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見えないものを


 前回に続いて高崎現代詩の会、会誌Scramble99号(2009年4月26日発行)に、
「巻頭エッセイ」として拙文が掲載されたので、そのまま転載します。

見えないものを

 
 最近の楽しみの一つは、DVDで映画を観ることです。今はレンタル店に足を運ばなくても、郵便で配達してくれる便利なシステムがあり、それを知ってから急に観始めるようになりました。昨年は暇に任せて百本くらい鑑賞したでしょうか。

 映画の魅力の一つは、行ったことのない風景や人々の暮らし、或いはその国の歴史や文化を、居ながらにして知ることが出来る点だと思います。だから好んで洋画を選んで観ています。
 映画はあくまで娯楽だと考えていますが、作り手のメッセージが感じられるものは、観終えた後も余韻が残るし、作品として素晴らしいなと感じるときもあります。
 さらに気が付いたことは、そんな良い映画には必ず詩のようなものが流れていることです。画面に映らないから分かりづらいのですが、人の想いや空気感など、何かが胸に届いてきます。

 もう一つの楽しみは詩作です。今さら改めて言うのも可笑しい気がしますが、楽しみというより、自分自身の防波堤のような役目として、永く続けて行けたら良いなと思っています。そして最近、意識するようになったのは、見えないものをどう表現するかということです。
 今までは言葉そのものや、繋がりとしての意味しか気に留めていなかったのですが、果たして自分に必要なのは、別のところにあるのではないかと感じ始めています。

 自己解釈をするなら、日常の会話で言葉の役割は人の想いを五〇パーセントくらいしか伝えられず、私のような口下手だと二〇パーセントくらい。残り五〇パーセント以上の伝わらない部分はこの空間に浮遊していて、そこに本当の気持ちや、夢や希望が存在している。そこを詩で伝えるべきではないかと、漠然と考えています。
 言葉の意味以上のもの、イコール見えないものとして意識していて、敢えて譬(たと)えるなら空想や妄想、ファンタジーと言い換えても良いでしょう。

 ここ四、五年前から、あちこち身体の不具合が出てきて、現実の先行きに心細さを感じている日々ですが、映画鑑賞や詩作で見えないものを感じ、自分なりに表現したいと思っています。それがたとえ現実逃避であったとしても…。
 先に詩を書くのが楽しみと書いたのは、そんな見えないものとの出会いが今後どう生まれるのか、自分への未知への期待感も含まれているのかも知れません。

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10.10.1964 TOKYO OLYMPIC

10.10.1964 TOKYO OLYMPIC


1964年の東京オリンピックの動画を貼ってみました。
このとき、私は何歳だったでしょう?

北京オリンピックの熱戦を期待します。

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着地点

4月からデイケアに通うことにした。
迎えに来てもらって
風呂に入って 体操をして おやつを食べて
面倒くさがりの自分が
ふたたび着地点に降りた。

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野良猫

家のまわりを野良猫がうろついている。
猫は好きだから
声をかけたりすることもあるけど
ときどき木に登ってまで
おれの部屋をのぞき見するなよ。
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地球儀

小さな地球儀を買った。
目につくようにと机に置くと
なんだか気持ちがホッとした。

ときおりぼくの周りが宇宙になり
頭は銀河で台所はアンドロメダか。
ひとときぼくは遠い旅をしてくる。
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日曜日の朝に雪が積もっていた。
今年は2回目だ。
雪はすぐに溶けた。
だいぶ陽がのびてきた。
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今年の冬は

この冬(正確には昨年の11月)
部屋に初めてエアコンを入れた。
それまでは石油ストーブで冬を過ごしてきたが
母の足が不自由になって
石油を運ぶのが大変になったので
スイッチひとつで暖かくなるようにした。

本当はぼくは赤い炎を見ながら足を暖めたい。
暖炉を囲んで家族で過ごすのが子供の夢だった。
きびしい寒波がやって来た夜も
母は居間のコタツで
ぼくはエアコンの部屋でテレビを見ている。
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親知らず ・その弐

正月明けてから10日に親知らずの抜歯をした。
ところが上の部分が欠けて根元が残ってしまった。
だから正確には抜歯は出来なかった。

ちょっと拍子抜けしてしまった。
度胸を決めて望んだだけに
どうせなら全部抜いてスッキリしたかった。
またいつか残った根が痛くなって
抜くなんていうことになると思うと憂鬱だ。
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年賀状

今年は年賀状を出すのが早かった。
いつもなら大晦日になるまでなかなか手をつけないで
放ったらかしにしている。
一度だけ元旦になって書き始めたこともあった。
(本当はそれが正しいようだが)

それが今年は25日前にはポストに投函している。
年賀状の模範生のようだ。
最近手紙を書くことが好きになったからかもしれない。
こまめに葉書を知人に出している。
それはもらい物の礼状のようなものばかりなんだが。
メールのお陰で手紙の味わいが見直せた。

年賀状の心配がなくなったから
もういつ正月が来てもいい。
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