日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖が亡くなった。
氏の人生は前半と後半で全く違った印象を受ける。ひげめがね日記は基本的に他人の悪口は書かない主義であるし、まして死屍に鞭打つなどもってのほかであるのだが、あえて書けば、後半生は本当に悪い人だった。どのくらい悪いかというと、「ちこう寄れ、良いではないか、良いではないか、ムフフフフ」と若いおなごをてごめにしようとしているのに、それが悪いことと全く思わない悪代官くらい(笑)。だから、米長氏が死ぬ日が来るとは思わなかった。
米長会長は、とにかく権力志向のすこぶる強い人であった。それは某十五世名人に対する恨みを晴らさんとするためだったのではないか、と私は思っている。その権力志向が悪い面に多く出たが、いい面に出たこともある。ひげめがねの中での最大の功績は瀬川氏のプロ試験実施だった。「人生をかけた勝負」は多くのサラリーマンに夢と希望を与えてくれた。私もわざわざ紀伊国屋ホールまで行った日のことを忘れられない。このイベントは将棋界きっての興行師、エンターテイナーの本領発揮であった。
氏の前半生についてはあまりに語られすぎているので多くは書かないが、私が印象に残っているのは▲6七金寄。将棋を斜に見ないとこういう手は浮かばない。正攻法なところもあるが、将棋を信じ切っていないようなところがあり、そこが魅力でもあった。泥沼流、米長玉はその象徴であろう。
良くも悪くも将棋界の大きな星が墜ちてしまった。合掌。
氏の人生は前半と後半で全く違った印象を受ける。ひげめがね日記は基本的に他人の悪口は書かない主義であるし、まして死屍に鞭打つなどもってのほかであるのだが、あえて書けば、後半生は本当に悪い人だった。どのくらい悪いかというと、「ちこう寄れ、良いではないか、良いではないか、ムフフフフ」と若いおなごをてごめにしようとしているのに、それが悪いことと全く思わない悪代官くらい(笑)。だから、米長氏が死ぬ日が来るとは思わなかった。
米長会長は、とにかく権力志向のすこぶる強い人であった。それは某十五世名人に対する恨みを晴らさんとするためだったのではないか、と私は思っている。その権力志向が悪い面に多く出たが、いい面に出たこともある。ひげめがねの中での最大の功績は瀬川氏のプロ試験実施だった。「人生をかけた勝負」は多くのサラリーマンに夢と希望を与えてくれた。私もわざわざ紀伊国屋ホールまで行った日のことを忘れられない。このイベントは将棋界きっての興行師、エンターテイナーの本領発揮であった。
氏の前半生についてはあまりに語られすぎているので多くは書かないが、私が印象に残っているのは▲6七金寄。将棋を斜に見ないとこういう手は浮かばない。正攻法なところもあるが、将棋を信じ切っていないようなところがあり、そこが魅力でもあった。泥沼流、米長玉はその象徴であろう。
良くも悪くも将棋界の大きな星が墜ちてしまった。合掌。