福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

雑感 短足

2024年10月24日 | Weblog

2018年8月記 

トあるお店でGパンを買った。

裾が結構長すぎて 

「嗚呼~俺って結構、短足なんだなあ~」と憂いてしまった折、

 

「正座」は罪人の座り方だと知って 

「そうか、短足の原因は正座だったのか」と・・・

 

小学生時代、何が悲しゅうてか、母子ともに 

宗教活動にのぼせ上り、その団体の機関誌を親子で

何年も配達した事がある。母親は会内では

「誉れ高き三十年戦士」だ。

私は高校を卒業するまで8年間配った。

 

何か貰えるかって? 

名誉が貰える!それと 仏様からの功徳。

 

「すみません~まだ 頂いていなんですけど いつ 

頂けますか?」と質問すると

「もう、頂いているじゃ~ないかっ!健康をっ!」と言われ

そういえば、そうかと・・・素直にならざるを得ない小市民。

 

まあ、俺としては 暗い道 母の事が心配だから 

手伝う事にしたのだ。

 

子供心にこう思った・・・

(何で、うちが新聞配達をばぁ~せんにゃ~ 

いけないんだよっ!迷惑っ)

前、配達人さんが、とんでもない不幸に

見舞われたことが発端だった。

 

早朝、4時に起床し 朝、仏壇の前で

1時間~2時間カケて 坊さん顔負けのお題目を唱え、

珍ねん坊主よろしく、眠り被ると 母には、頭をどつかれ

 

母「もう 辞めてしまえっ!寝ろっ お前には

  資格がないっ!」と怒鳴られ

私「すみません もう一度 挑戦させて

  くださいっ!」と、土下座をしてリトライを乞う

何をやってんだか 訳がわかんない 修行僧みたいな

親子だったのである。

 

母は太っていたので 体重がかかり 足の甲にゃ

座りダコが出来て 固くなり ひびが入り 黒ずんで、

乾燥した皮膚は象のガバガバな皮膚のようになった。

 

「嗚呼~この人は 象さんの生まれ変わりなのかも」と

勝手に思い込んで居た。

ほんじゃ 俺は小僧じゃなくて小象じゃんかよ!と

つつこみを入れる事も、此のときに錬われたのかも知れない・・・

 

6時近くなると 販売店のオッサンが新聞を

玄関先までもってくる・・・

「ドサッ!」 この音が新聞配達開始の号令だ。

 

インクも乾いていない 新聞を小脇に抱え 

わきの下は真っ黒けになり 寒かろうが 台風であろうが

「これも、世界平和のため」等と思い込み 

走り続けるのであった。

 

野犬と遭遇して 戦った事もあるよ 母が危険な目に

遭ったと知り 頭に血が上り 仕返しをしようと

いきり立ち 牙むく野犬を打ち据えた。あんときゃ 

死ぬかと思ったが 剣術が役に立ったね・・・

仮面の忍者「赤影」みたいに 背中に木刀を背負って

配達した事も懐かしい思い出だ~

 

一番最悪だったのは・・・

新聞が遅れた時だ。早々と登校する同級生と

鉢合わせに成ることがあり すっごく恥ずかしかった事を

覚えている。

 

母は、当時自転車が乗れなかったので 乳母車に新聞を

乗せ 押しながら移動した

新聞の部数は決まっていないので 

一世帯に宗教機関紙3部と政治機関紙1部とか・・・

中には10部同じ新聞を取っているのには 

おったまがったものさ・・・・

毎月毎月、部数が変わるので 間違って配達するのだが、

信者さん達はとても優しく、俺を天使と見てくれていて

絶対に怒らなかったね~ 

まあ~あの事だけが救いだった様な気がする。

年末に成ると 一世帯の新聞の量が電話帳3冊分の

厚み位になった。

新年号は景気よく増量した厚みになるのだ。

(今の電話帳は薄いので 例えるならば 一軒分が、

小脇に抱えられない位の束)

 

トアル地点で落ち合い 新聞を受け取り 各家庭に

配ってまわるのだが・・・・

乳母車を押す、オバハンと原子の周りを回る分子のように 

乳母車の周りを クルクル走り回る少年の姿は、

子連れ狼とひとひとぴっちゃんの大五郎を

想起させただろうと・・・

ご近所の人達や同級生にゃ~ どう映ったのだろうかと 

恥ずかしい気持ちで一杯だったのだ。

 

「短足」のキーワードから端を発した 

記事内容なのだが、相当、乖離した内容になっちまった。

今にして思えば 俺達、親子は一体何をやっていたんだ?

狐狸に誑かされていたような変な気持ちになるのだ。

 

仏壇の前で毎日毎日 何時間も正座して 

足は痺れまくり、そのうえで 町内を走り回る

「江戸時代の罪人」真っ青の拷問を受けていたのか?

 

とある高僧が、一日10時間正座して 

お経を唱える信者たちを見かねて 

「そんなに 長くやるものでは無い!」と

言った事が物議を醸した事もある。

(信者達は高僧に対して「信心が足りん!」と罵る始末)

 

人間の思い込みたぁ~ バブルの様に大きくなり 

返って 本義とは真逆の事をやらかしてしまう事が多いのだ。

 

トアル知人がこう言った・・・

「騙されていても 本人達が幸せならいいじゃないですか 

選挙活動も熱心だし・・・」と

私は、たまらずこう返した

私「彼らに 政策論争を仕掛けてみんですかっ・・・

右も左もわかってないから。

大体、仏教ってえのは 教えを受けて 自分で考えて

行動せにゃあ ならんのですよ

  

善悪の判断もつかぬほど化かされているようでは 

社会にも悪影響を及ぼす事然り!

そんな 愚民政治の牽引役やっとって~」

 

あの世というのがあるのならば この世で正座という

座らせられ方をサセラレタから

免罪符を得られる事が出来たのか?

それとも 騙され損なのか?と

覚醒した私は、まだ頑張っている人達と違う景色を

眺めているのであります。

 

タダ一つ言える事 「短足は」このままで 伸びる事はないだろう。

誰かっ 足が長くなる薬を開発してくれっ!


令和6年追記・・・・

ま~た 新着記事に反映せぬ

そんなに 拙い記事なのだろうか・・・選挙だものな
ま~た わりわり わりわり うるさいっしょ?
選挙依頼がwwww んなもん 断りなはれ この三十年
経済没落の罪は大きい!
投票権は銭と同じ価値だ ご無沙汰の人が
ヤッテ来て・・・否 是目当てに 近づいて来て
「強者に諂う連中にに貢ぐから 貴方の持っているお金下さい」って言われて やりますか?諭すか止めるでしょう。         (大切な人であればね)
っちゅうか 自分らの首まで締まってまう。

簡単にあげるのであれば そりゃ~価値がわかっとらん証拠
明治時代から これまで やっと みな平等に選挙権が得れたのに
このありさまだっちゃ!