7日から一泊で福島の常磐ハワイアンへのバスでの旅行を行ってきた。青野原
の山荘の4人仲間での旅行であったが、驚くような安さで、新宿からの往復バス
の料金を含め1万円と言う値段で、周辺のあちこちの場所から沢山の旅行客が押し
寄せてきていた。4棟のホテルに分散されての人数であり、約1000人と
思われた。写真のように、この常磐ハワイの設立の歴史を調べたが昭和51年までは、
炭鉱で栄えたがその後は有効活用として、坑内で噴き出す温泉を利用して、この温水
を630mの抗底部から汲み揚げ、その上にスパリゾートハワイアンを作り上げたのだ。この
場所は当時は、工夫社宅であり、飛行機の格納庫みたいな常磐ハワイアンがつくられた。
このいわき町には、その頃ハワイやポリネシアの踊りを練習する施設が炭鉱の跡地に
もうけられていたがこのスパリゾートハワイアンでの観光の一環として広く紹介されるように
なった。最初のオープン時に私は、丁度水戸にいた兄の紹介で、このハワイを訪れたことが
あったがその頃のリゾートハワイアンの内部の姿を載せた。その内部では、写真のように、
この地でフラダンスを練習していた人たちがハワイの踊りやポリネシアの踊りなどを
見せるようになり、沢山のひとがあっまるようになった。しかしその後、マンネリ化に
陥ったのであるが、娯楽施設を充実させるヘ゛く改善を施し、最後の写真のような現在
の姿になっている。東北大震災を受けた後にも、いち早く復興にあたりこの改造を経て、
沢山の観光客が現在はおしかけるようになっている。これも、ハワイのフラダンスを
ダンサー達が一生懸命に練習して、元気な姿を見せることで、いち早く復興のシンボル
として広く紹介したことによると思った。
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