SKE、HKT、NMBそれぞれの「HARU-CON」を個別に扱うつもりだったんだけど、一通り見通してみて、それが不可能であることに気づかざるを得なくなってしまった。どうしたって比較になってしまうし、そのつもりはないけど好みというのははっきり現れてしまうんだろう。それでもまず言い切ってしまいたいのは、HKTがはっきり異質であること。
最初にHKTを見て、昨日の感想を書いて、それからSKE、NMBと続けて見たんだけど、なんだろう、この残念な感じ。HKTの次にSKEを見たという順番が徒になって、それを余計に感じざるを得なくなってしまった。続いて見たNMBでちょっと持ちかえした感はあるけど、それでもそこには明らかな差異がある。
昨日は「有機的」という表現を使ってみたけど、コンサートを通して通底してるグルーヴ感というか、メタ的ではあるけど「物語」感がHKTにはあるのに対し、SKEにそれは感じられないし、NMBにも希薄であることが、否が応でも分かってしまうと言うか。
シナリオというとちょっと違うけど、コンサートの最初から最後まで、あらゆる方向性で連続感、連結感、やはり「有機的」という表現に吸着されてしまうんだけど、曲や演出の流れが意識的にコントロールされてる感、心地よく乗って行けるストーリー感が、隅々まで張り巡らされてる感じ。それがHKTにだけあって、SKEにもNMBにもない。
これはあれだ。AKB選抜について書いたときに「相転移」という表現を使ったけど、HKTのコンサートは、個々の曲やMCが孤立せずに相互因果関係を実現してて、相乗効果が生まれてる、そこから高次構造が出現してる。つまりはコンサートとして相転移してる、そう見なせるんじゃないか。
もちろん個別のダンスとか歌唱力とかパフォーマンスのレベルとかでは、SKE、NMBの方がはるかに優れてる部分が多いと思う。SKEの全力感や、NMBのダンスの美しさ、柔らかさは素晴らしいと思う。けれども結局、こうやってコンテンツとしてのコンサートを観賞する場合、恐らくは実際に会場で見るのとは違って、そういったパフォをストレートに楽しむだけではなく、どこか俯瞰の視点で見てしまうもの。そういう視点では、コンサートと言えどもコンテクストは重要となる。
SKEはコンサートとしてのコンテクストが希薄。直接的にはMCがなんとも弱い。なので聞き慣れた曲、見慣れた曲ばかりということもあって、チャプターを飛ばしてしまうことになってしまう。NMBはそれでも見惚れてしまう、聞き惚れてしまうという要素はそれなりにある。けれども、それも表層的に流れてしまって飽きが来るので、やはりチャプターを飛ばしたくなってしまう。HKTだけが、そんな誘惑を排してくれる。
そんな感想は、Makingを見てさらに補強されることになる。茅野氏の755での言葉通りというか、HKTのバックヤードには、メンバーだけではない、スタッフも一体となった楽しさと緊張感があることが伝わってくる。おそらくこのHKTにだけ感じられた黒子達の頑張りが、コンサートのハイコンテクストを担保してる。
そして敢えて言おう、この「シナリオ」を書いたのは指原さんで間違いないと思うし、完璧ではないにせよ、その「シナリオ」を実現させたのも、やはり茅野氏の評価の通り、現場監督としての指原さんの力がとても大きいんだろう。秋元氏の言う「悪魔」という評価の意味を、あらためて考え直してみたくなる。
最初にHKTを見て、昨日の感想を書いて、それからSKE、NMBと続けて見たんだけど、なんだろう、この残念な感じ。HKTの次にSKEを見たという順番が徒になって、それを余計に感じざるを得なくなってしまった。続いて見たNMBでちょっと持ちかえした感はあるけど、それでもそこには明らかな差異がある。
昨日は「有機的」という表現を使ってみたけど、コンサートを通して通底してるグルーヴ感というか、メタ的ではあるけど「物語」感がHKTにはあるのに対し、SKEにそれは感じられないし、NMBにも希薄であることが、否が応でも分かってしまうと言うか。
シナリオというとちょっと違うけど、コンサートの最初から最後まで、あらゆる方向性で連続感、連結感、やはり「有機的」という表現に吸着されてしまうんだけど、曲や演出の流れが意識的にコントロールされてる感、心地よく乗って行けるストーリー感が、隅々まで張り巡らされてる感じ。それがHKTにだけあって、SKEにもNMBにもない。
これはあれだ。AKB選抜について書いたときに「相転移」という表現を使ったけど、HKTのコンサートは、個々の曲やMCが孤立せずに相互因果関係を実現してて、相乗効果が生まれてる、そこから高次構造が出現してる。つまりはコンサートとして相転移してる、そう見なせるんじゃないか。
もちろん個別のダンスとか歌唱力とかパフォーマンスのレベルとかでは、SKE、NMBの方がはるかに優れてる部分が多いと思う。SKEの全力感や、NMBのダンスの美しさ、柔らかさは素晴らしいと思う。けれども結局、こうやってコンテンツとしてのコンサートを観賞する場合、恐らくは実際に会場で見るのとは違って、そういったパフォをストレートに楽しむだけではなく、どこか俯瞰の視点で見てしまうもの。そういう視点では、コンサートと言えどもコンテクストは重要となる。
SKEはコンサートとしてのコンテクストが希薄。直接的にはMCがなんとも弱い。なので聞き慣れた曲、見慣れた曲ばかりということもあって、チャプターを飛ばしてしまうことになってしまう。NMBはそれでも見惚れてしまう、聞き惚れてしまうという要素はそれなりにある。けれども、それも表層的に流れてしまって飽きが来るので、やはりチャプターを飛ばしたくなってしまう。HKTだけが、そんな誘惑を排してくれる。
そんな感想は、Makingを見てさらに補強されることになる。茅野氏の755での言葉通りというか、HKTのバックヤードには、メンバーだけではない、スタッフも一体となった楽しさと緊張感があることが伝わってくる。おそらくこのHKTにだけ感じられた黒子達の頑張りが、コンサートのハイコンテクストを担保してる。
そして敢えて言おう、この「シナリオ」を書いたのは指原さんで間違いないと思うし、完璧ではないにせよ、その「シナリオ」を実現させたのも、やはり茅野氏の評価の通り、現場監督としての指原さんの力がとても大きいんだろう。秋元氏の言う「悪魔」という評価の意味を、あらためて考え直してみたくなる。