2017年12月17日 大阪東教会主日礼拝説教「神が備えられた道」 吉浦玲子
<暗い道>
博多での大学生時代、いろいろアルバイトをしましたが、そのなかに家庭教師のアルバイトもありました。ある時期、九州電力の社宅に住んでおられた家庭の中学生の女の子に勉強を教えに行っていました。女の子が高校受験を控えた時期でした。通っていた九州電力の社宅は、当時住んでいたアパートから博多湾沿いの道を30分ほど自転車で行ったところにありました。皆さんは九州というと南国、温かい地方というイメージを持たれているかもしれませんが、福岡をはじめとした北部九州は、多少日本海側の雰囲気があり、それほど温かくはありません。ことに冬の博多湾沿いの道は海からの風がきつく、バイトの行き帰りは、ほんとに体の底から冷え切りました。バイトは夜でしたから余計寒さが堪えました。その道は幹線道路でした。自転車で漕いで行く脇をたくさんの車が走っていました。次々と車が私を追い越して行きました。幹線道路は明るかったですが、自転車を漕いでいる自転車道は薄暗かったのです。そして幹線道路と反対側には黒々とした夜の博多湾がありました。
12月、授業が休みに入ると貧乏学生にとってはバイトのかきいれどきで、昼はパン屋、夜は家庭教師と掛け持ちでバイトをしました。パン屋と言っても大きな店でクリスマスケーキも扱っていました。当時はクリスチャンではありませんでしたから、クリスマスケーキを売りながら、自分自身はクリスマスなんて関係がありませんでした。とにかく生活費を稼ぐために必死でした。友達はコンパだデートだと忙しいなかで、夜、自転車を漕ぎながら、なんで自分はこんな寒くて暗い道を一人で自転車を漕いでいるんだと車に追い越されながら思うこともたまにありました。でも、当時は若かったですし、卒業して就職したら、きっと人生が開けるのだという漠然とした希望を持っていました。ですから寒さも孤独もさほど気にはならなかったのです。でも卒業して社会人になり、それなりにいろいろなことがあり、何年もたってふと気付くと、自分は博多湾沿いの冬の寒い道を一人で自転車を漕いでいたときと何も変わっていないのではないかと感じることがありました。そう思うことが繰り返しありました。子供もあり、仕事もあり、友人もあり、けっして孤独ではないけれど、やはり自分はあの寒くて風のきつい博多湾沿いの道を今もたった一人で進んでいる、そんな気持ちになることがありました。
でも、その暗い道の途上でイエス・キリストと出会いました。キリストはたしかに私の日々に光をあたえてくださいました。しかし、キリストと出会って、寒くて暗かった道が完全に温かく明るくなり、楽しいものになったのか?それは半分はそうだといえますし、半分はそうでもないといえます。
<ヨセフとマリアの道>
今日の聖書箇所では、それぞれに天使ガブリエルから、救い主の誕生を知らされたマリアとヨセフが旅に出たことが記されています。マリアの肉体に聖霊の力によって主イエスが宿ることを知らされ、受け入れ、歩み出した二人です。彼らはかつての私のように神を知らなかったわけではありません。それどころか、彼らは救い主の親となるというとんでもない役目を従順に受けれるほど、神に忠実でした。その神に従う若い二人の歩みには最初から、困難がありました。神に忠実な彼らにもやはり暗い道がありました。
今日の聖書箇所には住民登録と書かれています。現代に生きる私たちも住民登録をしています。出生したら戸籍に記載され、住所が変わる都度、住民票を変更します。しかしここでいう住民登録は、自分の国や地方自治体の行政や福祉のための登録ではありませんでした。イスラエルを支配するローマ帝国への税金のため、また、場合によっては戦争やらさまざまな労役に駆り出されるための登録でした。もっとも新約聖書を読みますとなんとなくローマというのは悪の帝国というような感じがしますが、かならずしもそうとばかりはいえません。ローマ帝国は、支配していた地域に対して、基本的には、寛容な政策をとっていたと言われます。ある程度の自治、宗教や文化の自由を認めました。もちろんそれは帝国への忠誠と義務を果たすという条件を満たす範囲での自由でしたが。今日の聖書箇所に名前のあるアウグストゥス帝はローマを統一した初代皇帝であり、地中海をめぐる全地域に平和をもたらしたすぐれた皇帝、賢帝であったと歴史的には評価されています。そもそもアウグストィス帝の名前はオクタヴィアヌスといいます。アウグストゥスというのは元老院から与えられた「威厳がある者」という尊敬を込めた尊称なのです。その皇帝から任命されたキリニウスがシリア総督時代に行った最初の住民登録ということがここに記されています。
この住民登録という言葉からわたしたちが考えるべきことはふたつあります。ひとつはいくら皇帝がすぐれていて帝国が寛容だったとしても、やはり被支配民族の一人一人がローマ帝国から頭数を数えられ、管理されるというこの時代の暗さです。奴隷のように縛られているわけではなかったイスラエルですが、結局はローマ帝国に逆らうことのできない被支配民族としての苦しみと悲しみがそこにはあったということです。その登録には身重の女性であろうと容赦はありませんでした。そして住民登録の記事でもう一つ考えるべきことは、キリストの降誕という出来事が紛れもない人間の歴史のただ中に起きた事実であるということです。歴史の教科書に載るようなアウグストゥス帝、そしてキリニウスという実在の人物の名をあげて、マリアとヨセフはまさにその2000年前の時代を生きたこと、そして生まれてこられた主イエスもその時代のなかに、たしかにこの地上にお育ちなったことを示します。
降誕劇などで描かれるクリスマスは、美しい物語として語られる側面があります。もちろん、クリスマスの美しさを私たちは知るべきです。繰りかえし繰り返し、クリスマスの美しさを私たちはクリスマスの季節ごとにもっともっと味わうべきです。しかし、一方でそれは、人間の世界の現実の中に起こったことであることをも私たちは繰り返し知らなければなりません。キリストの降誕はおとぎ話ではなく現実の話であったことを覚えなくてはなりません。帝国に支配された時代の暗さの中に、若い夫婦がベツレヘムまでの100キロ以上の道のりを旅をしないといけない一人一人の暗い現実のただ中に、キリストはお生まれになった。そのことを知らなければなりません。
<わたしたちの暗い道に来られる神>
しかし、そもそも聖霊によって身ごもった子供がお腹にいる妊婦をなぜ敢えて神は危険な旅へと送られたのでしょうか?救い主となられるイエス・キリストが胎内におられるというのに、そのキリストの身にも危険が及ぶかもしれないのに、苛酷な旅へとなぜ神は導かれたのでしょうか?道も現代のように整っていません。食べ物にもおそらく事欠く旅であったでしょう。盗賊に遭う危険性もあります。
それはキリストの到来が、ミサイルやテロの危険があり、原発問題の解決も見えない、一方でいじめやパワハラがあり、若者がブラック企業での労働に甘んじ、また繰りかえし残虐な事件が起こるような暗澹とした現代とも無関係な出来事ではないということでもあります。大昔の現実離れした浮世離れした出来事としてキリストの到来があるわけではないということです。つまり一人一人の暗く寒い孤独な道にキリストは到来されたということを示します。政治も経済活動も外交もどろどろと複雑な現実の人間の世界に、そして先の見えない暗澹とした世界にまぎれもなくキリストは来られたということです。
もちろんキリストの到来によって、アウグストゥス帝が失脚したわけではありません。キリストの誕生ののち、住民登録がなくなったわけではありません。イスラエルが解放されたわけでもありません。私たちの人生にもキリストは来られました。しかし、私たち一人一人の生活が現実的に改善されたようにはあまりみえませんし、まして世界が安心できる平和な世界になったわけではありません。むしろ世界は悪くなっているようにすら見えます。しかし、私たちの暗くて寒い道に確かにキリストは来られました。この世界の悲惨と暗さのただ中に確かに幼子のキリストは来られました。
<新しい創造>
キリストが来られキリスト共に歩むとき、それが暗くて寒い道であったとしても、その道は「神が備えられた道」となります。その道の先は私たちには分かりません。緑の牧場に出るのか荒れ野に出るのか、それは分かりません。しかし、いずれであっても、そこに共にキリストがいてくださる時、私たちの歩む道の意味はまったく異なります。若いころ、私は漠然と未来に希望を描いていました。しかしそんな根拠のない希望は、はかないものでしかありませんでした。希望がかなおうがかなうまいが、そこにキリストがおられなけらば、やがて虚しさへ至るのです。どんなに努力をしてもその歩む道にキリストが共におられなければ、幹線道路のように一見明るい道であったとしても、やがて闇に落ちるのです。しかし、キリストと共に歩むとき、私たちはたしかな希望を得るのです。暗くても寒くても絶望をしないのです。
月満ちてマリアは子供を無事出産します。月満ちているので、妊娠の経過としては悪くはなかったのでしょう。切迫早産や妊娠中毒症などで月足らずで生まれたわけではないようです。暗い道を神はお守りになったと言えます。彼らには泊る所がなかった、この箇所を貧しい若い彼らがベツレヘムの宿屋で受け入れられなかったという解釈もあります。降誕劇はだいたいそのような話になっています。しかしある方は、当時の宿屋は個室ではなく雑魚寝であり、そのようなところで出産をすることができなかったので、あえて二人は家畜小屋を出産の場所として選んだのではないかと解釈されています。ただいずれにしても、恵まれた出産のあり方ではなかったことは確かです。
しかし、飼い葉おけに寝かされたキリストは確かに世界をお変えになる方でした。すぐれた皇帝であったアウグストゥスにもできないことを成し遂げられました。全人類の罪からの救いを成し遂げられました。この世の支配者、皇帝をはるかに超えて、私たちへ確かな希望を与える存在となられました。まことの王としてキリストは来られました。
2011年の東北の大震災ののち、被災された牧師がこういうことを語っておられました。震災の日、電気がとだえ、崩壊した町で不安な思いで最初の夜を迎えたそうです。それまでその牧師は、自分が住んでいるその東北の町は、けっして都会ではなく、夜は明かりも少なく暗くてさびしいところだと思っていたそうです。しかし、電気のない夜は、ほんとうにまっくらであったそうです。これまでも寂しい暗い夜だと思っていたけれど、しかしそれはまだ闇ではなかった。昨晩まではそこに光があったことに気づいたそうです。しかし、震災の夜、避難所の外に出た時、本当の闇をはじめて体験した、とその方は語られました。その深い闇に恐怖を覚えながら、ふと空を見ると、満天に星が広がっていたそうです。そのような壮大な星空を田舎町とはいえ、それまで見たことがなかったそうです。地上に闇が深くあり、しかし、満天に輝く星があった。その先生は、創世記を思い出したそうです。神がこの世界を創造されたときの最初の光と、天空の星を思ったそうです。すべてが破壊しつくされて、希望が取り去られたような闇の中で、この東北の地に、なお神が新しい創造の業を始められることを確信されたそうです。
2000年前、ベツレヘムにも深い闇がありました。しかし、そこに幼子が与えられました。光が来たのです。それは罪で壊れたこの世界の新しい創造の始まりでもありました。その創造の業は今も続いています。私たちの世界にも続いています。震災の日に東北の空に輝いた星星のように、私たちの人生にもたしかに輝いています。暗い道であっても、そこに確かにキリストの温かく柔らかな光がたしかにあるのです。私たちは暗い道をどこか遠いところへ向かって行くのではありません。かつて人間が神と共いたエデンの園、罪で壊れる前の世界、本来いるべきところへとキリストと共にキリストの光に照らされて帰ります。キリストと共に帰りましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます