今日は朝から雲一つない晴天の日で、富士山の青い姿がくっきりと見えた。
昨日まで、1泊どまりで岡山へ旅行してきた。昨年は、大学時代の寮の仲間と仙台
でのOB会があったが、今回は、岡山での会となった。9人が参加して、岡山駅に
集合して、今回の幹事が運転する10人乗りのトヨタのレンタカーで、その日は、
後楽園と岡山城を見学した。3大公園の一つである後楽園をボランティアの案内で
広大な公園を巡った後、写真のように岡山城を見学した。お城と言えば、岡山では、
姫路城が世界遺産になっていて岡山城は、あまり見学者が多くはないが、歴史的には、
姫路城よりは古く、そのことは、岡山城の歴史を見るとよく判る。1597年に
喜多秀家が築城しているが、関ヶ原での西軍についたことから、敗戦の大将として
八丈島へ島流しとなったひ。一方、この親戚の小早川秀秋の謀反で、東軍が勝利した
のであるが、この戦いで、東軍に着いた池田長政は、この恩賞として家康から
この姫路城を貰っている。しかし、この秀秋は、謀反をしたことの狂いから若く
して亡くなっいる。姫路城主となった池田長政の子供の池田忠継は、その後この
岡山城に移されて三代目の城主となるのである。一方、この関ヶ原に絡む女性達
を見ると、信長の妹のお市の方をスタートとして、その3人の子供達のその後を
追うと政略の状況が、写真の系図を見るとよく判る。すなわち、秀吉の正室と
なる茶々その子供の秀頼の妻となり、また徳川秀忠と江との間に生まれた千姫
またその豊臣家が滅んだ後に千姫が嫁いだ先で生んだ勝姫と五代目岡山城主と
なった池田光政の子供が池田綱政である。光政と綱政のころが一番豪華な生活
を徳川の配下で営んでおり、この姿が後楽園の随所で見られる。しかし、女性達
がいかに政略として、人生を送っていたかよく判った。