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実況中継

元アナウンサーは
なめらかな口調で話しはじめた
「オリンピックの開会式を担当すると決まり
各国の行進を頭に浮かべ毎日練習しました」

一九六四年 六歳
畑仕事で出払った家屋はひっそりとして
秋の陽がゆるやかに差し込んでいた
二階の片隅で与えられたプラモデルを手に
初めて聴くにぎやかな歓声
小さな好奇心
映し出された只空は
白黒のそれでも青いと感じていたはず

——今日の主役は太陽であります
「第一声はとっさに出てきました
昨夜まで雨でしたからね
毎日練習した賜物です」

さっそうと現れたウルトラマン
施設のある学校に入って
友だちとはしゃいだ
プラモデルは一人で作れるようになった
田畑で忙しい父にせがんで
怪獣映画に連れて行ってもらった
見るものぜんぶに目を丸くした

「私が体操の中継で
ウルトラCと連呼したら円谷さんが
貸して欲しいと頼みに来たんです」

ヒーローが王や長島に代わり
新聞の切り抜きを集め
評論家ばりで勉強はそっちのけ
テレビに映る同じ学年の仲間が
不思議と遠くに思えた
なにひとつ知らなかったけど
未来は明るかった

「いちばん記憶に残っているのは
松山商業と三沢高校の試合です
延長十八回 
四時間十六分の実況を終えたとき
私は感動のあまり立ち上がれませんでした」

見上げると季節は秋
誕生日を迎えた空は
あのとき見た空と同じに澄んでいた
もう畑に人影はない
わがままを通してきた道はかすみ
歪んだ背骨は耐えるばかり
与えたものや残したものはあっただろうか
この場所から歩くことさえ
ためらっている
冷たい風が吹きはじめている

「退職してから脳出血で倒れました
アーしか喋れなかったのですが
毎日練習しました
努力が大切なんです
最後まであきらめない努力なんです
それが大切なんです」

八十二歳の元アナウンサーは
ラジオから力強く語った




*元アナウンサー ・ 鈴木文弥氏(元NHKスポーツアナウンサー。一九二五年~)
*円谷さん ・ 円谷英二氏(映画監督。ウルトラシリーズを製作。一九〇一年~一九七〇年)
*松山商業と三沢高校の試合 ・ 一九六九年、夏の高校野球大会決勝戦でのこと。
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