絵や詩をかいています。
制作日誌
私の好きな詩
高崎現代詩の会、会誌Scramble98号(2009年2月22日発行)に、
「私の好きな詩」と題してエッセイが掲載されたので、そのまま転載します。
星野富弘さんの視線 書棚を覗くと、吉野弘さんと谷川俊太郎さんの詩集がある。両氏とも比較的分かりやすい文体なので、好んで読んでいる。 もう一冊、星野富弘さんの詩画集がある。詩画という形式なので、純粋な詩として取り上げて良いものかどうか迷ったが、私が出会った言葉として、記してみたいと思う。 神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が 本当に来るような気がした (「なずな」より) 初めてこの詩を読んだのは二十歳の頃で、そのとき前橋の職業訓練施設に入っていた。仲間が就職や進学で離れる中で、自分だけが取り残されていく焦燥感があり、精神も沈んでいた。いかに社会で仕事をして人並みに生活するか、そればかりを考えていた。 たまたま星野さんの詩画展が近くで開かれて、先生の薦めで見に行き、ふと足が止まったのがこの詩だった。この作品だけを見て思ったのか、全体の流れから感じたのか覚えていないが、「俺も頑張らなきゃ」と心の中で呟いていた。 およそ詩とは無縁だった私が、初めて言葉から湧いた感情だった。この詩の希望と親子の在り様が、私の突っ張った心を溶きほぐしたのかも知れない。 詩を書き始めてからも、星野さんの言葉には度々ハッとさせられた。 ひとは 空に向かって寝る 寂しくて 空に向かい 疲れきって 空に向かい 勝利して 空に向かう 病気の時も 一日を終えて床につく時も あなたがひとを無限の空に向けるのは 永遠を見つめよといっているのでしょうか ひとは 空に向かって寝る (「たいさんぼく」より) 動けぬ身体の定点は、落下した精神を一転して上昇させ、空へそして宇宙まで届くほど、伸びやかで自由な跳躍を見せる。それは私に新鮮な発見をも与えてくれた。 また「ひまわり」では、花の形状を甲子園の歓声へと導き、しなやかな視線を伸ばして、架空の旅へと誘ってくれる。 「棘」では「動ける人が/動かないでいるのには/忍耐が必要だ/私のように動けないものが/動けないでいるのに/忍耐など必要だろうか」と煩悶し、「そう気づいた時/私の体をギリギリに縛りつけていた/忍耐という棘のはえた縄が/フッと解けたような気がした」と自身への解放へと着地している。それはその場所に居座る覚悟のようなものとも汲み取れるし、私のように詩を逃げ場所として飛び込んだ者には、胸を突かれたような思いだった。 詩そのものの技巧より、その言葉がどのような過程を通して生まれたかに興味が湧く。詩画という性質上、絵と連動しているため、置かれた言葉は平明で短い。しかし扱うモチーフは花でありながら、死生観、見えないものへの価値、自己への煩悶、家族、他者への想いなど、その事柄は 多岐に及んでいる。そのしなやかな視線は、置かれた現実をどれほど深く見つめたかの結果だと感じる。 これは思い過ごしかも知れないが星野さんの詩は、詩画ゆえの平明さからか、あるいは困難な身体状況が前面に出てしまい、周囲からその独自性や創造性に目が向けられないのが残念だなと思っていたが、先日、本屋で、全集として詩がまとめられて、すでに四年前に発刊されているのを知った。 永く読み継がれるだろう言葉だと思う |
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