絵や詩をかいています。
制作日誌
中空授業
雲間が開くと
みんな着席していた
おくれて先生があらわれた
自己紹介がはじまった
ずいぶんと年月が経ち
顔と名前がズレている
変わりばえのない僕を
覚えているだろうか
背の丸い先生は
羊皮紙を配った
ぶ厚い教科書は不要らしい
とたんにさわさわした
えーと、
この前のつづきから
と冗談めいた
ふることをくだり
千年の奇跡を疑った
可笑しなものだな年月って
姿も気持ちも変えてしまう
コノハナサクヤ
秋空と枯葉がまぐわって
宝石にゆらめく枠飾り
にぎやかな森には
もう戻れないみたいだ
いつのまにか伽藍堂
さようなら
次回までは復習をやっておきます
個人詩誌「風の中へ」第1号 2020.12.10
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つながり
ひとくちに「つながり」といっても漠然としているが、ここでは「人とのつながり」を意識してテーマに選んだ。私は人間関係にいちばん小心であり、かつそれをいちばん気にしている。詩を書く理由も、人との出会いを求めているからかも知れない。
三・一一大震災の後、「絆(きずな)」という語が広まった。困難を乗り越える、助け合い、連帯などを一括りに表したものと解していたが、本来の意味は「馬をつなぐ綱」であり、人の行動や自由を束縛することらしい。古事では、あまり良い意味ではないようだ。
人をつなぐ言葉にどのような語があるだろうか。「思いやり」、「仲良く」、「縁」など、在り来たりの言葉しか思いつかない。胡散臭い言葉は幾つかある。「共生」、「多様性」など。本意はよく分からないが、白々しく聞こえるのはなぜか。「寄り添う」にいたっては、添い寝レベルならともかく、少なからず優位性や上下関係を感じてしまう。素直さに欠けるからだろうか、
人は一生の間にどのくらいの人と巡り会うのか。名刺ストックは一冊には届かない。携帯電話のアドレス帳には一〇〇件ほど入っているが、実際に連絡しているのは二、三件だ。消去ならいつでもできると思って、そのままにしている。
街の雑踏ですれ違ったり、買い物で一言二言の声をかけた人数など、偶然やいっときの出会いまで含めたら、一気に広がる。
私は街ブラが好きで、駅前の歯医者の帰りに、一時間ほど散策する。町並みの変化を観察するのも面白いが、何か人混みに紛れる安心感のようなものがある。
萩原朔太郎に「群衆の中を求めて歩く」という詩があるが、あの空気に近いと思う。個々ではなく、人の気配とのつながりとでもいうことか。
好きな作家、あるいは画家など、会ったこともないが、作品からその作家に憧れるときもある。あるいは映画やドラマの架空の人物といった場合もあるだろう。もっといえば、過去となってしまった死者ともつながっている
日々の暮らしは寂しいが、意外に自分の中に「つながり」は生まれているようだ。
三・一一大震災の後、「絆(きずな)」という語が広まった。困難を乗り越える、助け合い、連帯などを一括りに表したものと解していたが、本来の意味は「馬をつなぐ綱」であり、人の行動や自由を束縛することらしい。古事では、あまり良い意味ではないようだ。
人をつなぐ言葉にどのような語があるだろうか。「思いやり」、「仲良く」、「縁」など、在り来たりの言葉しか思いつかない。胡散臭い言葉は幾つかある。「共生」、「多様性」など。本意はよく分からないが、白々しく聞こえるのはなぜか。「寄り添う」にいたっては、添い寝レベルならともかく、少なからず優位性や上下関係を感じてしまう。素直さに欠けるからだろうか、
人は一生の間にどのくらいの人と巡り会うのか。名刺ストックは一冊には届かない。携帯電話のアドレス帳には一〇〇件ほど入っているが、実際に連絡しているのは二、三件だ。消去ならいつでもできると思って、そのままにしている。
街の雑踏ですれ違ったり、買い物で一言二言の声をかけた人数など、偶然やいっときの出会いまで含めたら、一気に広がる。
私は街ブラが好きで、駅前の歯医者の帰りに、一時間ほど散策する。町並みの変化を観察するのも面白いが、何か人混みに紛れる安心感のようなものがある。
萩原朔太郎に「群衆の中を求めて歩く」という詩があるが、あの空気に近いと思う。個々ではなく、人の気配とのつながりとでもいうことか。
好きな作家、あるいは画家など、会ったこともないが、作品からその作家に憧れるときもある。あるいは映画やドラマの架空の人物といった場合もあるだろう。もっといえば、過去となってしまった死者ともつながっている
日々の暮らしは寂しいが、意外に自分の中に「つながり」は生まれているようだ。
個人詩誌「風の中へ」第1号 2020.12.10
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デジタル化は何を変えていくのか?
新聞やテレビで「デジタル化」という言葉を見るようになった。九月に管内閣が発足し、「デジタル庁」の新設を発表した。コロナ渦においてソーシャルディスタンス(社会的距離)が求められ、遠隔操作が普及されつつある。こうした生活形態が、遅れたデジタル化を進める好機となった。
デジタル化はあらゆる電子化による効率化である。いまに始まったことではなく、病院や金融機関の電子カード、パソコンや携帯電話など、見渡せば私たちの生活はデジタルの波にたゆたっている。
たとえるなら、連続した時間の流れがアナログであり、数値化した点を繋げて、視覚化するのがデジタルである。こうして書いている文章もワープロの点集合であり、一筆の字形に見せかけている。身体感覚がアナログならば、人工的な虚構がデジタルだ。はたして私たちの生活は、薄らさむい虚構に満ち満ちていくのだろうか。
デジタル化はすべての人にサービスが平等に提供され、「生活の豊かさ」という名目がある。いずれ、公共交通の自動化、病院の遠隔診療、介護や行政窓口のロボット化など、想像もできない環境が予定されている。裏を返せば、加速する人口減少、少子高齢化、労働力不足など、いびつな社会構造ゆえに、そうせざるを得ない事情というのも見えてくる。はたしてその行く末は、豊かさと結びつくのだろうか。
デジタル化は通信を含む先端技術(テクノロジー)の一部である。耳慣れない専門用語が多いので、素人には分かりづらい。公共事業であっても道路工事と違って、やっていることが目に見えない。「情報は二十一世紀の石油」とも形容されている。個人情報の漏えいや流用も心配である。知らぬ間に、個人が監視社会の囚われの身となる危惧がある。
まるで否定ばかり書き並べているが、私のような障がいをもつ者には、デジタル化は社会参画を可能にする有効なツールとなっている。在宅によるリモートワークや電子機器による意思伝達は、埋もれた能力を開発する選択肢となる。高性能の電動車いすは、生活範囲を広げる一助ともなった。
先日、テレビアナウンサーが「ハンコをきれいに押したときの快感がたまらない」と脱ハンコ化に意見を述べていた。おそらく今までがそうであったように、便利さへの小さな抵抗は時間とともに回収され、生活の一部に取り込まれるだろう。しかし一度進んだら後戻りできないのが、科学の性質である。そのデジタル化はなぜ必要で、それは何のためにあるのか。そのあたりの本質を、注視していくべきだろうと思っている。
デジタル化はあらゆる電子化による効率化である。いまに始まったことではなく、病院や金融機関の電子カード、パソコンや携帯電話など、見渡せば私たちの生活はデジタルの波にたゆたっている。
たとえるなら、連続した時間の流れがアナログであり、数値化した点を繋げて、視覚化するのがデジタルである。こうして書いている文章もワープロの点集合であり、一筆の字形に見せかけている。身体感覚がアナログならば、人工的な虚構がデジタルだ。はたして私たちの生活は、薄らさむい虚構に満ち満ちていくのだろうか。
デジタル化はすべての人にサービスが平等に提供され、「生活の豊かさ」という名目がある。いずれ、公共交通の自動化、病院の遠隔診療、介護や行政窓口のロボット化など、想像もできない環境が予定されている。裏を返せば、加速する人口減少、少子高齢化、労働力不足など、いびつな社会構造ゆえに、そうせざるを得ない事情というのも見えてくる。はたしてその行く末は、豊かさと結びつくのだろうか。
デジタル化は通信を含む先端技術(テクノロジー)の一部である。耳慣れない専門用語が多いので、素人には分かりづらい。公共事業であっても道路工事と違って、やっていることが目に見えない。「情報は二十一世紀の石油」とも形容されている。個人情報の漏えいや流用も心配である。知らぬ間に、個人が監視社会の囚われの身となる危惧がある。
まるで否定ばかり書き並べているが、私のような障がいをもつ者には、デジタル化は社会参画を可能にする有効なツールとなっている。在宅によるリモートワークや電子機器による意思伝達は、埋もれた能力を開発する選択肢となる。高性能の電動車いすは、生活範囲を広げる一助ともなった。
先日、テレビアナウンサーが「ハンコをきれいに押したときの快感がたまらない」と脱ハンコ化に意見を述べていた。おそらく今までがそうであったように、便利さへの小さな抵抗は時間とともに回収され、生活の一部に取り込まれるだろう。しかし一度進んだら後戻りできないのが、科学の性質である。そのデジタル化はなぜ必要で、それは何のためにあるのか。そのあたりの本質を、注視していくべきだろうと思っている。
「Scramble」第169号 2020.12.20
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