AKB48の旅

AKB48の旅

「セブンスコード」の当て書き

2014年02月24日 | AKB
まだ発売前だけど、MVは公開されてるし、歌詞も明らかになってるんで、もう取り上げても良いよね。前田さんの新曲「セブンスコード」がいろいろと凄いぞ。作詞が秋元氏との確定情報がまだないけど、歌詞の内容を見る限り、秋元氏以外ではあり得ない。やはりモチベーションが違うんだろう。前田さんの曲に外れなし。ロック調の格好良い、ある意味分かりやすい曲になってるけど、もちろんのこと、注目は歌詞ということに。

まずは言わずもがななんだけど、例によってぶれることなく、この歌詞は明らかに前田さんへの当て書きになってる。トータルに見ると、歌詞の抽象度が上がってるようにも見えるけど、袈裟の下に鎧どころか、よく見るとほとんど本音丸出しの、かえってストレートな表現が露出してるとも取れる部分がある。

とりわけ凄いと思わせられるのが、冒頭の「砂の丘の上で 僕はずっと君のことを 待っていたんだ」と、ラストの「僕が死んで灰になっても 愛しさは セブンスコード」という部分。こんだけリアルでストレートな表現は初めてじゃないだろうか。これは前田さんに対する、思いの丈と取って良いんじゃないか。

そんなに無理スジではないと思う、意訳をしてみるなら、「諸行無常、確かなものは何もない、この残酷な世界で、僕(秋元)はずっと君(前田)に出会えるのを待っていたんだ」「もう55歳になる僕(秋元)が、そう遠くない未来に死んで灰になっても、君(前田)への愛しさは、セブンスコードの音色のように、いつまでもブルージーに鳴り続ける」くらいか。

秋元氏が前田さんを特別扱いしてる、それだけ書くと、当たり前のことを言ってるだけに取られるだろうけど、たぶんこの「特別扱い」というのは、秋元氏の個人的な愛情とか依怙贔屓とかじゃない。もちろんその辺りの線引きは、厳密には不可能かも知れないけど、それでも秋元氏は、おそらく本心から、前田さんが特別な人間、神に選ばれた人間だと確信してるに違いない。だから当然のこととして、「特別扱い」してる。

秋元氏はこれまで再三にわたって、前田さんを賞賛し続けてきた。それは、AKBを成功へと導いた強運を目の当たりにして来た、その実績に加えての、前田さんが持つ独特の空気感、硬質な存在感という、他にちょっと例のない特異才能を高く評価したからだろう。もちろん、そこには巷間で取りざたされるように、自分が見つけた、自分が育てたという自負がないとは言いがたいかも知れない。

それでも、秋元氏が常々語ってるように、スターの条件であるところの、運と才能の両方を併せ持つ存在、それが前田さんなんだと言うことかと。実際、このMVでも、一人だけ存在の濃度が違うような映像が続いてた。映画「セブンスコード」を早く見たい。

NHK音楽熱帯夜 AKB48選抜総選挙スペシャル 再見

2014年02月23日 | AKB
第4回AKB48選抜総選挙は、2012年6月6日に催されてる。会場は第3回と同じく日本武道館。フジでの地上波生中継があり、ネット配信があり、こうしてNHKBSのスペシャル番組が製作されるということで、メディアサイド的な視点だと、一大ブレイクという風に写る。当時のあやふやな記憶でも、とりわけ印象的な出来事だったように思い出される。

けれども、こうして現在から選抜総選挙の歴史を振り返って、第1回から順番に見返してみると、この第4回は立ち止まった感触がある。第1回が選抜総選挙の幻のような始原となり、第2回で爆発的インフレーションが始まり、その勢いが第3回へと持続する、そんな流れが、この第4回では滞ったかのように写る。

内容的な面白さのことを言ってるのではない。選抜総選挙というイベントとしての凄さは言うまでもない。順位の発表には当然の如くワクワクするしかないし、各メンバーのスピーチが素晴らしい、魂の叫びになってるのも変わりない。けれども、選抜総選挙の歴史的な流れ、この試みが持つモメンタムとしての爆発的な何かが、停滞したことが分かるように思う。

既述のように、第4回の投票総数は138万4122票であり、第3回の投票総数116万6145票から2割程度の増加に止まった。会場も第3回と同じ日本武道館だった。もちろん単純に投票総数だけで語れる話ではないことは分かってるし、直接観覧者数みたいな指標も、当初からは大きくその意義が変わってしまったことも理解してるつもり。

強いて言うなら、前田VS大島というメインストリームの物語が終わった後、次の物語であるところの指原レボリューションがまだ仕込みの段階であり、そういう意味での狭間の選抜総選挙とでも言うか。もちろん松村さんを含む、SKEの台頭と言った見所はあったんだけど、それはやはりサイドストーリーにしかならなかった。

第4回選抜総選挙は、テレビという増幅装置に正式に乗っかった上に、ネット配信まで実現したことで、見かけ上の大拡張は間違いなくなされた。けれども、それは所詮はテレビだったということ、ネット配信だったということ、つまりは発信サイドの都合の問題なんであり、内部的な実体を伴ったものではなかった。

なんか、西武ドームの初日の秋元氏の講評で語られた、「立ち止まったな」という言葉が思い出される。私の中での勝手な思い込みだけど、この第4回選抜総選挙の立ち位置が、どこか西武ドームコンサートと重なって見える。おそらくはこの感触こそが、第5回の会場を日産スタジアムへと変えた、その一番の理由なんではないか。

個別の内容的には既述かも知れないけど、何と言っても47位で呼び出された宮脇さんが印象的だった。この時点ではまだ幼さが残る容貌だけど、内奥から輝くような美しさが、既にして仄見えてる。これはたぶん間違いなく知性の光なんだろう。

あとは終わった歴史としてだけど、篠田さんの「潰すつもりで来て下さい」。指原さんの助走として4位と、やはり見事と言うしかない構成のスピーチ。渡辺麻さんの「1位をとりたい」宣言という足掻き。ちなみに「足掻き」と言う言葉に、けなす意図は一切ないことは断っとかないと。こういう「足掻き」こそが日本的な真の美しさ。大島さんのスピーチでは、やはり前田さんは来なかった方が良かったと感じられた。ホント、テレビ局というのは美しいものを平然と壊して行く。

高橋さんの「視察」行動

2014年02月22日 | AKB
24日に迫った「大組閣」の直前というスケジュールで、チームKの演目が、K4th「最終ベルが鳴る」公演に変わった。20日の初日のできは素晴らしいものだったとのことだけど、昨日の今日でK4thつながりとかそういうことでは全くなくて、注目したいのは、その初日に、高橋さんと渡辺麻さんが、劇場に見に来ていたということ。

それも、チームN「ここにだって天使はいる」と同様、ゲネプロがあったにも関わらず、そちらではなく敢えて初日公演を「視察」してたことになる。渡辺麻さんは、高橋さんに着いて行っただけかも知れないけど、間違いなく主導的だったろう高橋さんの意識としては、「視察」行動にあったと見るしかないんじゃないか。

つまりは、既述の繰り返しになるけど、これは本来の自然発生的だった高橋さんの役割とは微妙に異なる、肩書きとしての「総監督」としての行動と解釈できることになる。「総監督」という役付けによって再定義されてしまった高橋さんの、これはそれを受け入れた、自己了解した上での行動と取るのは、勇み足が過ぎるだろうか。

なんか奥歯にものが挟まったようなことをずるずる書いてるけど、今回も含めた高橋さんの一連の行動が、一本の線上に並んでるように見えるのが、何とも気になる。これがもし「大組閣」絡みとするなら、高橋さんに関わる大人事があることが推定されてしまうし、そこを深読みするなら、「ここにだって天使はいる」公演初日に、秋元氏が高橋さんを「視察」に誘ったであろうのと同様にして、高橋さんが渡辺さんを誘ったことになる。

うーん、予想とかは一切したくないんで、この手の話には24日が過ぎるまで触れないでおこう。

「回遊魚のキャパシティ」の歌詞と指原さんの関係

2014年02月21日 | AKB
「博多レジェンド」の見事な選曲と構成については、何を今さらなんだけど、その白眉が「回遊魚のキャパシティ」になるという見方に、異論とかあるんだろうか。楽曲としてのできが素晴らしいのはもちろのこと、公演の構成的にもそういう流れになってるように、少なくとも私には感じられた。

その「回遊魚のキャパシティ」だけど、リクアワ2010の97位に入ったきりで、あとは「AKBグループ全公演」での再演で見れるのみ。言わば忘れられた名曲の代表的なものだった。だから、指原さんがHKTに引っ張ってきて「博多レジェンド」に組み入れた、先日のぐぐたすの記事も含め、そういう理解で合ってるように思う。

けれども、もう一つ、指原さんがこの曲に拘ったであろう理由があるんじゃないか。そんな典型的な妄想を、以下に述べてみようと思う。

秋元氏の作詞方法としては、「当て書き」の他に、言わば「キーワード方式」と呼ぶべきものがあるらしい。高橋さんのソロデビュー曲「Jane Doe」の特典映像で、秋元氏が高橋さんに、作詞指南をするというのがあった。そこで行われていたのが、ブレスト方式でキーワードを挙げて行って、その中から複数を組み合わせて、その関係性を物語にしつらえて、歌詞へと練り上げて行くというものだった。

そこで「回遊魚のキャパシティ」なんだけど、この歌詞はある種、そんなキーワード方式の典型例になってるんじゃないか。まず「回遊魚」と「キャパシティ」という題名を構成する2つの言葉が、通常の会話とかからはなかなか出てこない単語だろうし、普通に考える限り、「の」で結びつけられる関係性でもあり得ない。

つまりブレスト方式とは限らない、恐らくはまったく無関係の方面、例えばマカオのカジノあたりから「回遊魚」を、コンサート計画の会議辺りから「キャパシティ」を引っ張ってきて、この2つを、「回遊魚」→「水族館」→「大水槽」→「キャパシティ」とか連想して、そこに恋愛模様をかぶせて、粉飾したものが、この「回遊魚のキャパシティ」の歌詞の生い立ちなんじゃないか。

けれども結果として、この歌詞はとても振れ幅の大きいダイナミックなものになって、やはり印象的な曲調とマッチして、かくして「回遊魚のキャパシティ」という名曲が完成したことになる。言葉に敏感な指原さんなら、この歌詞が持つダイナミズムに関心を引かれても不思議ではないし、ご自身自ら、類似の手技で物語を構築してるということもある(既述)。何らかの共感を覚えたとしても、やはり不思議ではないのではないか。

AKB48 DVD MAGAZINE "VOL.7 AKB48 22thシングル選抜総選挙"

2014年02月20日 | AKB
第3回選抜総選挙は、2011年6月9日、ついに日本武道館での開催ということになる。現時点だといろいろ麻痺してしまって、武道館が大箱だとは感じられなくなってしまってるけど、当時はもちろんそんなわけがない。既に横浜アリーナや代々木体育館を経験していたとは言え、それでもコンサートではない、選抜総選挙というイベント会場として、武道館が選ばれるという。

第3回の投票総数116万6145票で、第2回のおよそ3倍。総観覧者数は不明だけど、武道館の入場者を仮に11000人、全国86カ所の映画館中継の、それぞれの入場者を平均150人程度と見積もるなら、概略13000人。合計24000人と推定されることになり、第2回の2倍と言うことになる。

もちろんこれに、『なるほど!ハイスクール』での中継が加わるので、実際のリアルタイム観覧者数は、これよりも大幅に多かったことになる。とは言え、中継は確か上位発表に限られていたし、やはり足を運んで有料観覧した人数にこそ意味があるとも考えられ、観覧者数での第2回との比較は、一義的になかなか難しいと考えられる。

比較を投票総数に絞るなら、インフレーションのスピードとしては、第1回→第2回が第2回→第3回の倍と言うことになる。先走って言うなら、第4回の投票総数は1384122票と20%程度の増加にまで減速しており、インフレーションという現象の性質からしても、選抜総選挙の性質を決定したのは、第2回と考えて良いように思うし、実際、この第3回を視聴しても、その結論は変わらなかった。そんな第2回の相似形にして拡張だった第3回にあって、現在から遡ることで発見できる二つのエポックが、とても印象的だった。

まず一つ目は、「指原クオリティ覚醒」が、ここにしっかり刻みつけられていたこと。いみじくも木佐氏がそのまんまの言葉で、指原さんを紹介してた。そこで披露された見事すぎる構成のスピーチ、そしてファンなら誰でも知ってる名言「ダンスも下手だし、歌も下手だし、カワイくないし」これが正に指原さんの「覚醒」宣言だったことが分かる。

もう一つは、前田さんと大島さんの物語が、この第3回でしっかりと終止符が打たれていたこと。第2回のリベンジが果たされるとともに、大島さんの「票数というのは皆さんの愛」と、前田さんの「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という名言によって見事に締めくくられ、この二人の戦いの物語は、ここで終わってることが分かる。

恐らく、終わった物語の主人公としての前田さんの卒業は、この第3回で決定づけられていたんであり、それに気づけるか気づけないかの段階へとシフトしていた。そして前田さんは本能の如くそれに気づけたし、大島さんは気づけなかった、そういうことなんだろうと思う。嗚咽し身を振るわせ続ける前田さんの姿は、そんな個人を遥かに超えた、巨大な物語に翻弄される恐怖に必死に対峙する、そんな姿にすら見える。

と同時に、運命のいたずらのように、ここに指原さんという次の物語の伏線がしっかりと張られてた。運命に闘いを挑むという表現が不遜であれば、神の意志を試すでも良い。いずれにせよ、そういうAKBムーブメントの存在様式が、こんなにも面白い物語を紡ぎ出す。言い過ぎになるのを恐れるけど、そして唐突だけど、ふと生命現象の残酷さと美しさということを想起させられる。