AKB48の旅

AKB48の旅

坂倉昇平著「AKB48とブラック企業」

2014年02月19日 | AKB
本の題名だけを見ると勘違いしてしまいそうだけど、決してAKB48イコールブラック企業といった内容ではない。労働問題というスコープでもってAKBを読み解く、というとちょっと違うけど、言わばAKBを日本の労働問題のイディアル・ティプスに見立てて論じるとでも言うか、そんななかなかユニークにして、はっきり断言してしまおう、秀逸な内容になってる。傑作とまでは言い切らないけど、私がこれまで読んできたAKB関連の著作の中では、間違いなくダントツに面白い。絶賛。

まず何よりも素晴らしいのは、著者がAKBのハイコンテクストの隅々まで、正確に知り尽くしてること。不肖私が気づける範囲で、誤解や無理解、偏見はほぼ皆無(ここで「ほぼ」というのは理由があるけど、それは後記)。かと言って決してヲタ目線でもない。そういう意味では、些かの躊躇とともに書かせていただくけど、本ブログの立ち位置に極めて近い。ちなみに、だから褒めてるわけじゃないからね。

その上で、例によってこれは批判ではないよと断っておくけど、問題点があるとすれば、それは著者の専門分野なんだろう、労働問題というカテゴリー内に、結果的にではあっても、AKBムーブメントを、いわば矮小化してはめ込んでしまってるところかと。そのため、著者の想定したテーブルからはみ出してしまう部分は、存在しないことにされてしまうか、もしくは理解を歪ませるしかなくなるわけで、実際にそう感じられる部分がけっこうあった。

一例、本ブログにおいて高く評価するととともに、たびたび参照させていただいてる仲谷明香著「非選抜アイドル」について、本書でも複数箇所で参照されてるんだけど、その取扱は恣意的なものになってると言わざるを得ないし、その一方で、少なくとも私には仲谷さんの主張の根幹と思われたAKB共同体論が、みごとにスルーされてる。

また、労働問題と言うことでは避けて通ることはできないはずの、宗教を含めた行動規範や倫理について、まったく触れていない、少なくとも明示的ではないのも気になった。宗教問題が大変面倒というのは分かるけど、そしてそちら方面の専門書なんかでも、ほぼ見事にスルーされてるという背景としての現実は知ってるけど、それでも敢えて指摘せざるを得ない。

もちろんのこと、「宗教を含めた行動規範や倫理」ということは、それを論じるためには人間論、そして文明論にならざるを得ないんであって、そこまで視野に含めることができたなら、これが労働問題という枠組みを遙かに超えるものであると言うこと、AKBムーブメントが、とんでもなく大きな枠組みの中に置かれるべきものであると言うことに、気づけるんじゃないかと思う。

それでも、日本文明論の系としての労働問題という視点ということであれば、それはそれで十分に意義深いことだと思うし、本書はたぶん、そういった方向性での初の試みじゃないだろか。分析の適切さとユニークさという両面で、そしてなによりも、上から目線で申し訳ないと断っとくけど、AKBというものを相当程度、正確に理解されてるという点で、高く評価したいと思う。

AKB48 DVD MAGAZINE "VOL.4 AKB48 17thシングル選抜総選挙"

2014年02月18日 | AKB
第2回AKB48選抜総選挙は、2010年6月9日、JCBホール(現TDCホール)で開催されてる。オープニング曲が「ポニーテールとシュシュ」である事からも分かるように、この時点で、既にしてAKBの快進撃は始まってる。

その影響がはっきり分かるのが、正にこの選抜総選挙の規模の変化と言うことになる。総投票数は、第1回が64509票だったのに対し、第2回では377786票と6倍近くになった。会場が赤坂BLITZからJCBホールに替わっただけでなく、29スクリーンでの映画館同時中継が行われ、総観覧人数は12000人と10倍以上になった。正にここがAKBインフレーションの始まりであることが分かる。

さらに、徳光氏、木佐氏というその道のプロが司会ということもあって、はっきりと空気感が変わった。第1回に漂っていた身内感、ローカル感が、さらに言うなら「地下」感がすっかり払拭されて、後の選抜総選挙の喧噪へと繋がる重苦しさの芽生えが、はっきりと感じられた。

第1回ではまだ分からなかった、選抜総選挙の意味するところが、この第2回にして誰の目にも明らかとなって、その上で新たな順位の上下が晒されたわけで、結果として、多くのメンバーのスピーチが魂の叫びになった。第1回では前田さんだけが到達してたレベルに、多くのメンバーが否応なく辿り着かされた、そういう風に見える。

中でも、とりわけ印象的だったのが、渡辺麻さんの激情の吐露、篠田さんの泣き崩れ取り乱す様だろうか。今ではこういう姿は決して見られなくなっただけに、これはちょっとしたレアものかも知れないと思う。一方で、指原さんのスピーチは、逆の意味で興味深かった。この時点では、まだ指原さんに「神」は降りてないように見える。「指原クオリティ覚醒」はいつだったんだろう。

こうやってあらためて振り返って見ることでも確認できる、AKB48選抜総選挙という仕組みにまとわりついていた「陰気」とは、正に前田さんが纏うそれだったんだということ。第1回での「前田コール」からの、前田さんの血を吐くようなスピーチ、あれが第2回にして、ほとんどのメンバーを感化したかのように、蔓延して行ったことが分かる。そして、この流れを決定的なものに化けさせたのが、その前田さんのまさかの敗北、正に大島さんの1位と言う結果だったことになる。

さらには、この段階では伏竜鳳雛ですらなかったに違いない指原さんが、後にすべてをひっくり返すことになる。「事実は小説より奇なり」という表現すら凌駕する、この選抜総選挙の歴史は、そしてAKBの歴史は、目も眩むようなあり得ない奇跡の物語と評するしかない。

あとは徳光氏が、この初めて担当した司会にして、既にしてAKBの本質を正しく捉えてることが分かって、ちょっと驚いた。以下、3位の発表の前に、徳光氏が語ったAKB評の文字おこし。

「AKBの仲間達っていいますのは、その、本当にですね、ライバルであり仲間であるという、そういったところでですね、お互いにやっぱりその競争しあう、そこから生まれるホンモノの友情。からまた、傷ついた心をですね、癒やしあう優しさ。から、ファンという人達を通しまして人への感謝。こういったようなものも備えている。つまり、今の教育にないものを、AKBのなかで、みなさんそれぞれですね、育て培ってらっしゃる。」

さらにエンディングでは、徳光氏は以下のように語ってる。

「昭和のアイドルとは違いまして、平成のアイドルは、文字通り、自分の言葉を持っております。これに私は感動しました。」

徳光氏の生年は1941年(昭和16年)とのことで、「昭和一ケタ」世代と、戦後ベビーブーマー(いわゆる団塊)の狭間の世代と言うことになる。この世代の思想傾向は、同年の生まれの宮崎駿氏をはじめ、左翼傾向が強いのかもしれないけど、「昭和一ケタ」世代のような壊滅的ということはないようだし、いわゆる団塊世代のような偏向もあまりないという理解で合ってるかな。だからこその、このAKB評なんだろうか。

単に、ホンモノはホンモノを知ると言うだけのことかも知れないけどね。

AKB48 SHOW #17の「お願いヴァレンティヌ」

2014年02月17日 | AKB
「桜、みんなで食べた」を絶賛した、昨日の今日なんだけど、AKB48 SHOW #17で「お願いヴァレンティヌ」の、しかも待望久しかったフルバージョンで披露されたんだから仕方がない。こちらも絶賛するしかない。

私が知る限りで、フルバージョンの映像は初じゃないだろうか。それだけでも貴重なものだと思う。けれども、それよりなにより、これだけの良曲を、私的には間違いなく「桜、みんなで食べた」が出るまではHKTのベスト曲だったものを、1年間もの間、事実上「封印」していたというとんでもなさが何とも。いくら季節曲だからと言って、もったいないお化け(死語)が出るぞという。

選抜メンバーは、「桜、みんなで食べた」選抜から、秋吉さんが下野さんに入れ替わってる。この撮影がいつ行われたか分からないけど、もしこっちが「桜、みんなで食べた」より先だったとしたら、この段階で、ほぼ現選抜が固まってたことになるのかな。

フォーメーションの基本は、AKB伝統の田島さんセンターのピラミッド配置。これが見事にはまってる。田島さんの癖のある可愛らしさが際立ってる。HKTは全員のビジュアルレベルが高いということもあって、こういう強すぎくらいの個性の存在は、得がたいものだと思う。これを見るにつけ、田島さんがHKTに来てくれた幸運を、その強運を感じずにはいられない。

衣装も、リクアワ2013の初披露のものと同一だと思うけど、これも素晴らしい出来なのに、ずっと封印されてきたことになる。記憶があやふやだけど、「AKB48グループ臨時総会 ~白黒つけようじゃないか! 」のHKT単独公演の時は、確かセトリ流れの別の衣装だったと思う。

矢吹さん、田中さんの子供っぽさ、無邪気な可愛さもこの曲にぴったりで、逆に指原さん、多田さんにはちょっときついか。この辺り、別に揶揄とかではなくて、たぶんフラットに見れば、誰でもそう感じるんじゃないか。HKTのシングルが、この「お願いヴァレンティヌ」路線ではなくて、「スキ!スキ!スキップ!」「メロンジュース」という元気路線になったというのは、もしかして指原さん、多田さんへの、消極的な配慮だったのかな。

そして三期生が入ってきて、矢吹さん、田中さんという戦力を得て、あらためて元気で可愛い路線の「桜、みんなで食べた」になったということなのか。

ミュージックステーション2月14日の「桜、みんなで食べた」

2014年02月16日 | AKB
最初に視聴した時は耳あたりが軽すぎる感じで、さらりと聞き流してしまったけど、何度か見返し聞き返すと、中毒性が高い曲であることが分かる。AKBシングル並みの、細部まで精緻な作り込みがなされてることに気づく。すごい良曲が来た。「恋するフォーチュンクッキー」並みに、現在ヘビロテ中。

曲自体の出来が良いのはもちろんだけど、ヴィジュアルとのマッチングが素晴らしい。今この瞬間のHKTでなければならない、そんな説得性がある。女性アイドルの刹那性を誰よりも理解してるであろう、秋元氏の面目躍如と賞賛したい。衣装もフリもアイドルど真ん中な感じで、HKTの曲としては、ついに「お願いヴァレンティヌ」を抜いて、たった今から、一番好きな曲になった。

その重要な要素であるフォーメーションは、おおむね二つの形態の前後可変という理解で合ってるかな。以下配列を、文字ずれを嫌って箇条書き風に書き出してみる。実際の配列は、ミュージックステーション映像を見てもらうか、もしくは脳内補完ということで。

最初のフォーメーション
三列目:中西、本村、秋吉、多田、穴井、村重、淵上
二列目:森保 田中、指原、矢吹、松岡
一列目:宮脇 田島 朝長 兒玉

第2のフォーメーション
四列目:中西、本村、秋吉、穴井、村重、淵上
三列目:森保、田中、多田、矢吹、松岡
二列目:宮脇、指原、兒玉
一列目:田島、朝長

基本的なフォーメーションは上記の2形態で間違いないと思うけど、全体を通してシンメトリーが強く意識されているのが特徴かと。下段の第2のフォーメーションではツートップになってるとは言え、これはもはや、AKBG伝統の、センターポジションを頂点としたピラミッド配列とは、別物になってるんじゃないか。

シンメトリー配列の場合、各列の人数が偶数か奇数かで、その意味するところが変わる可能性が高い。実際、一列目が2人もしくは4人なのに対し、二列目が3人もしくは5人、三列目が5人もしくは7人と言うことで、こちらにはシンメトリーのセンターが存在することになる。つまりは、指原さん、多田さんが、このフォーメーションの核であることが分かる。

さらに踏み込めば、フォーメーションの中心には、常に指原さんがいることになり、そんな指原さんの周囲を、他のメンバーが移動してると見なすことができる。つまりは、指原クォーターバック体制ということになる。実際、指原さんの安定感が、全体を良く締めてる。ちなみに、この体制のオリジナルが、「After rain」ではないかとする見立ては、既述の通り。

アメリカンフットボールの比喩が、いろいろふさわしくないのは分かってるけど、そこには目を瞑ろう。とすれば、多田さんがラニングバックくらいまでは言ったもん勝ちかな。三列目7人の動きはショットガンフォーメーションか。攻守を無視して、二列目の出入りはラインバッカーのblitzなんちゃって。とすればsackされるのはファンというオチが。←悪のり過ぎ。

BS日テレ「AKB48たかみな編集長のトビタテ!留学マニュアル」

2014年02月15日 | AKB
第1回放送が2月13日にあったけど、題名通り、留学のススメという主旨と素直に理解するとして、なんかいろいろ微妙。

まずは、BS日テレ放送というのがなんとも。ターゲットが直接的に若者であるのなら、そもそもテレビをあんまり見ない上に、BSなんて無理スジが過ぎるんじゃないか。間接的に親世代だとしても、それですら、どれだけ視聴率があるんだという。

次に、出演メンバーが高橋さんの他は、高城亜樹、佐藤すみれ、鈴木まりや、中村麻里子、渡辺麻友、入山杏奈(敬称略)の6人とのこと。高城さんとJKT、鈴木さんとSNHはすぐに思いつくけど、インドネシアと大陸中国を留学先にと言われても、ピンと来る人はいないはず。他の4人となると、留学のイメージはまったく沸かないような。ここは仲川さんと宮澤さんを、無理にでもスケジュール調整して出演させるべきところなんじゃないかとか、お節介にも考えたくなるところ。

文部科学省がスポンサーというのも、なんともはや。下村文部科学大臣自ら出演してたけど、そんなに留学を促したいんなら、ちゃんと政策として提起した上で、おカネの問題として具体化するのが先なんじゃないか。ググり方を間違えてるかも知れないけど、「国費留学生」だと外国人留学生の受け入れ話ばかりになる始末だし、日本人に対する留学補助は、狭き門的な話しか出てこない。

なんか苦言ばっかりだけど、今後何回か続くらしいけど、高橋さんの能力を生かせる番組作りになってるようには見えないんだから仕方がない。あとはついでになるけど、ナレーターが山里氏というあたりからも、安直さが滲み出るなあ。