サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 ブルーベリーの挿し木の現在

2023-04-28 16:46:30 | 果樹園
ブルーベリーの苗を買ったら、小さな苗でも500円もしたので、たくさん植えてジャムを作りたい私は、自分で苗づくりから始めました。少し大きなものは1000円もしますし、大株だと2000円以上もします。

山ノ上の山小屋で育てている大きなブルーベリーから枝を1本切って、その枝を挿し木用にカットするんですが、発芽用の芽を1~2個つけた長さでカット。根が出て欲しい土の中に埋める部分を斜めにカッターで切りなおして水につけて準備。一方、植える容器は安いポリ容器に鹿沼土を入れて準備、そのポットを洋服などを押し入れに入れる容器に23個入れて持ち運びと簡易ビニルハウス用に準備して挿し木しました。挿し木して根がなかなか出ないようですから、通常春に挿し木して秋頃に根が出て地植えできるようになるそうです。ポイントはその間の毎日の水やりが必須で絶対に乾燥させては駄目だそうです。山ノ上で準備をし、外は寒いので蓋をして温めていました。そして町の家に降りてくるときはそのまま彼女らと一緒に降りてきて、町は気温が高いので蓋は外しています。


この頃は、挿し木して10日ほどで、まだ芽は出ていません。

一昨年、ブルーベリーの剪定で切った枝をそのまま土に挿して増やそうと思いましたが全滅。昨年、ブルーベリーはなかなか根が出ないので挿し木は素人では難しいと聞き、ダメもとで水耕栽培の要領で数本をテストしてみたところ3本から芽は出ましたが一向に根が出ません。水を交換しながら根が出るまでと頑張りましたが、結局根が出ることはなく全滅しました。この経験とYouTube先生の指導の下、今年は上記要領で実験中です。根は本当に出にくいようで、枯らさないように水やりながら管理しています。うまくいけば今秋に根は出てくるとは思いますが、そのまま寒い山ノ上に地植えしたら枯らしてしまうと思うので、そのままのポット状態でまだ山よりは暖かい町の家で冬を越させ、来年の6月頃の梅雨入り頃には山の上も少しは暖かくなっていると思うので山の庭に地植えしたいと思います。


現在、23パック中22パックから順調に芽が出てきているので、今のところ大成功だと思いますが、枯らさないように毎日の水やりをちゃんと出来るのかを今から心配しています。もしも途中で旅行などに行く場合の事が心配です。

もしのこの方法でうまくいった場合、ブルーベリーと比べても更に増やすことが難しいと言われているコシアブラに挑戦したいと思っています。因みにコシアブラ、一昨年の挿し木は全滅、昨年は木を折らず皮を少し剥いでその部分を土で覆った根出しも失敗、新たに1本1000円の小さな苗を買って地植えしても枯らしてしまいました。今年は、枝を裂きコケで覆って根出しに挑戦中ですが、うまくいっても効率が悪すぎて、挿し木で何本もいっぺんに増やすことが出来たら最高なんですが。。。。

第二の人生 甥っ子の結婚式は楽しかった

2023-04-26 12:07:00 | 日記
コロナ騒動が終息となり、やっと日常が戻りつつあります。

神さん方の甥っ子の結婚式が、日常スタイルで行われて私も大いに楽しんできました。昔の結婚式のスタイルでした。会社の関係者は招待していないのに出席者数も約150人と多く、親族と友人関係で大騒ぎのお祭り騒ぎで私もしっかり楽しんできました。最初の両家一族の写真撮影13:30分スタートから、神社での結婚式、その後お披露目のパレードでは観光客や沢山の花婿花嫁の友人知人が祝福の大声援、そのまま披露宴が開始され16時から解散の20時まで長時間のお祭りでした。その後の2次会は実家である本家の大広間で20:30分頃から行われて、26時までみんな飲んだくれていました。田舎とはいえ流石に多人数での長時間の結婚式大宴会など何十年振りで、もうこんな結婚式は最後だろうと思います。費用もびっくりするような金額のようでした。甥っ子夫婦の新しい家庭に幸多からんことを心から願っています。

田舎に帰ったついでに短い時間で、私の実家の母にも家族一同で顔を見せることも出来ましたし、この3年間のうちに亡くなった叔父さん叔母さんの仏壇にお参りにも行けたし、同級生の友人にも3人結婚式で会う(神さんとは同郷なので私の友人も親戚で出席したりしています)事も出来ましたし、素晴らしい命の洗濯が出来ました。親戚や友人たちの日常の様子や、少しの間に地元の景色が変わっていて、色んな事を考えました。

私は都会での生活が長くなって、ある意味で生きる事とは弱肉強食が当たり前になっていましたが、それが個人の幸せにつながるとも思ってはいませんでした。今回、田舎で見て聞いて感じた事は、生活様式を豊かにするにはやはり弱肉強食の世界で勝たないといけないという現実を見せられはしましたが、同時に人の心の幸せは、日常の人と人の暖かい繋がりなんだとも確信しました。そんな事を感じさせてくれた意味でもこの機会を作ってくれた甥っ子に感謝です。


今回も沢山の本当に美味しいものをお腹いっぱい食べてきました。
毎日の飽食でお腹いっぱいにもかかわらず、帰りの飛行機の時間の少し前に福岡市内でお昼を食べようと早めに出発して、選んだのは天麩羅「ひらお」でした。そして定食はいろどり定食で、イカの塩辛もたくさんお代わりして食べてきました。お昼前になると大行列になるので早めの11時20分頃に行ったのですが既に20人くらい並んでいましたが11時30分過ぎにはおおよそ50人以上の行列に伸びていたので、タイミング的にはギリセーフでした。11時45分くらいには席に着けて、美味しくお昼を頂くことが出来ましたが、量が多過ぎて最後は無理矢理胃に入れた感じです。行かれる方は、朝飯抜いて行くか、ご飯は小にするべきですね。


帰りの飛行機ですが、福岡発羽田着のANA便でしたが、運よく羽田空港滑走路に西側から着陸しました。私達は飛行機の左側に座っていたんですが、窓から見える景色が都内の高層ビル群を直ぐ近くに見、スカイツリーも東京タワーも眺めて最後にはレインボーブリッジやお台場を見ながらの着陸でした。太平洋側を進んだ後に銚子あたりで千葉市や松戸市上空を飛んで内陸に進み、左回りで降下していったので新宿や皇居周りの丸の内や銀座のビル群なども良く分かりました。唯一残念だったのは天気がどんよりと曇っていた事でした。晴天だったり夜景が見える時間帯であればそれは素晴らしい景色だと思います。
今まで数多く羽田着の飛行機には乗ってきましたが、いつも東京湾側からのアプローチがほとんどで、都内上空を通って街側からのアプローチは私にとって2回目で、神さんにとっては初めての景色だったので得した気分でした。

今回の帰省も、充実したものに終わりました。感謝です。

第二の人生 母方のお祖父さんの思い出

2023-04-21 14:07:54 | 人生について
最近、私の母方のお祖父さんの事をよく思い出します。
お祖父さんは、明治生まれの九州男子を地で行くような人でした。米と井草を作るお百姓さんでした。馬も数頭飼っていた馬も好きな人でした。柔道家で耳が潰れていました。骨接ぎも今でいうボランティアで行っていました。筋肉隆々で怒ると怖かったですが絶対に暴力はふるった事はなかったように思います。醤油や味噌やどぶろくも作っていましたが、近所の人からどぶろく作りを密告されてからはどぶろく作りは止めました。笑った顔がくしゃくしゃで私にはいつも笑っていました。空を見て風を見て次の日の天気を当てていました。私が聞くと丁寧に教えてくれていましたが忘れてしまいました。お祝い事があると中心に座り多くの子供達や分家の人達に囲まれてお酒を飲んで笑っていました。
ある意味、私はお祖父さんの中に理想の男の姿を見ていました。結局、私も私の記憶にある元気だったお祖父さんの歳くらいになりましたが、全然追いつけていないように思います。だから、最近よく思い出すのかもしれません。

私は、自分の子供たちにちゃんと男の姿を見せているんだろうか。孫にも大人になって思い出してもらえるようなお祖父さんになれるのだろうか。こんなだらしない短気な小心者の私を見られたくないような、見て欲しいような。そんな事を思っています。

第二の人生 もしかして黄疸?と久しぶりの日曜大工

2023-04-20 11:49:35 | 日曜大工
記録のために残しておくことにします。

黄疸について。黄疸とは体に現れたら超絶にやばい状態だと認識しています。
自分では認識したくなかったんですが、もしかしたら出ていたかもしれません。
場所は、右胸の上部に10㎝四方と右の胸下から腹部分に向かって幅が10㎝長さは20㎝くらい。白眼は黄色くなっていないので黄疸とは言い切れません。
神さんから先日指摘され娘からもやばいと言われました。自分でも「あれ?」と1週間ほど前から気は付いていたんですが見ないふりしてました。今は消えています。
少し前に体調悪くてだるくてなかなか治らないと当ブログにも記録していましたが、ちょうどその頃に現れてたので、今思うと恐ろしい事だったのかもしれません。今は、どこかにぶつけて、痣が出来てたんだろうという事にしていますがぶつけたような事が記憶にないんですよね。でも、自分の身体が望んだ通りにプチ断食して治した実績として書き残しておきます。

神さんから指摘されて、次の日にかかりつけの医院に行こうとしたんですが、休院中だったので翌日に延ばしたんですが、胸の上部が少し上が薄くなってきて様子をみようという事にして、それから3~4日で消えました。あの時に病院行ったら色んな検査されて入院や色んな薬を出されたら、それこそ本当の病人になっていたかもとも思います。これからは身体からの声にもっと頻繁に耳をかたむけるようにしたいと思いました。人生一寸先は闇とはこの事です。私のこれからの人生設計が足元から壊れかかるかも知れなかった場面でした。逆に、本当にしたい事は思い立ったら吉日、直ぐにやらないと、いつ人生の岐路が訪れるのかわからないと教えられた感じです。



街の古い家ですが、購入してから日曜大工で少しずつ自分好みの家に改造してきました。5LDKなのですが、20年以上かけて増築された1部屋を除く4部屋は窓や壁、床も剥がして、トイレも脱衣所も、流石に風呂場とキッチンの流しは業者に依頼しましたが、最後に残っていたのが1階の廊下の床と天井でした。床はまだしっかりしていたので、今回は天井のリフォームに取り掛かりました。天井を落として、屋根裏をなくして屋根をそのまま天井にしてしまう感じです、天井が高くなって雰囲気がかなり変わります。費用は材料費のみですが4万円弱でおさまりました。今回は材木の値段がびっくりするくらい上がっていたので、一番の見どころは安い表面仕上げも行われていない野地板の表面をバーナーで焼いて仕上げ材に流用した事です。元の天井の写真を撮っていないのですが、途中から記録しておきます。既に屋根に発砲断熱材を入れて天井板を貼り付けて仕上げているので、あとは元の天井から新しい天井までの間に出来た新しい壁を作るところまで来ています。ここが出来上がったら、残りで気になっている場所は和室の襖紙でできた襖を1枚板に替えたいと思っています。でも、気持ちは山小屋とコロナも終わったので5月以降の海外に向かっているので出来るか否かは分かりません。


第二の人生 昼食を食べてて感じた事

2023-04-18 19:40:57 | 人生について
私は古い考えかもしれませんが、男性と女性についてです。

まず、私は男性は女性を守るべきだと考えています。

私の育った環境は、父が働き母は専業主婦で家庭を守っていました。私の幼い頃には、既に母親が外に働きに行くのはまだはしりの時代でしたが、私が家に帰るといつも家に母がいて本当にほっとしたものでした。私が社会人になった現役時代は、ほぼ共働きの世の中でしたが、私は神さんには家にいて私の母のように子供たちに暖かい家庭の雰囲気を作ってもらいたかったので、専業主婦で家を守ってもらいました。私の兄弟にも母親は家にいるものとして子育てするようにと意見を発していました。
私の娘達にも母親になったら家にいて欲しいとは思いますが、どうも共働きをするような雰囲気です。今の時代ではそれが普通なんでしょうか?

今のご時世、男女平等とかLGBTとか言われています。仕事で働くという事はとても厳しいもので、ほとんどの人は仕事は嫌いでストレスを感じているのではないでしょうか。でも自分達の家庭を守るためには、最悪でも誰かが働いて収入が必要になると思いますが、そんな時は男性たるもの嫌な仕事を女性に押し付けるべきではなく、男性が引き受けるべきだと思っています。なので共働きするとしても、どちらが主として仕事するのか事前に決めておく必要はあると思っています。勿論、夫婦共に定年の最後まで働けたら良いのですが、それまでの間には、お互いの転勤や育児や家事などを助け合う気持ちが重要で、お互いの思いやりと愛情が必要だと思います。

でも一般的には、旦那様が一生懸命に奥さんを守っていても、奥さんは家庭では旦那様よりも強くたくましいようです。それが家庭の平安を保つ秘訣かも。日本は、男女ともに世界のどの国と比べても幸せじゃないかなと思います。

しかし、とても気になる事がありました。家で昼食とっているととても質素なんですね(晩御飯も同じですが)。おかずが前日の残り物とか、漬物とか即席お茶漬けとか。神さんの昼ご飯は昔からずっとこんな感じだったそうです。それでも美味しいってニコニコして食べています。私が働いていたころの昼食は事務所近くの食堂やレストランに都内の美味しいお店の探検や、国内外の出張時には地元の美味しいものの食べ歩き。今、昼食を一緒に食べていると、自分だけ美味しいものを食べていたなんて、なんだかとても後ろめたい気持ちになったりもします。もしも神さんも外で仕事していたら色んな食事を食べたであろうと思うと特にそんな気分になります。

こんな事を思っていると、何が正しいのか、何が幸せなのかが分からなくなります。娘たちには幸せな生活をおくって欲しいと思いますが、それは私が決めるものでは無く、彼女達がそれぞれ相手と話し合って、自分の家庭の幸せルールを作り上げていくしかないんでしょう。

私の親も私に対してこんな事を思っていたんでしょうか。
先祖代々の親は子供を、孫を同じように想っていたんでしょうかね。でもいつの時代も男性は女性を守っていたと思うのは譲れないんだよなあ。