「津久井やまゆり園」事件から8年。「障がい者は生きている価値がない」との犯人の思いは、残念ながらこの国の社会の底流にまだ残っている考えであることは否定できない。
公には「人権、平等」を掲げ、「どんな人でも生きている権利がある」ことはだれもが認めるところ。しかし、それを保障する社会的基盤の整備が伴っていないのでは。
それにしても、そうした思いを仮に持つことがあっても、それを実行に移すという行為に走る犯人の心の闇は深い。
かつて私の次女はダウン症で生まれ、重い心臓疾患を持っていた。頻繁にチアノーゼを起こし、病院通いが欠かせない日々。緊急に飛び込んだ小児科の医師の放った言葉が忘れられない。「こんな子は生まれてくるべきではなかった」
幼い重篤の我が子を抱え、必死の思いで飛び込んだ妻に放たれた病院の医師の言葉に愕然とした記憶。忘れることはできない。次女は4年の月日を生き、家族中に笑いと思い出を残して逝った。
今日の一首「理不尽に命絶たれし19人 酷暑の中に 山百合の咲く」
「言葉なくとも笑顔あり 吾子の命 輝けりを見る4年の月日」
「細き腕 細き足をも いっぱいに 吾子動かして取る 哺乳瓶」
夏空が広がる。