こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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歌人 奈良達夫さんの訃報に驚く

2024年04月17日 | 日記

 今朝のしんぶん赤旗に奈良達夫さんの訃報記事が。驚く。

 先日14日に三郷で開かれた啄木祭で「教師としての啄木」のテーマで講演を聞いたばかり。その時は元気に1時間余り啄木について話していたのだが。

 改めて訃報記事を見ると、講演会の翌日15日に亡くなったとのこと。無理をしてしまったのか。1932年茨城県生まれの91歳とのこと。歌人として活躍。日本共産党茨城県委員会副委員長でもあった。

 私は今回の啄木祭で本人の話を初めて聞いた程度で、直接的なお付き合いはないが、心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼歌拙首

「啄木の話を熱く 語りおり 91歳倒れる前の日も」

「人々の悩みに寄り添い 闘いし 歌人は逝きし啄木忌の後」                                                                                    

水元公園内の野鳥観察場所から。カワウの営巣地でもある。

「春満開 カワウ一羽 何思う」「微動だに 動かず故人 偲ぶよう」 

                                

 

 


何でも相談会&議会報告会 八潮駅前

2024年04月17日 | スケッチ

 何でも相談会&議会報告会を計画。毎議会ごとに終了後、駅前アネックスで報告会を開催。どなたでも参加できます。

 参加者から意見や要望をお話しいただき、日本共産党3名の議員と一緒に、解決の方策を考えます。

 4月20日(土)午前10時~11時45分。八潮駅前アネックス多目的ホールCにて。市役所駅前出張所の隣。つくばエキスプレス八潮駅北口、すぐ。


足尾鉱毒事件 田中正造と農民の闘い

2024年04月16日 | スケッチ

 足尾鉱毒事件 田中正造の足跡を訪ねる2日間の旅に参加。

 自分の旅の記録にと、その時々の史跡などで説明を聞きながらスケッチ。いつも山歩きには必ず一枚は山頂などで書いてくることにしている。

 しかし、ツアーは時間で流れていくので、一人旅のように自由に時間をとってのスケッチはできない。大慌てのでスケッチとなる。色付けもその場で仕上げたいのだが、なかなか。

 

渡良瀬遊水地。足尾銅山から流された鉱毒を貯水するために作られた。ここには谷中村があったが、立ち退きを求められ廃村となった。田中正造を現代に生かす会の飯田進さんが説明役。元高校教師とのこと。

煙害で廃村となった旧松木村跡。説明してくれたのは元足尾鉱山で働いていた斎藤さん。95歳!


足尾鉱毒事件 農民とともに闘った田中正造の足跡を訪ねる旅

2024年04月15日 | 日記

 田中正造の足跡を訪ねる旅に参加。足尾鉱毒事件で被害者農民とともに闘った田中正造。今も続くふるさと足尾を守る闘い。現地の人たちの案内と説明。東京から大型バスでの旅。

 今回の2日間のツアーには韓国から東学農民党の闘いを研究するメンバーも10名近く参加。足尾には戦時中、強制連行され過酷な扱いを受けた朝鮮人の犠牲者の慰霊碑なども。

 旧谷中村のあった渡良瀬遊水地から始まり、足尾の銅精製時に発生する亜硫酸ガスによる煙害で廃村となった旧松木村跡地など、誰も行かないような山奥を回って、当時の人々の闘いと田中正造の足跡、戦後の朝鮮人強制労働の実態の掘り起こしなど。知らないことばかり。

 山桜、里の桜、ヤシオツツジの花と新緑に包まれた足尾の山々に迎えられ、学ぶことの多かった旅。

 

 


三郷啄木祭 「教師としての啄木」奈良達夫氏の講演

2024年04月13日 | 短歌 俳句 川柳

 今日、隣の三郷市で「第5回三郷 啄木祭」が開催された。案内を受け初めて参加。松伏町議会選挙が無投票になって、今日の時間が取れた。

 会場には70~80名の参加者。その多さにびっくり。講談師甲斐淳二さんの「房総 花物語」 ミニ講演 大津留公彦さんの「漱石の「こころ」のKは啄木か?」と題しての話。なかなか面白い。

 「教師としての啄木」と題しての奈良達夫さんの講演は 上田庄三郎氏の「青年教師としての啄木」の文献を紹介しながらの話。昭和29年に書かれたもの。

 啄木の教師としての経験は渋民小学校で代用教員1年、函館の弥生小学校で3ケ月、という短いもの。しかし、当時の官製教育、軍国教育に真っ向から抗して、子どもこそ主人公の教育を実践。校長、県視学官(当時の教育委員会)をものともせず、自らの実践を貫く。

 子どもの実生活を直視し、子ども主体の教育を掲げて戦前の教育運動に足跡を残した「生活綴り方教育」の祖ともいうべきと奈良氏の弁。

 私は啄木の出身である渋民村のある岩手県、盛岡の地にある岩手大学で4年間過ごし、生活綴り方研究会にほんの少し身を置いたことがある。「日本一の代用教員」と言う啄木の言葉にひかれ「日本一の教員」目指して38年間、都内の障害児学校で子どもたちと過ごした。

 今日の講演での話は、私の過ごしてきた過去の日々がいくつもつながっていたことに新鮮な驚き。啄木と盛岡、啄木と生活綴り方、啄木と教師、「青年教師としての啄木」を書いた上田庄三郎氏は日本共産党元議長の不破哲三さんのお父さん。上田氏は確か、土佐高知の教員で、30代で校長になり、子どもの自主性を生かした教育を実践した人と聞く。

 久しぶりに文化の香?に浸ることができた時間。帰りがけ八潮市内に戻り、2時間ほど流し宣伝しながら何人かの人と対話して帰宅。

 改めて啄木の文献など読みたくなった。

今日の日に拙首。

「今問わん 時代閉塞の現状 4月13日は啄木忌」

「ひたひたと 迫りくる音 戦争はいつの時代も ある日突然」

「日本一の 代用教員たらんと欲す 啄木の心に我もまた」