散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

今は昔の女性の職業

2018-11-20 09:39:45 | 日記

私は、満州から引き揚げて来て、佐賀で暮らした後は、熊本で高校まで長年くらした。

その理由き、父が戦後立ち上げた電話関係の会社が熊本であったからだ。電話関係の

仕事を戦後選んだのは、当時においては、電話は殆ど普及していなかったからで、

必ず普及すると思ってのことであろう。私は、高校を卒業して、東京の大学へ行き、

寮生活をおくったことは、既に紹介したが、夏休みなどには、熊本へ帰省して、父の

会社でアルバイトを行った。天草や阿蘇地方の役場や郵便局や農協には、磁石式の

交換台が設置され、裕福な家には、磁石式の電話機が設置されていた。この電話機は、

横に手回し棒が付いていて、これを回すことで、高い電圧が発生し、交換台を呼ぶの

である。交換台には、交換嬢がいて、この加入者についているフタが落ちることで、

呼びがあったことを知り、その加入者の穴に、接続プラグを刺して、どこに繋ぐかを

聞き、相手のやはり穴へ、別のプラグを刺して、呼ぶのである。この交換台が、

古くなってきたことから、新式の交換台へ更新する工事であった。この新式は、

電話機には手回しはついておらず、共電式電話機(黒電話機のダイヤルのないもの)

が使用されており、交換台も、それに合わせて、呼ばれたときには、ランプで表示

するタイプになっていた。このようなタイプの交換台は、全国に相当数が設置されて

いたが、その仕事は、すべて、若い女性が従事しており、東京などでは、丸の内など

の電話局には、かなりの数の人が交換台についていた。しかし、この後、交換台に

とってかわったのが、自動式の電話機で、今でも、設置されているダイヤル式の電話機

であり、交換機は、ロスバー交換機式から電子交換式へと導入され、女性達の仕事が

奪われた。このように、時代とともに衰退して行く、職業は、数多くあるが、この仕事

が女性にとって一番印象的かと思う。男性では、石炭に従事した工夫など類似している。

現在は、デジタルの電話の時代で、スマホなどを扱う若者には、知りえない世界だ。