今日は3月10日。東京大空襲の日。
76年前の3月10日。一夜にして10万人余の人々が空襲の犠牲に。
当時の米空軍戦略爆撃機B29、300機が超低空で東京下町に侵入。
日本の木造家屋を焼き払うために開発された焼夷弾を雨あられのごとく投下。
大規模火災が巻き起こした火焔地獄のなかで、人々は虫けらのように殺されていった。
犠牲者のほとんどは銃後に残された女性、子ども、老人たち。非戦闘員。
広島、長崎の原爆被害をも凌駕する3月10日の東京大空襲。
私の住んでいる近所の古老たちの話を聞く機会があった。
「西の空が真っ赤に燃えていた」「翌日、顔中すすだらけの被災者が次々とやってきた」
これだけの惨劇の歴史をとどめる記念館が東京にはない。
かつて建設計画があったが、石原都政の下で凍結されたまま。
早乙女勝元さんたちによる民間の記念館が必死に資料を残し、語りつないでいる。
ひどい話。
あの日も西の空はこんなに赤く燃えていたのだろうか。
76年前の3月10日。一夜にして10万人余の人々が空襲の犠牲に。
当時の米空軍戦略爆撃機B29、300機が超低空で東京下町に侵入。
日本の木造家屋を焼き払うために開発された焼夷弾を雨あられのごとく投下。
大規模火災が巻き起こした火焔地獄のなかで、人々は虫けらのように殺されていった。
犠牲者のほとんどは銃後に残された女性、子ども、老人たち。非戦闘員。
広島、長崎の原爆被害をも凌駕する3月10日の東京大空襲。
私の住んでいる近所の古老たちの話を聞く機会があった。
「西の空が真っ赤に燃えていた」「翌日、顔中すすだらけの被災者が次々とやってきた」
これだけの惨劇の歴史をとどめる記念館が東京にはない。
かつて建設計画があったが、石原都政の下で凍結されたまま。
早乙女勝元さんたちによる民間の記念館が必死に資料を残し、語りつないでいる。
ひどい話。
あの日も西の空はこんなに赤く燃えていたのだろうか。
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