づかれなかったでしょう。人間の思いや行いではなく神ご自身が十字架の業をなさったのです。

 弟子たちはこの様子を見ても何が起こっているのかわかりませんでした。多くの弟子はガリラヤの田舎の出身でした。エルサレムの都での、人々のこの熱狂にただただ驚いたことでしょう。心の中でひょっとしたらこのまま主イエスがユダヤの王になられるのではないかと感じていた者もいたかもしれません。彼らは、この場面が、旧約聖書の時代から預言されていた神のご計画の成就であったとは主イエスがご栄光を受けられるまで、つまり十字架におかかりになるまで、わからなかったのです。ヨハネによる福音書では十字架の出来事は「栄光」として描かれています。十字架において救いの成就がなされること、それこそが神の栄光の表れだからです。そしてそのことはただ神のご計画と主イエスによって成し遂げられることであって、弟子たちをはじめ、人間には考えも及ばなかったことなのです。

<王として>

 さて、人々は主イエスが王になってくださることを願っていました。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」主イエスを王として歓迎したのです。さきほども申しましたように、この場面で、主イエスはろばの子に乗って来られました。ゼカリア書には「雌ろばの子であるろばにのって」と記されています。このろばは主イエスの柔和さを表すと言われます。武力を持って支配し、権力をほしいままにして、人々を苦しめる王ではなく、柔和で寛容な王のイメージで主イエスは来られたと言われます。それは確かにそうなのです。白馬にさっそうとまたがった堂々たる王ではなく、雌ろばの子であるろばに乗って来られるのです。子ろばは上手に人を乗せられなかったかもしれません。想像してみると、子ろばに乗った主イエスのお姿は滑稽ですらあったかもしれません。

 しかし、私たちは忘れてはならないのです。ろばの子に乗って来られた主イエスは、間違いないく王なのであることを。エルサレムはダビデの時代から、王の街でした。そしてまたエルサレム神殿を擁する町でした。政治的にも宗教的にもイスラエルの中心でした。そこに主イエスは入って来られました。ろばは滑稽であったかもしれないと申しましたが、<乗り物に乗って入ってくる>というのは王としての行為を象徴しているのです。主イエスご自身が「ろばの子を見つけて、お乗りになった」、つまり主イエスご自身も自分を王としてエルサレムに入って来られたのです。

 そもそも王は人々の上に立つ存在です。王にはもっとも良い場所に住んでいただき、王としてふるまっていただかなくてはなりません。民は王に従わねばなりません。私たちはそのことを忘れがちになります。主イエスを子ろばに乗って来られた柔和な王、優しい王様、その側面だけで捉えがちになります。そして私たちはもっとも良い場所には自分たちが住むのです。柔和な王には場所を提供しないのです。私たちが王を必要とするときだけ。出てきてくれたらよい、私たちが望むような王としてふるまってくれたらよい、そう考えるのです。子ろばに乗って来られる柔和な王であるゆえ、軍事力を背景にしない平和の王であるゆえ、本来は自分たちが明け渡すべき場所を明け渡さないままで、都合のよい王として迎えるのです。

<主イエスを知りたい>

 この熱狂のエルサレム入城ののち、不思議なことにギリシヤ人が主イエスに会いに来ました。当時、異邦人でありながらユダヤ教に回心をする人々がいました。今日の聖書箇所で主イエスに会いに来た人々が改宗をした異邦人ユダヤ教徒なのか、改宗はしていないけれど聖書の神に心惹かれてきた人々なのかはわかりません。そのギリシア人たちはフィリポに主イエスにお会いしたいと伝えます。ここではフィリポとアンデレがイエスに取り次いだ様子が、少し回りくどく記されています。当時のギリシア人、つまり異邦人とイスラエルの人々との距離がそこに感じられます。ギリシア人は「主イエスにお目にかかりたい」といいますが、「お目にかかりたい」という言葉は端的にギリシャ語で「見る イデー」という言葉です。しかしまたその「見る」という言葉には、ヨハネによる福音書では、主イエスを信仰の対象として「見る」というニュアンスがあります。視覚的に主イエスを見ても、そして出会っても、主イエスを信じない多くの人々がいました。しかしこのギリシア人たちは、おそらく主イエスがなさったことや、語られたことを聞いて、ぜひ見たい、主イエスのことをはっきりと知りたいという願いをもってやってきたのです。

 そのギリシア人に対して主イエスがお話になった言葉の中に大変有名な言葉があります。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの身を結ぶ。」この言葉がギリシア人に直接語られたのか、フィリポとアンデレを介して語られたのかはわかりません。しかし、ここには十字架の出来事の重大な意味が語られています。主イエスは「多くの実を結ぶため」に死なれるということです。実りとは何か?人間の命です。多くの人々が生き生きとした永遠の命、まことの命を得るために、ご自分は死ぬのだとおっしゃっています。このとても重要なことがギリシア人に伝えられました。これは私たちに福音が伝えられることを暗示する出来事です。

 私たちは肉眼で主イエスを「見る」ことはできません。しかし、福音を伝える誰かによって主イエスのことを知らされるのです。イスラエルから異邦人へと、そしてこのアジアの島国にまで福音は人間を介して伝えられました。伝えられた人々は、肉眼で見えなくても、主イエスを信仰において知り、主イエスと出会いました。私たちもそうです。私たちにもそれぞれにフィリポとアンデレのような人がいたのです。

 それは主イエスの十字架がすべての人々のためだったからです。十字架は<救いはイスラエルのみ>という概念を越えて全世界に救いが及ぶ出来事でした。2000年前の一粒の麦となられた主イエスの出来事がまさに全世界に実りをもたらすものであったのです。私たちも主イエスの死んだ麦から得られた「実り」です。私たちが「実る」ために主イエスは地に落ちられました。

 主イエスによって実らさせていただいた私たちはどのように生きるのでしょうか。厳しいように感じられる言葉が続きます。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者はわたしに従え。」主イエスが一粒の麦として死なれたように、主イエスに従う者は命を憎んで死なないといけないのでしょうか?命を絶たないまでも徹底した自己犠牲の精神で生きないといけないのでしょうか?ここで「命を憎む」とは、自己中心的な命を憎むということです。先ほど申しました、主イエスを王として迎えず、自分が王としてふるまうような生き方を憎むということです。私たちは主イエスのように他者のために命を落とすことはできません。そういうこともまったくないとは言えませんが、それが私たちの生きていく目的ではありません。私たちは主イエスを王として迎え従って生きていくのです。

 「そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」

 私たちの目的は豊かに実らせていただっことであり、「主イエスのいるところにいる」ことです。そして父なる神に大切にしていただくことです。

<私たちも地に落ちている>

 そもそもキリスト者は、一度洗礼において死んでいます。洗礼とはキリストの十字架に私たちも与ることでした。キリスト者もまた、キリストと共に十字架によって死にました。一粒の麦としてすでに落ちています。ですから私たちはキリストと共にいます。父なる神から慈しみをすでに得ています。私たち自身も実らせていただき、さらに新たな多くの実りを見させていただくのです。それは私たちがフィリポとアンデレのような者になるということでもあります。気がつくと私たちもフィリポとアンデレのような者にされているのです。

 それにしても麦の粒は小さなものです。私たち一人一人も小さな者です。しかし、自分が王様になりたい者です。王だなんて大それたことは思っていないようで、どうしても小さな自分の在り方に大いにこだわる者です。自分のやり方、自分の生き方に固執します。でもそれはしんどい生き方でもあります。私たちはそんな小さな自分に死にます。死なせていただいたのです。そして主イエスとつながって、新しく生きていきます。キリストのゆえに、キリストが最初の一粒の麦となられたゆえに、私たちはいっそう豊かにいきいきと歩んでいきます。


ヨハネによる福音書12章1~11節

2019-07-09 08:39:17 | ヨハネによる福音書

2019年1月20日 大阪東教会主日礼拝説教 信仰は止まらない吉浦玲子

<香油の香りでいっぱいになった>

 過ぎ越し祭の六日前のことでした。

 ヨハネによる福音書では主イエスは過ぎ越し祭の始まる前に逮捕されています。ですから今日の聖書箇所は主イエスが十字架におかかりになる一週間ほどまえのことだと考えて良いでしょう。ヨハネによる福音書では11章のラザロの復活をもってイエス様のこの地上での宣教活動は終わります。12章からは十字架への歩みと十字架を前にしたイエス様の説教が記されています。その流れを踏まえます時、今日の聖書箇所は、イエス様の十字架の出来事へのプロローグとも言えます。

 生き返ったラザロ、そしてその姉妹であるマリアとマルタが住むベタニアはエルサレムに近い町でした。以前にもお話ししたように、それはイエス様にとって危険なところであることを指していました。主イエスの命を狙う権力者たちがエルサレムにはいるからです。しかし、主イエスはご自身の十字架の時が近づいたことをご存知でした。ですから敢えて危険なベタニアに行かれたのです。そこはもともと主イエスにとって、心を休めることのできるところでした。親しいラザロ、マリア、マルタと心置きなく過ごせるところでした。父なる神のご計画である十字架が迫っていることを知っておられた主イエスは、親しいラザロたちとの別れの思いもあって向かわれたのかもしれません。

 しかしおそらく、そのベタニアでの滞在は、表面上はいつものようであったと思われます。いつものように主イエスのために夕食が準備され、マルタはかいがいしく給仕をしていたでしょう。生き返ったラザロを交え、弟子たちとのいつもながらの歓談がなされていたでしょう。

 そのいつもの和やかな場、ひょっとしたら生き返ったラザロもいましたから、普段以上になにか喜ばしいような雰囲気もあったかもしれない場面が、突然、異常事態に見舞われます。マルタの姉妹のマリアが突然、純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラももってきて主イエスの足に塗ったというのです。1リトラというと約300グラムです。

 香水がアルコールににおいの成分が溶かされたものであるのにたいし、香油は名前の通りオイルに溶かされたものです。香油は香水よりにおいが変化せず、香りの持続時間も長いそうです。香水でもほんの1滴でもかなりの匂いがします。香油でもそうとうな匂いでしょう。そもそも香油は死体に塗って匂いを抑えるために使われたりするものでもありました。このナルドと言われる香油はことにそのような場面で使われる種類のものであったようです。強い独特の香りがあったのではないでしょうか。それを香水瓶ひと瓶ほども一気にマリアは使ったのです。

 家は香油の香りでいっぱいになったとあります。これは良い香りでいっぱいになったというより、おそらく香りで息苦しいような状態だと思われます。ナルドの香油を再現して販売しているネットサイトもありますが、実際のところは古典的な香料で、正確にはどういう香りかわかりません。しかし、香水でもそうですが、もともとがいい香りのものであったとしても大量にぶちまけたら、かなり匂いが充満して気持ち悪いような異様な状態になると考えられます。香油を塗られた主イエスご自身もその匂いがかなりの時間取れなかったのではないかと思います。

<とんでもない無駄遣い>

 マリアの行ったことは、非常識極まりないことでした。弟子のひとりのイスカリオテのユダが「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と言ったとありますが、これはある意味とてもまっとうなことです。イスカリオテのユダはのちに主イエスを裏切ることになりますから、ここで悪役的な記述をされていますが、他の福音書の香油注ぎの記事を見ると、マリアに対して憤慨したのは「弟子たち」と記されていて、ユダ一人だけではなかったのです。そもそも三百デナリオンは1デナリオンが当時の労働者の一日の賃金ですから、だいたい労働者の年収分の金額です。年収分の価値のあるものをマリアはぶちまけたのです。貧しい人に施すのではなくても、たとえば主イエスたちのために三百デナリオン分のなにか価値あるものを買ってお捧げするなら、まだ人々は納得できたでしょう。

 しかし、マリアの行いは、奉仕の心の表れである、とよく言われます。マリは今自分にできる精いっぱいのことを主イエスにしたのだと言われます。「ナルドの香油」というのは讃美歌にも歌われています。またナルド献金というような献金もあります。今、自分にできることで奉仕をしましょう。できる限りの献身をしましょう、そのような勧めとしてとらえられるのがナルドの香油です。もちろんナルドの香油にはそういう側面もあります。

 しかしまた話が戻ってしまいますが、香油をぶちまけることがマリアにとってほんとうにできる限りの奉仕だったのでしょうか?主イエスはこうおっしゃいます。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」この言葉から主イエスがマリアの行いを肯定しておられることが分かります。マリアの行いは人間の普通の価値観からはただの無駄遣いとしか見えません。しかし、主イエスはそうは考えられませんでした。そしてまた、それはわたしたちの人生における私たちの行いに対しても同様です。その価値をお決めになるのは神なのです。立派な福祉活動をした、たくさんの困った人々を助けた、目に見える形での行いももちろん立派で大切なことです。しかし、その行いの価値は、実際のところは神がお決めになるのです。

 神がお決めになるということであるならば、人間には判断しかねることもあるということです。マリアの行いのように人間には無駄遣いとしか思えないようなことも神からは称賛されるということです。そもそも私たちは神のなさること、お考えになることを理解することはできません。神が私たち人間を救われる、そのこと自体が想像を絶することです。私たちは救われるべくして神に救われているのではありません。当然の権利として、私たちは神に罪赦され救われているのではありません。神の愛という、とてつもない常識破りのことのゆえに私たちは赦され救われているのです。神はただおやさしくて、私たちを赦してくださったのではありません。犠牲を払われたのです。わたしたちを救うための神の犠牲は三百デナリオンの香油どころの話ではありません。神の御子が十字架にかかって死なれるという、とてつもない犠牲が払われたのです。神ご自身が理屈に合わない常識外れの犠牲を払われたのです。その常識外れの愛を人間に注がれる神の御子がマリアの行いを良しとされました。

 私たちはマリアのように香油をぶちまけるようなことはおそらくしないでしょう。しかし、私たちの小さな行い、人から見たら、つまらないということであっても、あるいは世間的にはたいしたことではないということであっても、神の御心にかなうことであれば神は良しとおっしゃってくださるのです。逆に言えば、ある時は、人からは非難されても、常識外れと思われても、神の御心に従うことであれば行うのです。その行いを自分自身に対しても他者に対しても、止めてはいけないのです。

<死の香りをまとわれた主イエス>

 そしてもうひとつ今日の聖書箇所で注目したいのが、主イエスが「わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」という言葉です。最初に申し上げましたように、今日の聖書箇所は、十字架へと向かう福音書の流れの中で、十字架のプロローグとなる場面です。この場面には主イエスの死の影がさしているのです。マリアがぶちまけた香油は死体に塗るためにも使われたとさきほど申し上げました。マリアが主イエスの十字架をどのくらい理解していたかはわかりません。しかしある程度、主イエスが死を覚悟なさっていることはマリアは感じていたのではないでしょうか。そしてラザロの復活においてマリは主イエスが来るべきメシア、救い主であることを信じたのです。マリアはラザロの死に打ちひしがれていました。涙にくれていました。死の力のまえでなすすべもなく、打ち砕かれていたのです。そのマリアの目の前でラザロが生き返りました。その蘇りの場面でマリアの姉妹のマルタは、墓の石を取りのけよとおっしゃった主イエスに「四日もたっていますから、もうにおいます」と言いました。そうです。墓の中には死のにおいが充満しているはずでした。肉体が滅んでいく残酷な現実である死の香りが満ち満ちているはずでした。しかし、ラザロは生き返りました。ですから、墓の中には本来あるべき死の香りはなかったのです。

 今日の聖書箇所では、死体に塗ることにも用いられる香油が主イエスに注がれました。ラザロの墓に中になかった死の香りを、主イエスご自身がまとわれました。マリアはラザロが死んだときにも塗らなかった香油をとっておいて主イエスに注いだのです。マリアがどういう意図でラザロの遺体にはこの香油を使わず取って置いたのかはわかりません。ひょっとしたらユダのいうように高価な香油は売って有益なことに使うつもりだったのかもしれません。しかし今や、その香油は主イエスを死の香りで包むものとして用いられました。この香りはなかなか取れなかったであろうと前に申しました。体を洗ったとしてもすぐにはなかなか取れなかったのではないかと思います。しかしそのことのゆえに、主イエスの十字架への道のりを際立たせることになりました。

 「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」主イエスは去って行かれるのです。主イエスの宣教活動の期間は三年半くらいだったといわれます。共に語り、共に歩んだ三年半の歳月が終わるのです。先週、1月17日は阪神淡路大震災の24回目の記念日でした。いつも一緒にいたはずの人があの日を境に突然一緒にいることができなくなった、そのような深い悲しみを24年たった今も抱えておられる方々がたくさんおられます。阪神淡路大震災から24年間、多くの自然災害がありました。災害被害規模の大小に関わらず、一人一人にとって、いつもいっしょにいた人を失った悲しみは深いものです。昨晩いっしょに晩御飯を食べた人が翌朝にはもういない。朝ご飯を家族で一緒に食べて元気に出て行った女の子がブロック塀の下敷きになって亡くなってしまう。そのような残酷な死を、主イエスは自ら、このときまとわれました。

 それはわたしたちのためです。私たちの現実には、残酷な死があります。しかし、その死で終わりではない永遠の命のために、救いのために主イエスは自ら死の香りをまとわれました。ラザロを復活させたお方、命も死も支配されるお方が、いまや自ら死の香りをまとって、十字架へと受難へとあゆみはじめられました。私たちがまとうべき死の香りをイエス・キリストご自身がまとってくださいました。ですから私たちは死の香りではなく、命のただなかに生きていきます。もちろんこの世界にはさまざまなことが起きます。明日はどのようになるのかまったく分かりません。今日共にいた人と明日出会えるかそれは分かりません。ですから今日できることを今日出会う人とできる限りのことをするのです。私たちができる限りのことをした、そのことを主イエスは、ただ主イエスだけは良く良くわかってくださいます。ですから安心して今日を精いっぱい生きていきます。