貧乏石好き

つれづれなるままに石をめぐりてよしなきことを

アンデシンの透過光変色

2021-12-19 20:39:19 | 単品

長石の項でアンデシンのことに触れて、「ちょっとほしい」と書きましたけど、ミネラルショーで通りすがりの石屋さんでお安いペンダントトップを見つけたので、買いました。セールで1000円ちょっと。チベット産とのこと。フレームがちょっと不細工。

で、光に透かしてみる。



劇的に変わりますな。何これ。

KARATZさんのサイトのアンデシンの説明には、ほとんどの石が「銅拡散処理」されているとあります。
この色もそうなのでしょうか。
チベット産は処理されていないものもあるという話も聞いたことがありますけど、よくわかりません。

この「銅拡散処理」は、見た目はもちろん、精細な分析をしてもなされているかいないかわからないのだそうです。
さあこれは困った。売る人も買う人も少しもやもやする。
けど、「判定不能」というのは、よくよく考えてみるとちょっと奇妙。
鮮烈な赤の石があって、どうもこれは処理ものらしい、という疑いが出る。けれど、未処理ものでそういうものがないわけではない。
つまり、質の(あくまで人間の美意識的な質だけど)低いものを高質化している。
このあたり、シトリンやブルートパーズとは少し違うような。シトリンは、未処理品はおとなしく繊細な色なのに対し、アメジスト加熱シトリンは濃くてムラがある。ブルートパーズも、未処理品は水のように淡いけれど、放射線処理品(ロンドンブルーとかスイスブルーとか名前がついてる)はものすごく鮮烈な青を見せる。馴れた人が見れば即座にわかる。らしい。
アンデシンも露骨に赤いものは処理品なのか。けど、それだったら「判定不能」にはならないのではないか。「ああ、この赤は拡散処理ね」となる。ということは未処理品でもそういう赤は少なからずあるということなのではないか。
シトリンやブルートパーズは、処理品は未処理品とは少し別種の石として、納得しつつその美を楽しむ。アンデシンはそのあたりが曖昧なのでイライラする、ということなのだろうか。(いやイライラはしないだろうよ)

で、この「透過光変色」は、銅拡散処理のせいなのか、そうでないのか。未処理品では微細な変色なのに、処理品は露骨なのか。でもそうだったら「判定不能」ではなくなりますよね。(何をごちゃごちゃ)

まあ、あれこれあるけど、この青緑の光はなかなか繊細で、方向によって多少変化して、美しい。
これ、どういうことなのだろう。単純に、赤は反射して、それ以外の波長は透過するということ? でも、ほかの半透明色付き石では、そういうことは起こらないではないですか。カイヤナイトを裏から見ても赤くは見えない。こんなふうに反射光色と透過光色が露骨に違うなんていうものは、石に限らず、あまり見たことも聞いたこともない。何か特殊な仕組みがあるのでしょうか。

美しいというのは石の魅力ですけど、そこに不思議さが加わると、また魅力が増す。このアンデシンも、高価な稀少石ではないですけど、そういう「何じゃこりゃ」の魅力を持っているように思います。


九層山入り水晶

2021-12-19 14:58:38 | 単品

水晶の世界は、広くて深い。
貧乏石好きとして、石を集める際に、あちきは決めた。
この広大な海には近寄らないようにしよう、と。
ネットショップを見ていても、水晶関係はすっ飛ばす。これはなかなかよかった。他の石をじっくり探せる。
それがまだ続いていて、水晶は買っていない。ただし、アメシスト、シトリン、モリオンは別。これらは水晶とはちょっと違う。ということになっている。ルチル入りとかのインクルージョンものはちょっと気になるけど、自制している。
だから、水晶はよくわからない。水晶好きの人は、同じ透明な柱でも、産地によって微妙な違いがあることを見取り、それを愛でるらしい。すごいものです。

ところが、また私語りになるけど、石集めを始める二十年くらいも前に、実は一本、水晶を買っているのですね。
家の近くに石屋さんがあって(今はなくなってしまっている、残念)、そこで買ったもの。その時いろいろな石を見たのだろうけれど、あまり記憶にない。機が熟さないと何事も始まらない、ということですな。
店主さん(非常に博識だったような印象)から「これは珍しいものですよ」と勧められて手に取ったそれは、結晶の中にいくつもの三角模様が入っているもの。いわゆる「山入り」ですね。外形と相似形の層は、水晶の成長を物語るもの、と。
「はあ、これは確かに只者ではないな」などと素人ながらに偉そうなことを思い、確かに美しかったので買った。案外高かったような気がする。
それは部屋の神棚の横に立てて、特にじっくり眺めるでもなく、過ごしてきた。
何となく、聖なるものというか、お守りというか、そんな感じ。
今でもこれはあちきの石コレクションとは別のものという感じ。

で、今改めてじっくりと見てみると、「山」は九層に及ぶ。

水晶の成長が止まって、また始まって、その長い長い時が刻まれている。どのくらいの時間なのだろう。同じ質の熱水が流れ込んだのか、温度の変化といったものが影響しているのか。
成長しては止まり、止まってはまた成長し。人の魂もかくのごとし。
一部の仏教では、人間の魂は九回この世に生まれると言う。成長しては止まり、止まってはまた成長し。菩薩への道は遠く、仏への道はさらに遠い。(あら、急にどうした?)

またある神秘思想では、不可視・不可測の世界まで含めた全宇宙は、九つの階層に分かれていると言う。地球世界は下から2番目。上に行くほど物質性は希薄になり、霊的な世界となる。人間の魂は死後も存続し、さらに上の世界へ向かって成長していく。この九つの山入り水晶はそれを思い起こさせる。(おい、大丈夫か)

ちょっとネットを探してみたけれど、こんなたくさんの山入りはあんまりない。ひょっとして、レアもの?
けれどこれ、研磨してある。そこが今の目からすると難点かな。
まあそういうことはともかく、不思議で、少し神聖で特別なものです、あちきにとっては。