AKB48の旅

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「HARU-CON ブルーレイ総評」 リヴァイズド ヴァージョン (前編)

2014年09月11日 | AKB
本エントリは9月9日付け「HARU-CON ブルーレイ総評」の全面的書き直しです。題名は「リヴァイズド」としてありますが、なるだけ平易な表現を試みた結果、一見、まったく別物になってしまいました。


本年4月4日、5日に催された「春コン in さいたまスーパーアリーナ ~思い出は全部ここに捨てていけ!~」のブルーレイを視聴の上、SKE、HKT、NMBそれぞれの単独コンサートの感想を個別にエントリにして上げるつもりだったけど、一通り見通した後、結果的に、これが事実上不可能となってしまった。

というのも、同じ会場とセットを使った3連続のコンサートと言うこともあって、互いに比較するなと言っても比較してしまうものだし、そうなるとSKE、NMBについては、厳しい評価をせざるを得なくなってしまった。本ブログは、なるべくネガティブな内容を書かないことにしてる。なので、SKE、NMBについては、独立したエントリとしては書かないことにした。

もちろんそこには、個人的な好みという要素も色濃く反映されてるだろうから、それは決して正当な評価ではない可能性がある。私という個人の勝手な思い込みに過ぎないのかも知れない。それでも少なくともこれだけは言い切れるだろう。HKTはSKE、NMBとはまったく異なったコンサートを実現していたと。

まずは「春コン in さいたまスーパーアリーナ ~思い出は全部ここに捨てていけ!~」の中でも、いちばん見たかったHKT単独コンサートを最初に視聴して、その段階で9月8日付けの「HARU-CON HKT48」のエントリを上げた。それからSKE→NMB→Makingの順番で見たんだけど、HKTとのあまりの違いに唖然とさせられた。

こうして直接比較することで分かってしまう、とりわけHKTとSKEの違い。NMBは両者の間にしても、かなりSKE寄りな感じか。HKTが明らかに意図して目指してるに違いない方向性、そしてコンサートとしての楽しさが、SKEそしてNMBをも引き離して、ほとんど別次元になってる。

「九州7県ツアー」ブルーレイの感想でも絶賛させていただいたけど、その時点ではHKTコンサートの何が素晴らしいのか、差別化された要素は何なのかについて、あまり自覚的にはなれてなかったと思う。それがこうやって直接比較してみると鮮やかに分かる。

個別のダンスとか歌唱力とかパフォーマンスのレベルとかでは、SKE、NMBの方がはるかに優れてる部分が多いと思う。SKEの全力感や、NMBのダンスの美しさ、柔らかさは素晴らしいと思う。そこだけ比較するなら、HKTははっきり負けてる。

けれどもコンサートの楽しさは、そういったシンプルな要素だけで決まるものではない。とりわけ、こうやってコンテンツとして観賞する場合、恐らくは実際に参戦して会場で見るのとは違って、そういったパフォーマンスをストレートに楽しむだけではなく、どこか俯瞰の視点で見てしまうもの。

そういう視点では、コンサート全体を通していかに見るものの心を掴むか、魅了するか、感動させるか、飽きさせないかが重要になってくると思われる。そして「九州7県ツアー」時点で既にしてその傾向は明らかだったんだけど、ここでHKTは大差をつけてることに気づける。

メンバーのヴィジュアル面は置いとくとして、まずはコンサートの「基本設計」とも言うべき選曲と曲順でのアドバンテージ。例によってHKTの持ち歌が少ないことを逆手に取ってだろう、AKBG全体の膨大な楽曲群からはもちろんのこと、そこにすら留まらない過去の日本の歌謡曲群の蓄積からも選曲して来てる。その視野の広さだけでも驚かされる。

しかもその選曲は、決して恣意的(=自分勝手で理由のないもの)ではない。それは実際にコンサートを通して視聴してみると分かる。楽曲の音楽性や歌詞の内容はもちろんのこと、楽曲に付随する背景の情報群が、巧みに織り込まれてることが伝わって来る。

その多くが互いに無関係のはずの各楽曲が、ある意図を持って曲順として並べられ、ある意図を持って歌唱メンバーが振り分けられ、実際にこうやってコンサートとして作り込まれてみると、実に不思議な現象が現れてきてることに気づく。

各曲の曲調の移り変わり、歌詞の内容と世界観の連なり、各曲にまとわりついてる背景情報、それらがあたかも互いに繋がってるかのように、最初から関連していたかの如くに、いくつもの有機的な関係性が幻のように出現し、いくつもの物語が紡ぎ出されて来るのが分かる。

長くなったんで明日に続きます。