サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 リーマンが都内で家を持てるのか!

2024-03-13 07:30:00 | 日記
都内の住宅事情にびっくりしました。

2人の娘夫婦共に共働きしています。4人共に仕事先の会社住所は都内ですがみんなばらばらの場所です。そして2組共に賃貸住宅に住んでいます。旦那様の年齢から考えると、もう自宅を購入しても良い年齢になっていると思いますし、2組ともに自宅は欲しいと考えて長女夫婦は探し始めていると言っています。本来なら都内は値段が高いので西の神奈川県か東の千葉県、北の埼玉県の住宅街に候補地を探せば良いと思いますが、旦那様と娘の仕事先がそれぞれ見事に都内で東西に離れています。つまり千葉県側や神奈川県側に住まいを探せばどちらか一方は楽になるでしょうが、片方はそれでなくても大変な通勤なのにこれが一生続くとなると、まず身体が持たないと思われ転職を余儀なくされそうです。そう言う理由から、もしも夫婦2人とも今の仕事を続けるのなら2人の中間地点は自ずと都内になり、更に中間地点は中央区、千代田区が候補になりそうな感じです。勿論、普通の若いリーマンがそんな場所に自宅を構える事は金銭的に出来ない事は、調べる前から分かりますが、多少ずらして都内の住宅街に探せば何とかなると思っていた私です。そう聞いてみると、娘達から一軒家は無理でマンションでも新築は無理。中古でも狭くて家族で住める様な広さの物件はとても2人の年収では買えないが、そうは言ってもこのままだと生活が詰んでしまうのでと、色々調べている様子です。

そう言えば、私が今の自宅を探したかなり昔でさえ、宅地の広さが第一希望だったので、都内はべらぼうに高価で手が届かず、自ずと郊外を探しました。私の故郷が九州だったので、なるべく近い場所をと神奈川県横浜市が希望だったのですが、やはり地価が高く横浜地区と比較してまだ安かった東側の千葉県に活路を求めました。また、バブル時代は賃貸で耐えて、その崩壊後に大幅に地価が下がったタイミングで、私の年齢もぎりぎりの時期になっていたので、運良く何とか買う事が出来た事も幸運でした。

私も、それぞれの夫婦の勤務先の最寄駅から計算して無理にならない通勤時間と、住む場所の風紀の良し悪しも考えながらの候補地内の不動産情報をネットで調べてみました。そしてその結果にとんでもなくビックリしました。もう、どう転んでも、私が想像するそれなりの自宅なんて買えそうにありません。価格から逆算して買えそうな価格の不動産を探すと、とてつもなく古いと言うか汚い物件や、とてつもなく狭い物件ばかりです。TVやネットで都内のマンションは値段が上がりすぎて日本人の普通のサラリーマンでは買えないと言ったニュースが理解できた瞬間でした。

私が想像していたマンションだと、数億円もしそうな感じです。以前コロナ前ですが、知り合いが言ってました。今の東京の億ションは、特に中国人が来日して数件見るとびっくりする様に買っていると。その時の私は、過去の日本のバブル時代に日本が海外の土地を買いあさり、でも少し時が経てば結局損して手放す時がくるさと思っていました。ですが、今や円安が進み益々海外から見れば格安物件だらけで、東京にも投資が多くなってきているのでは無いのだろうかと勘ぐっています。日本は、これから日本人の人口減少により経済も縮小して行くとも言う人も多いですが、どちらが正しい考えなのでしょうか。

私が自宅を購入した時みたく、東京の土地の価格が大幅に下がる事はしばらくは無いような気もします。何故なら日本も海外と比較してこれだけ物価が安すぎるのは問題だと思うし、これからは何がなんでも物価上昇させないといけないでしょうし、金利も上昇させざるを得なく、益々借金は返しづらくなるでしょうし、不動産価格は高くなるとも思います。景気も良くなれば尚更です。
収入が無い私達にとってはデフレの方が生活しやすいのですが、娘達夫婦にとっては多少のインフレと景気も良い方が良いに決まってますが、自宅購入となると全く手の届かない値段になるのが恐ろしいばっかりです。



第二の人生 バレンタインデーのお返し

2024-03-12 07:30:00 | 日記
ホワイトデーには少し早いですが、私にもおすそ分けを早くほしくて。神さんへ倍返しプレゼント。

2月にバレンタインデーで、今年から唯一神さんからのみチョコレートを貰いました。去年までは、次女もくれていましたが既に結婚して家を出ているので今年はありません。更に数年前までは長女もくれていました。更に遡れば社会人時代も過去にさかのぼる程、つまり10年前よりも20年前、30年前の方が沢山のチョコレートを貰っていました。でも、事務所の女性陣へのお返しも貰った金額の倍返し以上をしていたので、金銭的には大変でした。お返しのホワイトデーシーズンになるとデパートの地下にはリーマン男性がわんさかお返しの菓子を求めて大変な混雑していました。私は個人的にはこのイベントは好きでした。もらったチョコを沢山抱えて帰宅すると当時まだ小さかった娘達は大喜びで私のチョコ土産をねだり、父親としてはこの時ばかりは、例え義理チョコでも娘達に良いカッコ出来て嬉しかったものです。今は会社内での義理チョコ文化も無くなっていると聞きますがどうなんでしょう。

当時の我が家では、娘達には倍返しどころか10倍返しのおねだりが待っていた時期もあったので、今となっては金銭的には助かるものの、無いのも寂しいものです。
神さんからもらったバレンタインチョコも倍返しのルールに基づいて幾らだったのか聞いたら1000円オーバーだったとの事だったので、私も2000円オーバーを目標にお返しを業務スーパーと西友で買い揃えました。そしてちょうどこの前買った刺身の舟盛用の舟があったので、その舟に乗せてプレゼントしました。勿論、私もおすそ分けをもらう気満々ですが。。。



第二の人生 プライオリティーパス-5

2024-03-11 07:30:00 | 旅行
先日、本当に久しぶりに古い仕事繋がりの友人から連絡ありました。
彼は、以前のサラリーマン仕事は辞めて新しく自分で仕事を初めていましたが、更にもう1社の会社を新たに立ち上げていて2社の社長をやっているとの事でとても頑張っていて、私も嬉しくなりました。

その彼との話の中で、最近はバンコクとフィリピンによく行くという会話からクレジットカード、プライオリティーパスの話になりました。彼は既に使用中のカードがブラックカード保有者で、更にそのカードはプライオリティーパスの発行サービスも有していましたが、彼はパスの名前は知っているものの詳細は知らず発行はしていませんでした。なので、そのパスの有益性を説明すると早速発行申請して次のフライトで使用すると言い、教えてもらえてと感謝されました。

さて、ここから私の話です。
最近、自分で色々このパスについて調べていましたが、費用を考えると欲しくても手が出ないと半分諦めていました。一方、神様からか何かからのメッセージなのか、今回みたいに何の脈略もないのに、突然古い友人から連絡来てパスの話が出たりと、私にパスを入手する気になる様にとの何かのパワーを感じました。このような事は普段気を付けていれば良くある事ですから、私も「何か有るな」と、ここは素直に反応して早速プラチナアメックスカードの申請をしました。
それまでは、例え無職の私が申請したとしても、普通なら審査に通る訳ないと思っていましたが、この一連の何かのパワーを感じると、多分カードの審査する側にも何かの力が働いてパスしてくれるかもしれないと思い始めていました。そして、何故だかその通りに無事に審査をパスし、同時に申請していた家族カードも発行され夫婦でプラチナカード保持者になりました。

今日は、入手したカード関連のアプリをダウンロードと登録した後で、そのアプリでプライオリティーパスの発行申請を行いました。多分、10日程で私の手元にもパスが到着すると思います。もし、私が何かの不思議な力のおかげでこのパスが入手出来たのなら、それを使って旅に出ろというお告げなのかもしれません。そしてその旅先で何か必要な経験を積むことになるのかもしれません。

人とは不思議なものです。
パスを入手出来たら、それを使いたくなるものです。次の出国先を考える楽しみが増えました。まだコレから次女の結婚式や、長女の出産もあるので出国出来るのは先の話になりますが、気持ちはもう様々な空港やラウンジに飛んでいます。ちょっとしたキッカケから人生どう変化するか分からない不思議な出来事でした。

第二の人生 バイクが好き

2024-03-10 07:30:00 | 
昨日は車だったから、今日はバイク。

私はバイクが若い頃から大好き。 今は、運動神経の劣化と維持費の問題から50CCに乗っていますが、自分のバイク遍歴を書き残しておこうと思います。そんなに高価なものや数が多いものではありませんが、昔のバイクは作りが簡単だったけど良く走りました。

 1.最初は16歳で原付免許を取得し、高校の先輩から2万円ほどで買った中古の「SUZUKIハスラー50」

同じ色の物が有ったので拾い写真ですが。 

2.16歳の夏休みに中型免許を確か10回ほどトライして取得し「HONDAのCB400Four」親父に頼み込んでお金を出してもらいました。確か高校の友人から当時も格安の20万円で譲ってもらいました。
また拾い物ですが、マフラー変更も同じで全く同じもの

3.高校3年生になると、中型バイクからまた原付バイクに「HONDAシャーリー」バイク屋さんで幾らか忘れたけど中古車。

拾い写真ですがコレコレ!懐かしい。

4.確か同時に「HONDAモンキー」も貰ったか安く買ったかで、シャーリーと同時持ちかCB400と同時持ちだったか?このバイクは長く乗りました。
この一番手前のタイプで色が赤でした。

5.大人になり、また大型バイクが欲しくなり限定解除を2回で取得し次は「HONDACB900」
スピード無茶苦茶出ました。

6.次は、とうとう外車にまで手を出しましたアメリカの「ハーレーダビッドソンFXローライダー」結婚しても維持してましたが、30代後半で維持出来なくなり手放しました。

もう少し改造してましたが、見た目はこの写真が近いかな。色は黒でした。結婚前に神さん乗せてあちこちデートもしました。

7.コレまた久しぶりにバイク復活したいと思い、友人の紹介でヤマハセローを貰いました。

このバイクはあまり長くは乗らなかったのですが、千葉県内のあちこちを走り回りました。

8.中年と言うかオッサンになり単身赴任時の足に少しオシャレなバイクが欲しくなってイギリスの「トライアンフ ボンネビルT100」映画大脱走でスティーブマックイーンが乗ってたシリーズです。

写真が残ってた。ズバリこのバイクに乗ってました。定年退職の少し前にやはり体力と金銭的問題で手放しました。

9.そして、今はこの友人に貰ったバイク。ホンダの50ccのスクーターです。

山小屋生活で渓流釣りに行く時の足として大活躍。多分、私の人生で保有する最後のバイクになるのか。スクータータイプだと乗るのも手軽でなかなか良い感じです。

10台の大台にのるのかのらないのか?分かりませんが、どうせなら車もバイクも10台の大台にのせたいとも思ったり、思わなかったり。





第二の人生 車

2024-03-09 07:30:00 | 
最近の車はとても先進的でデザインもカッコいい。

でも、昔の車と比べるとエンジンの造りも複雑になって自分ではとてもいじれません。また車の大きさも5ナンバーサイズからほとんど3ナンバーサイズへ大きくなりました。車のデザインは未来的に変わって来たし、電気系統も電球からLEDに変化し、車内のメーター類もアナログ式から電子式に変わり、音楽もカセットテープからCD、MDと続き最近は社内Wi-FiやiPhonから直接入力出来たり、カーナビも最初は無かったし最初の頃は直ぐにずれて山中では役立たず。最近はナビ無しだとどこにも行けません。

実際、私が最初に買った車は、社会人になって直ぐに友人から譲り受けた古い20年ものの黒いビートル。スピードメーター裏の方でたまに火花が出てました。ある日、あまりにもガソリン臭かったので、修理屋さんで確認してもらったらガソリンホースの一部が破れてて、常時ガソリンで運転席の床が塗れてて、これまでよく燃えなかったと運の良さに驚かれたものです。次は街の中古屋さんで買った青いホンダのシティーターボです。当時はターボ車が流行でターボが利き始めるとグンと伸びて良く走ってくれました。次は結婚した時に神さんが乗ってた白いホンダのトゥデイで花嫁道具で持ってきてくれたので私のシティーターボは手放しました。4台目はいきなり大型車でトヨタプラド。家族みんなでこの車で本当に沢山の場所に旅行に行きました。でも石原都知事が都内に入るのにディーゼル車規制をかけたタイミングで乗換えました。5台目はホンダの白いオデッセイにしました。荷物が沢山詰めて重宝しましたし民主党時代に高速道路料金が夜中走ると格安になった事から、この車で関東から実家のあった九州まで良く往復しました。長距離運転中に車中で家族で歌ったりゲームしたり途中のSAでの仮眠もこの車でした。さて6台目は娘達も運転できる年齢になり、また希望もありBMWミニクーパーの白黒のクロスオーバー。オシャレな内装や独特なデザインにエンジン造りのコンセプトが日本車と異なる事が良く分かりました。外車はエンジン回転数をガンガン回して10万キロ走れれば後は修理しながら乗りなって感じ。日本車はエンジンを大切に回しながら20万キロ走っても基本的に大丈夫ですよってな感じに思いました。そして簡単な故障も修理代金がビックリするほど高い。なので7台目はこの経験から日本車に戻り、今乗っているマツダの白いCX3。ディーゼル車ですがスカイアクティブエンジンで排気ガスはクリーン。燃費も街乗りで15㎞、長距離だと23㎞は走ります。軽油なので経済的にもとても助かっています。
こんなに奇麗じゃなかったけど同じタイプ

これ、楽しかった。シティーターボ

良く走ってくれたトゥデイ

ランドクルーザープラド、天井にも荷物用キャリアも付けて

オデッセイアブソルート当時はかっこよかったけど

車内のシートもユニオンジャック模様に交換してました。


そして今のCX3。

多分、次も日本車でその次も日本車になるでしょう。その途中でキャンピングカーにも乗りたいし北海道は礼文島から沖縄は石垣島までキャンピングカーで気ままな旅もしたい。日本国中の美しい自然をこの目で確かめたい。あと数台は私の所に新しいタイプの車たちが来てくれるでしょう。

写真は全て拾い物で当時の私の車に1番イメージが近いもの。