12月22日放送のNHK総合「指原ペディア アイドルを検索せよ!」が面白かった。番組としてのコンセプトというか全体像のようなものも興味深くて、そこは前回よりも今回の「アイドル」というお題の方が明解になってたと思うんだけど、そこはちょっと触りづらいんで、以下、個別の部分をつまみ食い。
「アイドルソングはコンペが基本」というのは、多少とも秋元氏の動向とか追っていれば常識的な範囲の話だと思うけど、指原さんもさも知らなかったかの如く驚いて見せてたけど、意外にも意外な情報扱いなのかな。
ヒャダイン氏による「ドキュメンタリーソング」そして「アイドルとは女の子たちのストーリー」という指摘も、当たり前とか言ってしまいたい、まさにそこが本ブログをやってるキモでもあるわけで。とりわけAKBGファンの多くは、その膨大な物語を消費してるんだろうと思われるし、そんな申し子こそが、正に指原さんと言うことになる。
AKBGがここまで隆盛できたのは、過剰の蕩尽に耐えるだけの巨大な仕組みを構築できてしまえたからと言えるだろうし、その構造は秋元氏という、常に枠組みの「外」を指向する仕掛け人の元に集ったメンバーたちの引き起こした複数回の「奇跡」による。こんなものはもう二度と拝めないだろうなあ。
「秋元康は80年代はモテた」というのは、例の斉藤由貴さんの「証言」をはじめ、まあそうなんだろうなと言うか、57歳のおっさんの書く歌詞が今なおみずみずしいと言うことに尽きてると思う。先日の「ボクらの時代」でも「誰よりも女子な歌詞」とか「青春」とか言われてた。
「指原さんが初めてアイドルと握手したのが中澤裕子さん」という情報は、アレ?これって既出だったっけ?。どうでも良いと言えばどうでも良いけど、「指原莉乃史」を語るためには外せない、もしかしてとてつもなく重要な情報に相当するのかも知れない。
「アイドルのビジネスモデル」問題は、様々な議論の在り方があって良いと思うけど、まずはAKBGが成し遂げてきた実績を、まずはリスペクトしたいなと。個別の要素は置いといて、ビジネスモデルとしてのAKBGというシステムを鑑みた場合、これはまったく新しい試みだったんだと。
ヒャダイン氏が指摘した「アイドルは総合芸術」、あるいは指原さんの言う「お客さんの前で披露して初めて完成」というのは、地味に鋭い指摘というか、たぶんこれはコンサートという枠組みというかイメージに吸着されがちになってしまうんだろうけど、これは確か濱野氏なんかもが語ってたように思うけど、アイドルのパフォーマンスとは、詰まるところ「祭り」なんだと言うことかと。
「アイドルソングはコンペが基本」というのは、多少とも秋元氏の動向とか追っていれば常識的な範囲の話だと思うけど、指原さんもさも知らなかったかの如く驚いて見せてたけど、意外にも意外な情報扱いなのかな。
ヒャダイン氏による「ドキュメンタリーソング」そして「アイドルとは女の子たちのストーリー」という指摘も、当たり前とか言ってしまいたい、まさにそこが本ブログをやってるキモでもあるわけで。とりわけAKBGファンの多くは、その膨大な物語を消費してるんだろうと思われるし、そんな申し子こそが、正に指原さんと言うことになる。
AKBGがここまで隆盛できたのは、過剰の蕩尽に耐えるだけの巨大な仕組みを構築できてしまえたからと言えるだろうし、その構造は秋元氏という、常に枠組みの「外」を指向する仕掛け人の元に集ったメンバーたちの引き起こした複数回の「奇跡」による。こんなものはもう二度と拝めないだろうなあ。
「秋元康は80年代はモテた」というのは、例の斉藤由貴さんの「証言」をはじめ、まあそうなんだろうなと言うか、57歳のおっさんの書く歌詞が今なおみずみずしいと言うことに尽きてると思う。先日の「ボクらの時代」でも「誰よりも女子な歌詞」とか「青春」とか言われてた。
「指原さんが初めてアイドルと握手したのが中澤裕子さん」という情報は、アレ?これって既出だったっけ?。どうでも良いと言えばどうでも良いけど、「指原莉乃史」を語るためには外せない、もしかしてとてつもなく重要な情報に相当するのかも知れない。
「アイドルのビジネスモデル」問題は、様々な議論の在り方があって良いと思うけど、まずはAKBGが成し遂げてきた実績を、まずはリスペクトしたいなと。個別の要素は置いといて、ビジネスモデルとしてのAKBGというシステムを鑑みた場合、これはまったく新しい試みだったんだと。
ヒャダイン氏が指摘した「アイドルは総合芸術」、あるいは指原さんの言う「お客さんの前で披露して初めて完成」というのは、地味に鋭い指摘というか、たぶんこれはコンサートという枠組みというかイメージに吸着されがちになってしまうんだろうけど、これは確か濱野氏なんかもが語ってたように思うけど、アイドルのパフォーマンスとは、詰まるところ「祭り」なんだと言うことかと。