ようやくのことでじゃんけん大会2014を、最初から最後まで4時間15分、通しで見終えた。あらためて言うけど、今年のじゃんけん大会は史上最高で間違いなし。あらゆる意味で、もの凄く面白かった。4時間越えが全く苦にならないし飽きないし、間違いなくこれから何度も繰り返し見返すことになる。
何が良かったか。生放送のリアルタイムにして、地上波のような制約やCMがなかったのはもちろんのこと、ロンブー淳氏の司会がこなれてた。流石は淳氏。AKBの本質を相当程度理解して来てる模様。そして何より、指原さんが「演出の人が代わった」旨の説明をしてたけど、間合いとリズムが良くって、例年に比べてはるかに見やすかったと思う。と同時にその結果として、従来からは見えづらかった、もしくは「まさかそんなことはないだろう」という思いが目を曇らせていたある事実が露わになった、白日の下に晒されたように感じられた。
じゃんけん勝負は純粋に確率の世界のものなんであり、それは「運」以外の何ものでもない、常識的にはそう考えるしかないし、それ以外の考え方は非科学的に思えてしまう。実際には「運」という概念は、既述のようにけっこう曲者なんだけど、そこは通常は見えない。
ところが今回は、じゃんけん勝負の「そうではない」部分が、誰の目にも明らかにされたように思う。なんか書くのを躊躇してしまうんだけど、勝負が純粋な確率論では決まっていない、「運」ですらない、そんな決定的な要素が存在することが、さらけ出されてしまってた。
そんな異常な部分、本来ならあり得ないことになってるだろう要素が何なのかと言えば、それは勝ちたい気持ちであり、勝つ意欲であり、それを担保する「心の強さ」、そんな「心の強さ」と関連する運気、勢い、そういう人の意思を介するモメンタムのような何かということになる。そして、さらにオカルトめいたもの、はっきり「超能力」と言い切った方がスッキリするんだろう、人の心を読む能力、あるいは未来が分かる能力。
これだけ言うと単なるタワゴトになってしまうけど、ここは具体的な代表例として、準決勝の川本紗矢VS小嶋陽菜戦と、決勝の渡辺美優紀VS小嶋陽菜戦を上げたい。
準決勝までの川本さんは、ご本人の意思を超えたビギナーズラック的なモメンタムに乗って、勝ち上がってきたように見えた。そしてそんな勢いのようなもの、あるいはもう一方の決定的な要素であるところの「心の強さ」の影響は、川本さんにだけ現れていたのではなくて、他の多くの対戦でもはっきりと感じ取ることが出来た。
モメンタムのようなものや「心の強さ」が勝敗を決する、なぜそうなるのかは分からないけど、事実としてそんな勝負が多発してた。そんな「雰囲気」のようなものは、テレビ画面を通してもはっきり伝わるくらいなんで、現場に立ち会った司会のロンブー淳氏も、ヒリヒリするほど感じ取っていたんだろう。何度もその旨の「説明」を試みていたし、言わば「伝わらないこと」のもどかしさを露わにしてた。
そんな分かり易い好例だった川本さんの勢いを、圧倒的な存在感と目力でねじ伏せた小嶋さんという構図はとても分かり易く、かつその「異常性」が自明のレベルで露わだった。小嶋さんの佇まいからは、言わば運気を押さえ込んでしまう力、運命を変えてしまえる力が感じられ、なおかつそこに指原さんの言葉「相手が次に出す手が分かる」が被せられた。
以前にも考察したように、確かに小嶋さんには「超能力」が備わってるとしか考えられない。過去の記事では「正解が分かる」という表現にとどめたと思うけど、ホントは「未来が分かる」と書きたかった。けれどもさすがにそこまでは書けなかった(確認してないけど、書いてないよね?)。
「未来が分かる」というと鼻で笑われそうだけど、これは決してあり得ないことではない。時間が過去から未来へと流れるという「常識」から抜け出すことができれば、少なくとも不可能ではないことが分かる。実際、理論物理学における時空の記述は複素数となっており、時間軸は虚数に割り振られる。つまり、存在としての時空、とりわけ時間を、人はちゃんと認識できてない、これはそんな証左と言える。
ちなみに虚数を否定するとか、そういうことを言ってるんではない。リーマン予想やオイラーの公式を見ても明らかなように、複素数こそが現実なんであって、その事実を人は正しく認知できないことを言ってる。同様のことは、量子論とかを見ても自明レベル。
この辺の理解は、宗教の方がはるかに優れてるというのは既述の通り。仏教的な時空の理解だと、時間は因果に解体される。時間概念に相当するものは「刹那」としてしか残らず、そこにある相互因果関係の結節点という理解からは、「未来」が「現在」に影響を及ぼす、つまり「未来が見える」事もあれば、「現在」が「未来」に影響を及ぼす、つまり「未来を変える」ことも不可能ではないことになる。
もう一つの象徴的な勝負、渡辺美優紀VS小嶋陽菜戦では、けれどもそんな「超能力」が無効化されていた。小嶋さんと同等の「超能力」を渡辺さんも有するがため、「未来」は不定化した。「強い心」という部分でも二人は同等であり、この決勝戦は、普通に確率論の世界になってように思う。渡辺さんが勝ったのは、だからまったくの時の運なんだろう。確率2分の1の、ある意味、平穏な世界。
そう、AKBのじゃんけん大会は、「常識的」な感性から見れば、やはり異常な世界、異界になってたんだと思う。だからこそ、その面白さも突出して異様なものとなった。これはAKBムーブメントが持つ超越性の一表現と言えるかも知れない。
いちおう最後にお約束の如く書いとくけど、以上の全部を読んだ上で、私がイカレてるんだと判断するのは、もちろん自由だよ。
何が良かったか。生放送のリアルタイムにして、地上波のような制約やCMがなかったのはもちろんのこと、ロンブー淳氏の司会がこなれてた。流石は淳氏。AKBの本質を相当程度理解して来てる模様。そして何より、指原さんが「演出の人が代わった」旨の説明をしてたけど、間合いとリズムが良くって、例年に比べてはるかに見やすかったと思う。と同時にその結果として、従来からは見えづらかった、もしくは「まさかそんなことはないだろう」という思いが目を曇らせていたある事実が露わになった、白日の下に晒されたように感じられた。
じゃんけん勝負は純粋に確率の世界のものなんであり、それは「運」以外の何ものでもない、常識的にはそう考えるしかないし、それ以外の考え方は非科学的に思えてしまう。実際には「運」という概念は、既述のようにけっこう曲者なんだけど、そこは通常は見えない。
ところが今回は、じゃんけん勝負の「そうではない」部分が、誰の目にも明らかにされたように思う。なんか書くのを躊躇してしまうんだけど、勝負が純粋な確率論では決まっていない、「運」ですらない、そんな決定的な要素が存在することが、さらけ出されてしまってた。
そんな異常な部分、本来ならあり得ないことになってるだろう要素が何なのかと言えば、それは勝ちたい気持ちであり、勝つ意欲であり、それを担保する「心の強さ」、そんな「心の強さ」と関連する運気、勢い、そういう人の意思を介するモメンタムのような何かということになる。そして、さらにオカルトめいたもの、はっきり「超能力」と言い切った方がスッキリするんだろう、人の心を読む能力、あるいは未来が分かる能力。
これだけ言うと単なるタワゴトになってしまうけど、ここは具体的な代表例として、準決勝の川本紗矢VS小嶋陽菜戦と、決勝の渡辺美優紀VS小嶋陽菜戦を上げたい。
準決勝までの川本さんは、ご本人の意思を超えたビギナーズラック的なモメンタムに乗って、勝ち上がってきたように見えた。そしてそんな勢いのようなもの、あるいはもう一方の決定的な要素であるところの「心の強さ」の影響は、川本さんにだけ現れていたのではなくて、他の多くの対戦でもはっきりと感じ取ることが出来た。
モメンタムのようなものや「心の強さ」が勝敗を決する、なぜそうなるのかは分からないけど、事実としてそんな勝負が多発してた。そんな「雰囲気」のようなものは、テレビ画面を通してもはっきり伝わるくらいなんで、現場に立ち会った司会のロンブー淳氏も、ヒリヒリするほど感じ取っていたんだろう。何度もその旨の「説明」を試みていたし、言わば「伝わらないこと」のもどかしさを露わにしてた。
そんな分かり易い好例だった川本さんの勢いを、圧倒的な存在感と目力でねじ伏せた小嶋さんという構図はとても分かり易く、かつその「異常性」が自明のレベルで露わだった。小嶋さんの佇まいからは、言わば運気を押さえ込んでしまう力、運命を変えてしまえる力が感じられ、なおかつそこに指原さんの言葉「相手が次に出す手が分かる」が被せられた。
以前にも考察したように、確かに小嶋さんには「超能力」が備わってるとしか考えられない。過去の記事では「正解が分かる」という表現にとどめたと思うけど、ホントは「未来が分かる」と書きたかった。けれどもさすがにそこまでは書けなかった(確認してないけど、書いてないよね?)。
「未来が分かる」というと鼻で笑われそうだけど、これは決してあり得ないことではない。時間が過去から未来へと流れるという「常識」から抜け出すことができれば、少なくとも不可能ではないことが分かる。実際、理論物理学における時空の記述は複素数となっており、時間軸は虚数に割り振られる。つまり、存在としての時空、とりわけ時間を、人はちゃんと認識できてない、これはそんな証左と言える。
ちなみに虚数を否定するとか、そういうことを言ってるんではない。リーマン予想やオイラーの公式を見ても明らかなように、複素数こそが現実なんであって、その事実を人は正しく認知できないことを言ってる。同様のことは、量子論とかを見ても自明レベル。
この辺の理解は、宗教の方がはるかに優れてるというのは既述の通り。仏教的な時空の理解だと、時間は因果に解体される。時間概念に相当するものは「刹那」としてしか残らず、そこにある相互因果関係の結節点という理解からは、「未来」が「現在」に影響を及ぼす、つまり「未来が見える」事もあれば、「現在」が「未来」に影響を及ぼす、つまり「未来を変える」ことも不可能ではないことになる。
もう一つの象徴的な勝負、渡辺美優紀VS小嶋陽菜戦では、けれどもそんな「超能力」が無効化されていた。小嶋さんと同等の「超能力」を渡辺さんも有するがため、「未来」は不定化した。「強い心」という部分でも二人は同等であり、この決勝戦は、普通に確率論の世界になってように思う。渡辺さんが勝ったのは、だからまったくの時の運なんだろう。確率2分の1の、ある意味、平穏な世界。
そう、AKBのじゃんけん大会は、「常識的」な感性から見れば、やはり異常な世界、異界になってたんだと思う。だからこそ、その面白さも突出して異様なものとなった。これはAKBムーブメントが持つ超越性の一表現と言えるかも知れない。
いちおう最後にお約束の如く書いとくけど、以上の全部を読んだ上で、私がイカレてるんだと判断するのは、もちろん自由だよ。