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九州男児的北京さんのブログでSARSの頃の北京の某大学の写真がアップされていた。私も会社の帰りにある大学の近くを通ったら、門が閉じられているのを見かけた。門を挟んで話しをしている人や、柵越しに手を伸ばしている人がいました。北京市内のいくつかの大学でも患者が発生して寮や大学自体が閉鎖になっていました。北京市教育委員会でも大学別の患者発生状況が公表されていました。
日本からの出張者は4月中旬から6月末まで誰も来ませんでした。5月連休に日本に帰らない連絡をしたら、みんなに「そうした方が良い」と言われたものです。
SARSの頃に高熱を出してしまったらどうなったか?我が家で経験したことをお話しします。
03年6月下旬のある日(6月に入って北京での感染者は5人くらいで、全て院内感染と発表されていたと思う)、職場の同僚と日本料理屋で飲み始めた時、突然携帯電話が鳴った。嫁さんから、
「息子が突然39度の熱を出した。とりあえず、帰って来て欲しい」とのこと。
同僚には発熱のことを伝えて帰宅することにした。大急ぎでタクシーに乗ってアパートに戻った。部屋にいた息子は、ぐったりしていた。
どの病院に行って良いのか分からないので、いつも利用する医療サービス会社に電話をした。担当の人に息子の発熱を伝えて、近くの病院に訊いてもらった。しばらくすると、その病院では39度以上の発熱では、診察してもらえないとのこと。高熱が出たときに、診察してくれる外国人用1次診療機関が3箇所あり、そのうちの一つに行くことにした。
医療サービスの人も付き合ってくれることになった。一旦、アパートに来てくれると言ってくれたが、30分ぐらいかかるとのこと。そんなに待てないので、病院で待ちあわせることにした。病院にも連絡してくれた。でも、病院まで歩いていくことが出来る距離ではない、救急車を呼ぶにしても言葉が通じない。仕方がないので、タクシーを捕まえて病院に向かった。
病院に着いてロビーに入り、受付で初診に関する書類を作成した。普通は医療保険請求用書類にサインするだけであった。このときは、「もし、医療費が支払えないときは、あなたの会社で費用を負担することを承諾する」旨が書かれた書類も出てきた。会社を代表している訳でもないのに、サインをしても何の効力も無いのになあと思いながら、この書類にもサインした。この病院では普通かもしれない。受付が終わった後に、病院の外の別の棟に移動するように指示を受けた。病院を出るときにマスクを渡された。(遅すぎない?)
別の棟に行くと、2階に上がるように言われた。処置室に案内された。その頃、医療サービス会社の人もお二人で来てくれた。彼らもマスクをもらっただけだった。
20分くらい待っても診察に来ない。医療サービスの人が、見に行ってくれた。部屋の外で着替えているらしい。それから10分程して、お医者さんと看護婦さんが来た。(写真のような)全身を覆う防護服、目の部分は開いてましたが、ゴーグルをしていた。お医者さんは欧米人、看護婦さんは中国人のようだった。診察が始まった、お医者さんが英語で尋ねると看護婦さんが中国語で話し、それを医療サービスの人が日本語に訳してくれた。でも、英語でも簡単な単語なら我々でも分かった。聴診器で息子の胸の音を聴いていたが、耳の部分も防護服で覆われていて、聴診器の先が耳に届いてなくて本当に聴こえているのか疑問だった。耳の部分を破ってやろうかを思った。呼吸音が正常で、のどの炎症も無く、発熱だけでSARSでは無いとのこと。解熱剤を処方するので、それを飲めと言われた。お医者さんの診察は、これで終わり。10分ぐらいで終わった。
最初に来た病院のロビーに戻って、解熱剤(TYLENOL)を処方してもらい、医療サービス会社の人にお礼を言って別れて、アパートに戻った。部屋で薬の箱の説明を見ると6歳からと書いてある。うちの息子は当時4歳、おまけ錠剤は初めて、飲ませることが出来ない。半分に割って氷砂糖と一緒にだましだまし飲ませた。
翌日、熱は下がり元気になった。念のために幼稚園は休ませた。病院に行った事は、意識が朦朧としていて覚えてないらしい。
長文、失礼しました。
日本からの出張者は4月中旬から6月末まで誰も来ませんでした。5月連休に日本に帰らない連絡をしたら、みんなに「そうした方が良い」と言われたものです。
SARSの頃に高熱を出してしまったらどうなったか?我が家で経験したことをお話しします。
03年6月下旬のある日(6月に入って北京での感染者は5人くらいで、全て院内感染と発表されていたと思う)、職場の同僚と日本料理屋で飲み始めた時、突然携帯電話が鳴った。嫁さんから、
「息子が突然39度の熱を出した。とりあえず、帰って来て欲しい」とのこと。
同僚には発熱のことを伝えて帰宅することにした。大急ぎでタクシーに乗ってアパートに戻った。部屋にいた息子は、ぐったりしていた。
どの病院に行って良いのか分からないので、いつも利用する医療サービス会社に電話をした。担当の人に息子の発熱を伝えて、近くの病院に訊いてもらった。しばらくすると、その病院では39度以上の発熱では、診察してもらえないとのこと。高熱が出たときに、診察してくれる外国人用1次診療機関が3箇所あり、そのうちの一つに行くことにした。
医療サービスの人も付き合ってくれることになった。一旦、アパートに来てくれると言ってくれたが、30分ぐらいかかるとのこと。そんなに待てないので、病院で待ちあわせることにした。病院にも連絡してくれた。でも、病院まで歩いていくことが出来る距離ではない、救急車を呼ぶにしても言葉が通じない。仕方がないので、タクシーを捕まえて病院に向かった。
病院に着いてロビーに入り、受付で初診に関する書類を作成した。普通は医療保険請求用書類にサインするだけであった。このときは、「もし、医療費が支払えないときは、あなたの会社で費用を負担することを承諾する」旨が書かれた書類も出てきた。会社を代表している訳でもないのに、サインをしても何の効力も無いのになあと思いながら、この書類にもサインした。この病院では普通かもしれない。受付が終わった後に、病院の外の別の棟に移動するように指示を受けた。病院を出るときにマスクを渡された。(遅すぎない?)
別の棟に行くと、2階に上がるように言われた。処置室に案内された。その頃、医療サービス会社の人もお二人で来てくれた。彼らもマスクをもらっただけだった。
20分くらい待っても診察に来ない。医療サービスの人が、見に行ってくれた。部屋の外で着替えているらしい。それから10分程して、お医者さんと看護婦さんが来た。(写真のような)全身を覆う防護服、目の部分は開いてましたが、ゴーグルをしていた。お医者さんは欧米人、看護婦さんは中国人のようだった。診察が始まった、お医者さんが英語で尋ねると看護婦さんが中国語で話し、それを医療サービスの人が日本語に訳してくれた。でも、英語でも簡単な単語なら我々でも分かった。聴診器で息子の胸の音を聴いていたが、耳の部分も防護服で覆われていて、聴診器の先が耳に届いてなくて本当に聴こえているのか疑問だった。耳の部分を破ってやろうかを思った。呼吸音が正常で、のどの炎症も無く、発熱だけでSARSでは無いとのこと。解熱剤を処方するので、それを飲めと言われた。お医者さんの診察は、これで終わり。10分ぐらいで終わった。
最初に来た病院のロビーに戻って、解熱剤(TYLENOL)を処方してもらい、医療サービス会社の人にお礼を言って別れて、アパートに戻った。部屋で薬の箱の説明を見ると6歳からと書いてある。うちの息子は当時4歳、おまけ錠剤は初めて、飲ませることが出来ない。半分に割って氷砂糖と一緒にだましだまし飲ませた。
翌日、熱は下がり元気になった。念のために幼稚園は休ませた。病院に行った事は、意識が朦朧としていて覚えてないらしい。
長文、失礼しました。
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