こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

できることは みんなで 
 できないことは ひとりでも 声を上げて
  誰もが穏やかに暮らせる社会を

「きょうされん」調査 障害者の78%が貧困状態に

2024年07月31日 | スケッチ

 今朝の東京新聞に「きょうされん」(障がい者の共同作業所でつくる全国組織)の調査結果が報道されていた。全国1000人以上を調査。その結果、貧困状態にある人が78.6%に及ぶという。

 全世帯の平均所得の半分以下を相対的貧困と言うが、年収にすると127万円以下。つまり月10万円の収入。これでどのように暮らしていけというのか。障がい者では約8割近い人々がこの暮らしを余儀なくされている今の社会。

 日本の国力、国民総生産、経済力を考えれば、すべての国民が安心して暮らせることは十分可能。問題は富が一部に偏っていること。みんなに富が行き渡るように社会制度をつくればいいのだ。 

 政治の責任が問われることに。

毎週金曜日の早朝、八潮駅での定例宣伝行動。今度の金曜日で380回になる。


パリ五輪女子サッカー 日本代表ブラジルに逆転勝利  気温43度の衝撃

2024年07月30日 | 日記

 パリ五輪が始まった。サッカー男女の予選リーグの試合は深夜から未明にかけての中継。毎回、欠かさず観戦。先日の女子のブラジル戦は、0対1で後半終了間際までブラジルに押し込まれていて、もう勝てないとあきらめていた。

 ところが、後半アディショナルタイムに一気に2点を追加し、劇的な勝利。「すごい」の一言。サッカーは何が起こるかわからない、とはよく言ったもの。これで予選で1勝1敗の勝ち点3。次戦のナイジェリア戦に引き分け以上で決勝トーナメントに。

 今度は明日の早朝、男子サッカーの弟3戦のイスラエル戦。頑張って早起きし、観戦することに。

 連日の猛暑。40度越えの気温。地球沸騰の時代。日々の暮らしにも。我が家の玄関の郵便受けの上に温度計を置いて計ったら43度!を記録。もちろん風通しがよく日陰でこの気温。


今日の一首「理不尽に 命絶たれし 19人 酷暑の中に 山百合の咲く」 

2024年07月28日 | 日記

 「津久井やまゆり園」事件から8年。「障がい者は生きている価値がない」との犯人の思いは、残念ながらこの国の社会の底流にまだ残っている考えであることは否定できない。

 公には「人権、平等」を掲げ、「どんな人でも生きている権利がある」ことはだれもが認めるところ。しかし、それを保障する社会的基盤の整備が伴っていないのでは。

 それにしても、そうした思いを仮に持つことがあっても、それを実行に移すという行為に走る犯人の心の闇は深い。

 かつて私の次女はダウン症で生まれ、重い心臓疾患を持っていた。頻繁にチアノーゼを起こし、病院通いが欠かせない日々。緊急に飛び込んだ小児科の医師の放った言葉が忘れられない。「こんな子は生まれてくるべきではなかった」

 幼い重篤の我が子を抱え、必死の思いで飛び込んだ妻に放たれた病院の医師の言葉に愕然とした記憶。忘れることはできない。次女は4年の月日を生き、家族中に笑いと思い出を残して逝った。

今日の一首「理不尽に命絶たれし19人 酷暑の中に 山百合の咲く」

     「言葉なくとも笑顔あり 吾子の命 輝けりを見る4年の月日」

     「細き腕 細き足をも いっぱいに 吾子動かして取る 哺乳瓶」

夏空が広がる。

 


パリ五輪開幕へ

2024年07月27日 | 日記

 パリでオリンピックが開幕。100年振りとのこと。日本との時差は7時間。中継はパリでの夕方の競技開始は、日本では未明の時間帯に。

 サッカー予選は見逃せないと、男女の試合を見ることになったが、午前0時、午前2時開始。寝不足で過ごすことに。

 セーヌ川を使っての開会式選手入場、コンコルド広場に仮設スタンドを作っての競技など工夫が面白い。

 ウクライナ侵攻中のロシアは参加禁止、一方でガザ侵攻中のイスラエルは参加を認めるこの基準は?

 商業主義に陥ったオリンピックを今一度、選手ファーストに立ち返る改革を。それでも生中継で観る選手たちの全身全霊を込めた演技に感動。サッカー、柔道、水泳、陸上は私の楽しみ。

 

 


津久井やまゆり園事件から8年

2024年07月26日 | 日記

 障がい者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件から8年。犯人により、入所者19人が殺害され多くのけが人も。犯人は「障がい者は生きている価値がない」と犯行に。

 なぜ、こんなことに至ったのか。犯人の思想形成に至る道はどんなだったか。その考えは間違っていると言い合える関係者がいなかったのか。疑問は尽きない。

 事件の裁判に至る過程で、また慰霊碑を現地に建立する過程で、犠牲者の名前を明らかにすることを望まないケースが出てきたことも、私たちのこの社会の底流に横たわる障がい者差別の根深さを垣間見る思いが。

 この国では、重い障害を持つ家族を抱えて生きていく大変さは想像をはるかに超える。その大変さ、困難さは、それぞれの家族によって異なるが、「みんな違ってみんないい」などときれいごとでは済まされない。

 家族が抱える負担を社会がしっかりとサポートする、そんな社会の実現を。道のりは遠い。