今日、7月15日は日本共産党創立100年の記念日。
1922年(大正11年)7月15日、数名の参加者が都内の民家に集まり結成。
結成した時から、「天皇制の廃止」「普通選挙権の実現」を掲げたことで
非合法の活動を余儀なくされる。
大正11年は私の亡き母親が生まれて1歳の時。
それから1945年の日本の敗北までの23年間は、「戦争反対」を主張する日本共産党を
「非国民」「アカ」「国賊」と呼び、徹底的に弾圧。特高警察の残虐な拷問によって
多くの党員が虐殺された。
戦後、公然と国民の前に姿を現した日本共産党は、様々な闘いを経て今日に至る。
こうした日本共産党の歴史は、近現代史にしっかりと刻印されるべきもの。
日本共産党の「反戦平和、自由と民主主義」を揺るがずつらぬく姿勢に
多くの知識人や良心的な国民は自身の立ち位置を図る意味で、日本共産党を「北極星」と位置付けた。
残念な結果に終わった参議院選挙だが、党の100年の激動の歴史から見れば、一過性のもの。
がっかりしている暇はないと、今日も駅頭に立つ。
今朝の「しんぶん赤旗」の記事。
1922年(大正11年)7月15日、数名の参加者が都内の民家に集まり結成。
結成した時から、「天皇制の廃止」「普通選挙権の実現」を掲げたことで
非合法の活動を余儀なくされる。
大正11年は私の亡き母親が生まれて1歳の時。
それから1945年の日本の敗北までの23年間は、「戦争反対」を主張する日本共産党を
「非国民」「アカ」「国賊」と呼び、徹底的に弾圧。特高警察の残虐な拷問によって
多くの党員が虐殺された。
戦後、公然と国民の前に姿を現した日本共産党は、様々な闘いを経て今日に至る。
こうした日本共産党の歴史は、近現代史にしっかりと刻印されるべきもの。
日本共産党の「反戦平和、自由と民主主義」を揺るがずつらぬく姿勢に
多くの知識人や良心的な国民は自身の立ち位置を図る意味で、日本共産党を「北極星」と位置付けた。
残念な結果に終わった参議院選挙だが、党の100年の激動の歴史から見れば、一過性のもの。
がっかりしている暇はないと、今日も駅頭に立つ。
今朝の「しんぶん赤旗」の記事。