前回、母方のお祖父さんを想って書き残しましたが、私の性格には父方のお祖父さんの血が色濃く引き継がれていると思うお話です。
私の父方のお祖父さんも、明治生まれで無口な人でした。最初の奥さんとの間に長男である私の父と弟が出来たものの弟の出産時に亡くなり、二人目の奥さんと再婚しその後に4人(3男1女)をもうけました。大東亜戦争に行って米軍の爆撃機を1機撃墜した話を良くしてくれました。生活は着物で過ごし洋服は仕事に行くときくらいだったと思います。尺八をよく吹いていました。先祖からの鎧や刀を大事にして特に刀の手入れする姿は凛としていました。剣道をやって槍もついていました。仏壇の部屋には槍が、床の間には刀があり泥棒や強盗がきたらこれで戦うと言ってました。和歌を詠んだりもしていました。女性が好きで外にも何人か囲っていた人がいたようです。戦前は地主でお百姓さんからの米が水路を通って舟で蔵に大量に納めに来ていた事を話してくれました。戦後は土地も無くなり市役所で働いていましたが、残った土地を切り売りしながらの生活でした。自分で小さな畑を作って人糞肥料で野菜を作っていました。お祖父さんは自分の生きた時代を大いに楽しみながら生きたものの、敗戦によって生活が大きく変わり苦労し歳をとると祖母さん叔父さん叔母さんから昔の女性事で色々言われて可哀そうでした。
私の事を可愛がってくれました。子供の私に絵本を読んでくれたり、刃物の使い方や火のおこしかた、畑の虫や野菜について教えてくれました。奥さん選びの重要性、母親の子供の教育や躾の仕方で、子供の父親への感じ方が大きく異なることの反面教師でもあったかもと思います。
私も、女性が大好きな男性です。
どちらかというと柔道よりも剣道が好きで、刀や鎧が好きで働かず自分の好きな事をしていたい人です。お祖父さんと違うのは、既に先祖からの遺産は何もなかった事で土地に縛られることなく自由に仕事を選ぶことが出来、文句を言わない素敵な奥さんと一緒になった事と家庭外に囲いの女性もいなかった事。日本には戦争がなく平和な時代を謳歌できた事だと思います。
自分の人生で、唯一自分での選択肢が無いのが戦争です。
私が子供のころ怖かったのは、それまで何十年か毎に起こっていた戦争が自分の青年時代に起こってしまう事でした。その場合は戦場に行かなければならなくなる場合が来ますが、その時には戦う勇気として妻や子供を守るという意味が欲しいと思っていましたが、日本は平和が維持され発展もでき幸せな時代を生きてこれました。
しかし、今もしも戦争が始まれば、想像もできない運命が訪れるかもしれません。本当に恐ろしいと思いますが、それでも侵略国家には、戦って返り討ちにしないと分からない連中だと思います。私もこの歳になり目も耳も体力も落ちてしまいましたが、そうなった場合には何か役に立ちたいと思います。何が出来るのか自分でも分かりませんが。。。でも流石にウクライナみたいに自分の住む地域が戦地になれば、銃をとって立ち上がるつもりです。こんな気持を日本国民全員が持っていれば、相手国は事を起こしても勝利するのは難しいと思うでしょうから、日本は平和を今後も維持できると思います。日本人が、攻められても戦う姿勢も見せず、日本国内で戦争反対運動、国外逃亡準備等の反戦思考に陥る時が一番危険な状況だと思っています。
ご先祖様から代々受け継いできた私の身体にあるDNAと日本という土地を今後も子孫に大切に受け継いでいって欲しいと思っています。
PS.
先日、故郷の同級生の友人の突然死の連絡があったと書きましたが、今度は1歳先輩の突然死の連絡がありました。ほかにも同級生や年下の現役世代の病気の話も聞いています。病気には打ち勝って健康を取り戻して欲しいと思いますが、そういう話を頻繁に聞く年代になってしまったのか、私はまだまだ若いつもりですが人生は振り返ってみると案外と早いものだとも思います。身体が動くときに思った時がタイミングだと考えて、いろんなことに挑戦を続けていきたいと改めて思わされました。