AKB48の旅

AKB48の旅

「見えないバトン」

2017年09月20日 | AKB
“純AKB48”の後輩たちがグループを守る? 渡辺麻友卒業シングル選抜から見えた未来への課題

「麻友ちゃんが守ってきてくれたものをここで守りきれるかが、今後のグループの鍵になるんじゃないかな」。これは、9月4日にAKB48劇場で開催された渡辺の最後の生誕祭にて、指原莉乃が送った手紙に綴られた言葉だ。続けて、「横山(由依)やAKBの後輩たちはきっと大丈夫。なんてったって、麻友ちゃんの背中を見てますから。グループを支えてくれると思うし、安心して卒業してください」とも伝えている。劇場公演『M.T.に捧ぐ』では、本編最後に横山が先輩たちへの尊敬と感謝を述べる時間があるが、AKB48には脈々と受け継がれる見えないバトンのようなものがある。AKB48という看板、プレッシャー。指原の言う“守ってきたもの”は、本人たちにしか分からない重く、大きなものであることは想像に難くない。

一例、横山さんの座右の銘であるところの「してもらったようにしていく」で本ブログ内を検索していただければ、あらかた出てくると思うけど、「誰かのために」と「お陰様」、動的平衡と自己組織化共同体、そして「してもらったようにしていく」という局所の良循環と相似形の全体の良循環というフラクタル構造、それらの綾なす巨大な幻想がかつては確かにあったように思われたのだけど、前田さんからの脱学習、高橋さんからの脱構造の過程を通して、希薄化してしまったとも考えられる。

すっかり影が薄くなって、今にも消え入りそうだけど、それでもそれはそこにあり続けてるのであり、引き受ける意思の持ち主の存在によって、何度でもよみがえることができる。「見えないバトン」という表現はいかにも即物的で表面的に響くけど、ひとたびその奥をのぞき込めば、AKBという名の巨大なアカシックレコードが広がってることになる。

NHKBSプレミアム「100年インタビュー秋元康」

2017年09月19日 | AKB
NHKBSプレミアムで17日に放送された「100年インタビュー秋元康」が、それなりに面白かった。「それなりに」というのは、例によって新情報がほぼない、いつもの如くの秋元氏ではあったけど、それでもいくつか気づけることがあったから。

まずは「立ち止まったら死ぬ」のはAKBのことだと、かつては常識のように語られてたし、秋元氏の過去の言動にも、それに類するものがあったと記憶してるけど、実は「立ち止まったら死ぬ」のは秋元氏のことだったらしい。

休息なしのショートスリーパーであること、つまりは自己ブラックにしてワーカーホリック(死語?)であることを自ら語ってたけど、その原点にして出自に相当するものとして、「17歳の秋元少年の心」をあげていた。

秋元氏曰く「17歳の少年の心」のまま、その当時からの延長のままで現在の59歳の秋元氏に至ってるとのことで、働き続けてることでそんなペテンが実現されてるとの解釈が成り立つと思われる。であれば、働き続けることを止めた瞬間、玉手箱が開いてしまうことになるんじゃないか。

つまり「立ち止まったら死ぬ」のは秋元氏という自白なわけで、他者批判(評価)は自己紹介の法則からは、秋元氏といえども逃れられなかった、ここでも見事に成立してしまってることになる。

美空ひばりさんと「川の流れのように」のエピソードは、それこそ飽きるほど聞かされてきた話だけど、それでもこうしてNHKという枠組みで、あらためてしみじみと語られてみると、それが美空ひばりさんから秋元氏への「受戒」だったんだなということが伝わってきた。

あとは、おニャン子クラブ時代の「共犯意識」と現代におけるSNSの存在様式が相似であるという指摘は、秋元氏がそれを語るというのが新鮮に感じられたかな。


以下追記

Unknownさん、コメントありがとうございます。「アラ探し」という言い方は、比較的シンプルで誤解とかは受けにくいように思いますが、たぶん「強いものいじめ」と言う時の曖昧なニュアンス、グレーゾーンの方を、松本氏は(そして私も)、強調したがってるのかも知れませんね。



「強いものいじめ」

2017年09月18日 | AKB
ここんとこ何度かのワイドナショーの出演では、以前の切れ味が影を潜めてる感の指原さんだったけど、17日のワイドナショーでは、一瞬だけではあるけど久々に光った。と言ってもスマッシュヒットとかではなくてアシストなんだけど、指原さんと松本さんのやりとりの中で放たれた「強いものいじめ」という言葉。これにはいろんな意味でハッとさせられた。

これを「ジャイアントキリング」的な意味で、ナイーブに使えたかも知れない「牧歌的」な時代が終わってしまい、いろんな意味でめんどくさいことになってしまってる、そんな百鬼夜行の如き状況。つまりは「ポリティカルコレクトネス」であったり、「ヘイトスピーチ」であったり、差別だったり共生だったり、ひいては北朝鮮やトランプ大統領だったりするもの。

人によっては日本の安倍首相についても、そのように見えてるのかも知れないし、先日とりあげた「人間の居場所」もまた、この問題意識に深く関わるのは明かだろう。

「強いものいじめ」はそんな現状を鋭く抉る言葉になってる。さすがは松本さんにして指原さんということになる。

国境と文化

2017年09月17日 | AKB
アイドルに国境はないーーアジアに広がるAKBグループの海外展開を考察

メンバーは自ら志願して海外グループに移籍している。彼女たちにとって、言葉や生活習慣、仕事のスタイルも異なる海外で活動することは大きな挑戦だ。それでもジャカルタの仲川遥香のように、日本にいた時には想像もつかない活躍をしているメンバーもいる。

 現在、日本人が海外のタレントの動向をSNSでチェックするように、世界中の人々が日本のアイドルの活動をチェックしている。アジア諸国でもスマホが普及し、日本のコンテンツがいつでもどこでも視聴できる時代だからこそ、アイドルに国境はない。日本だけでなく世界規模で活躍できるアイドルがこれからも登場し、いずれは日本と各国の「友好の架け橋」になることが期待されている。


恒例の佐藤仁氏による素晴らしい記事。

敢えて突っ込まさせていただくなら、現実的には国境は厳然と存在するとしか言えないだろうと思う。政治の壁というのはリアルなものだし、分かりやすい例として、就労ビザを取得することのハードルの高さを上げるというのもありだろう。

けれども文化には、そのような物理的なものに近いような壁は存在できないと思われる。誤解を恐れずに言い切ってしまうなら、文化が高きから低きに流れることを完全に押しとどめることなど、誰にもできない。それは水の如くにシンプルにナチュラルに引き起こされる。

かつての鉄のカーテンも、ベルリンの壁も、文化の浸透を阻むことはできなかった。誇張表現で言い切るなら、ビートルズとウォークマンが冷戦をも終息させてしまった。

さらにはアジアという立地には、既にして多くの先人の骨が無造作に埋まっており、忘れ去られたかのように無数の魂が佇んでる。既にして終わってしまった志、堆く積み上がった悲劇が、言わば呼び水となってくれてる。アイドル文化もまた、容易に国境を越えて行く。感謝しかない。

GQ JAPAN 2013年2月号

「人間の居場所」の暗鬱

2017年09月16日 | AKB
昨日の記事でとりあげた「シリア難民、AKB、LGBT、暴力団、刑務所」とはどういうことなのか。元記事を読んでも分からないし、けれどもどうにも気になる気になる。ということで田原牧著「人間の居場所」を手に取って読んでみた。結論から先に言うけど、いつ以来だろうと思い起こせないくらいに久しぶりに、購入したことを、読んでしまったことを後悔した。

例によって批判的なスタンスは避けるので、内容については深く触れないけど、こういう視点、こういう認識、こういう思考があり得るんだという衝撃。同じものを見てるつもりでも、同じ情報を受容するにしても、こうまで違うことが可能なんだという事実に打ちのめされてしまう。

敢えて書くけど、決してそれが間違ってるとは言わないし、私の方が正しいとか言い放てるはずもない。けれども、決定的に対峙するしかない、決して妥協し合えない立場なり、それこそ「居場所」があるとして、どうしてもどちらかを選ばなければならないとしたら、私はより豊かで多様な方、より穏健で寛容な方を、迷うことなく選びたいと思う。

さらに言うなら、これは完全に勇み足ではあるけど、そんな「選択」すらも不可能にしてしまってる存在様式なり状況なりがあるのだとすれば、そこに閉じ込められることの恐怖にこそ、私などは立ち向かいたいものだなとか思う。


NHK "SONGS 第430回 SEKAI NO OWARI"