サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

友人からの電話の訳

2024-10-02 07:00:00 | 人生について
ふと気が付きました。

最近、私の地元の友人から長く連絡とっていなかったのに急に電話があり、それでも何か用事がある訳でもなく、また会って一緒に酒でも飲もうという話で終わる訳です。先日で4人目でしたから、ふと「これは何かあるのかも」と思い始めました。お互いの守護霊様やご先祖霊様同士が、何かの理由で会わせようとしているのかも。まさか私自身の寿命が近いのか?等と、悪い方にも考えてしまいますが、きっと何か理由があるんでしょう。

地元に帰るのも飛行機が一番安上がりというほど遠い九州なので(夜行バスが安いかも)お金もかかる事もあり、また私自身が今住む関東が私の子供達の盆暮れに帰省する場所になっていて、余計に地元に帰る機会がなくなってしまう訳ですが、それでも時間を作ってこの不思議な一連の電話の理由が何なのかを確かめる為にも、故郷に帰ってみようかと思い始めています。




都市伝説?予言?2025年7月の日本の大災害の話

2024-10-01 07:00:00 | 人生について
都市伝説

以前、このブログでも触れた2025年7月に起こると言われている日本の大災難について、先日メキシコ帰りの友人と話している時にも、この話が彼女の口から出てきたのでびっくりした件。

様々な話を彼女としていた中で来年の帰国スケジュールの話になった時、思わぬ発言があり僕らもびっくり。「来年は日本の夏は暑いので少し早く帰国しようと思っていたけど、7月の日本での噂って知ってる?やっぱり心配だから8月以降にしようと思うけど、8月は暑すぎるし。。。」例の7月の津波の件は海外の日本人界隈でも話題になっている様子です。彼女曰く、アメリカ在住の彼女の友人と来年の日本への帰国日程の話をしてたところ、その人も来年の7月は例の話があるから、7月以降に予定しようと考えていると言っていて、海外の日本人社会では多くの日本人が気にしているようで、日本国内ではどんな感じなのか聞かれましたが、私に聞かれても答えられる訳もなく、そもそもその話題の元は何なのかを聞きました。

私が知っているのは、漫画家のたつき諒の「わたしが見た未来(完全版)」とペンキ画家のショーゲンがアフリカのシャーマンから教わった話で、共に2025年7月5日と全く同じ予言だったので用心を始めたのですが、彼女はこの話は知らなくて、前世の記憶がある子供がしゃべってた話が元だと言います。かいつまむと、・その子はお母さんを選んで産まれてきた。・日本に子供が産まれるのが減っているのは、みんな流されるのを知っているから。・流されるのは僕も流されて、それは僕が中学生になった時。と小さな頃話していたようで、その子が来年中学生になるそうです。




ここまで、全然出所が異なるのに、話の内容が一致してしまうので余計に鳥肌もんです。私は、過去からの実績抜群のたつき諒先生の夢予言が一番恐ろしくも、その大津波の原因等にも触れられていて、もしも本当にそんな事が起きてしまうと、日本のみならず太平洋の諸島国家、ハワイ、フィリピン、台湾、中国沿岸地域等々にも壊滅的な被害が出るはずなので、それぞれの国家が他国への援助どころではなくなると思います。そうすると甚大な被害があった日本でも全て自国で対処せざるしかなくなります。であれば、少なくとも自分自身は事前に対処しておき被害者にならない様にし、逆に被害に遭われた人を助けられる側になれるようにしておかなくてはと、暇人の爺は思う訳です。

勿論、ノストラダムスの予言の時のように、何事もなく過ぎてくれて「あの話も都市伝説だったね」と、のちのち酒のみ話として楽しく話出来るんですがね。


第二の人生 人の身体の中に中身はあるのか

2024-07-20 07:00:00 | 人生について
歳をとってきて身体と中身について違和感が出てきました。

自分の歴史を振り返って思い出してみると、まあ嬉しく楽しかった事よりも悲しく目を覆いたくなるような黒歴史もあったりとする訳です。
そして、それはいつも自分の中身についてなんです。外側の身体も変化していきますし例えば10代や20代の時のバネのある肉体や30代の筋肉が良い具合についていた時なども思い出そうと思えば思う出せますが、だから何?って感じで、どんな思いでも自分の中身で記憶しています。
*ここで言う中身とは、肉体に対して、自分の精神や魂とか想いとか。

多分、誰もが自分の過去を思い出すときは、余程の事が無い限り自分の外側ではなくて、中身を思い出すと思います。そして、振り返ると外側と中身とはどちらかと言うと若い頃は外側の身体を持て余していました。外側が若くて中身が先に進んでいる様な感じです。それが年齢を重ねて行くと、だんだん外側が中身に追いついてきて自分的にちょうどマッチしていた年齢は55歳前後だった様な気がします。その頃は、勿論若い頃と比較して体力は落ちているので肉体的には寂しくはありますが、外側と中身がちょうどいい具合にマッチし鏡に映る自分を見てもあまり違和感は有りませんでした。

そして今は、とても違和感があります。若い頃とは逆に感じています。つまり中身に対して外側が年老いています。世の先輩方に、「自分の精神年齢は今幾つくらいのままですか。」と質問すると大体40歳前後の答えが多い様に思います。「外側と中身がマッチしていたのは幾つくらいですか」と聞きたいですがとても変な質問の仕方になるので実際聞いたことはありません。でも実は一番知りたいところです。

私が思っている、人は中身と外側は別物だと考えると、「この身体もとうとう古ぼけて来たなあ」って事になりますが、そういう感覚の人がどれくらいのレベルでいるのかとても興味あります。この歳になってやっと「はっ」と気づくくらいですから、多分若い人はそんな感覚はまだ無いと思います。この感覚を例えていうと、好きなスポーツカーを買って毎日ワックスかけて街乗りして人目を引いて高速道路では加速も良くてスピードも出て最高の車に乗って気に入ってたけど、10年後くらいにエンジン含めあちこちに故障も出始め「維持費もかかるしこの車も手放そうかな」と考え始めているオーナーの気分。このスポーツカーの外側は人気俳優の木村拓哉さんとして、私の場合の外側を車にしたら日産サニーやトヨタカローラになる訳ですが。。。

神さんにも良く説明して聞いてみたら、同じような事を思っていた様でした。もし、外側と中身は実は別物理論は仏教などに言う輪廻転生になってしまうんでしょうが、世界には自分の過去生の事を覚えたまま産まれてきている子供も多いと聞くので私のこの感覚も案外と的を得ているようにも思えますが。因みに初孫君はおしゃべりは凄くするようになりましたが、この手の事は何も話さないので、2人目の孫くんがおしゃべり始める2年後に期待したいと思います。




第二の人生 男のわがまま

2024-06-14 07:30:00 | 人生について
昼食の外食で感じてしまった事。

ここ最近、神さんと外出しても、お昼には帰って来て家で昼食食べるか、外ででもコンビニおにぎりやパンを買って公園や車の中で食べていました。そりゃ働かざる者食うべからずだもの、しょうがないよねって感じで。でも、昼食時の街中の周りの老若男女を観察すると、皆お昼時は食堂やレストランで楽しそうに昼食をとっている。

今回、外出したのは、神さん方の姪っ子の結婚式出席のための貸衣装予約の為に街中に車でお出かけ。予約が済んでお昼過ぎてたので、スーパーでパンでも買って車の中で食べながら帰ろうかと話していたが、昼時の周りを見回すとなんだか妙に切なくなって、久しぶりにお店で食べて帰ろうという事にした。神さんは嬉しそうなので、私も少しうれしい。レストラン街に行ってどこのお店にしようかと迷いながら中華レストランに入った。それぞれ約1,500円程のランチ定食を注文した。子洒落たお店で、私らはすごく贅沢している感じだったけど、他のお客さんは普通にお昼ご飯を食べている感じで、それを見て私は神さんに普通の生活もあまりさせてあげれてないのかと少しショックも感じてしまったんですよね。やっぱり周りの人達みたいに収入の為に働かないといけないのかと悲しくも思ったり。

でも、自分が仕事を辞める時に「これから死ぬまで遊びつくす」と思っての新生活を始めたので、出費に凹凸が大きく現れるのは仕方がないし、そもそも今更人様に使われる仕事はしたくないしと、男のわがままを貫き通したくもあり。年金支給年齢になれば今よりもましな生活は出来そうな気はするが。。。それまでもつのかと不安も頭をよぎったり。

本当に、男は(私だけかもだけど)見栄っ張りで良いかっこしいで頑固者でと、自分に嫌気も感じる。それでもちゃんと立ててくれる神さんにも娘達にも、こんな旦那や父親でごめんねという気持ちと、感謝の気持ちとを感じたある一日でした。


第二の人生 自分の幸せについて

2024-05-17 07:30:00 | 人生について
贅沢な考えですが、少し悩んでいます。

私の第二の人生について。哲学的な考えも含んでしまいます。
私は、人間は肉体と魂から創られており死後は肉体を脱ぎ捨て魂のみとなる。前世も生まれ変わりもあると強く思っています。今世では前世のカルマみたいなものを解消するためや、魂磨き、肉体を持った幸せの謳歌等の理由がありそうだとは思いますが判断付きません。

でも、私は人間として地球に、日本に産まれた幸運な人として、人生を楽しむことが産まれてきた理由だろうと思い、第二の人生を送れる年齢となった今、この肉体の為に自分の心奥底の願いや希望に声をかたむけ、挑戦したい事、知りたい事、見たい事への行動を始めています。一方、私が自分勝手な自由な行動を求めれば、特に神さんや娘達を不幸にさせてしまう恐れもあり、かなり節制してバランスも考えています。私の周りにで私の考えに一番近い考えをしているのは、神さんであり娘達なので世間的には理解しにくい人間なのかもしれません。

多分、自由な時間を手に入れる事が出来た大人は、意識しようとしまいと自分の好きな楽しい事に時間を費やしている人は多いと思います。ですが私より1年先に自由になった先輩が言っていました。「仕事から解放されて自由になったが暇でたまらない。図書館へ行ったり、買い物してみたり、ボランティア活動してみたり、〇〇教室へ行ってみたりしたけど、どこに行っても多くの我々と同年代が暇を持て余している。」と。自分の本当にしたい事が分からずに、人生で一番自由になった時間を漂流しているんだと思いました。

さて、当の自分ですが先の先輩が見ている同年代と比較したら、多分目的を持って生きている分は幸せだと思います。ですが日々の暮らしは全く持って暇で退屈なんです。私は1年を通して世界の自然や歴史遺物や文化に身体を震わせるような感動する日常を欲しています。1年に1回程度の1月ほどのバックパック旅などとても満足できるものではなくて、本来なら1年中若しくは半年以上が希望ですが、今はせめて年間2回か、1回で2か月間の旅をすることで手を打ちたいと考えているところなんですがなかなか難しい。人の身体と脳の老化は待ってくれません!