2013年記事
深夜、ネットサーフィンしていて つい転寝をしてしまった。
息子が1歳位に成った時 ご飯を食べている最中に 躾けだと想い
初めて 夫婦二人で 息子を叱った時の再現夢を見た。
理由は覚えていないが・・・
余りにも 悲しそうな泣き声だったので 叱った私自身 可哀相に
なって後悔したのを 今でも 鮮明に覚えていたのだ。
食事中・・・私:「〇〇君!駄目だろう」とスプーンを取り上げた時
何と表現して良いのか 地から込上げて来るような 悲しい泣き声・・・
(あれ!?チョット厳しかったか・・・しまった!)
ご飯が入ったままの口をあんぐり開け、天を見上げるように 泣いている
しぐさに どんな理由であれ 我が息子は 今、最大限に悲しい気持ち
なのだ・・・大した事でもないのに トンデモナイ事をしてしまった。
そう思ったとき すぐさま、傍にいた 妻の顔を確認したのだ。
妻も悲しかったらしく 頬を涙が流れていた。
(そうだよな・・・)
心の糸が切れて 涙が流れ 夫婦二人して我が子を抱きしめ
「ごめんね」と言いながら おいおい 泣いたのだった。
文頭 夫婦二人して息子を叱ったと書いたが 多分、妻は 傍らで
見ていただけだった・・・
今でも 彼女は 息子を二人で叱ったと思い込んでいるのだ。
今にして思い返せば やはりアレは躾けだったのだ。
ふと目が覚め 時計を見ると深夜0:30・・・
暗闇の中で ニタニタした息子の顔が 通信端末機の光で不気味に
照らされていた。友達と連絡を取り合っていたみたいだ。
居間にいて 何時までも 寝室に行かない 私と息子に業を煮やして
電気が消されていたのだ・・・ホッとした私は 日ごろより優しく、
私:「早く 寝らんかっ 風邪引くぞ」と声を掛けたのだった。
何故に こんな夢を見たのか・・・
1週間くらい前だったか 犬の躾けをしている最中 息子は私が犬を
虐めていたと勘違いしたらしく、イキナリ私に暴言を浴びせたのだ。
私:「親に向かって 何か その物言いは!?防具を着けて表へ出ろ!」
お互い 防具を着けて 殴りあったのだ。多分ご近所の方が見たら
震え上がって居ただろう・・・あんな光景は 道場でしか見られない筈。
虎のように 円を描きながら 間合いを取り合う二人・・・
古くなってささくれ立っていた篭手が お互いの口をかすめた
余程 速かったのだろう 掠っただけで 口を切り血が流れた。
マダマダ高校生や大学生とやって 負けたことは無い・・・
しかし よくよく考えれば あの時は30歳代だった。それを忘れ
気位ばかり高い私はちょっと無謀だったのかも知れない・・・
中学生とはいえ彼、息子は 現役のスポーツ選手であり 持久力が老い
た私とは格段に違っていたのだ・・・増して 少しの間 技術については
手ほどきしていたので 全くの素人ではなかった。
技術で勝っても 当然 限界があったのだ。
日頃 運動不足も祟ってか 不覚にも足がヨロケ躓き
そこに 容赦ない連打を浴びてしまった。
最早 これまでと 想って 回し蹴りの体勢になってしまった瞬間・・・
(待て!これは 俺の息子だぞ!)とブレーキが掛かり
胴を一蹴りして 威厳を保った・・・
「二度と親にあんな口きくんじゃないぞ!」と言って その場を終わった。
私自身 父に対して 前世、父の家臣じゃなかったのかと想うほど
従順で 自分の使命は父に仕える事だと想って生きてきたつもりだ。
だからと言って 息子に対して「孝」の強要はしたくないが、目上に対する
者への作法は 最低限、身に就けて貰いたいと想ったからだ。
今の世の中はアメリカナイズされ 市場原理主義が国教になり
残念ながら弱肉強食の世だ・・・老いてゆく者は老兵としか見ていない。
日本らしい社会秩序はぶっ飛んで 情け容赦ない閑散とした不毛地帯が
広まっている そんな時だからこそ
北条早雲の言葉のように 目上を敬い 下の者を憐れむ人間に
なって貰いたいと想ったのだ。
いやはや 躾けとは 身の美しさと書く・・・
その人間の美しき 立ち振舞いなのだ。現代人が私のやり方を見たら
恐らく 異端扱いするかも知れない。目上を敬い 下に心を配り
何処までも人を軽んじない・・・・
私の目は其れを美しいと感じているのだ。国が荒れ 思想が荒れ 人心
が荒れた 世の中で 躾けの感覚は違ってきているのかも知れないが
体を張ってでも 息子には身に着けて貰いたいものだ。
タダ、今度やるとしたら 剣道で躾ける!でないと 身が持たない