goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶‍➡️⇆向島清水農地,👫🚙〜マツモトSP,H六原 241227

2024-12-27 22:10:00 | 🚶 歩く
🚶‍➡️…右岸堤防道…隠元橋…左岸堤防道47km碑+…向島清水町農地🔄↩️…左岸堤防道47.2km標…隠元橋…右岸河川道…>
🚶‍➡️11961歩2kg

🌤️隠元橋10℃強冷風で寒さキツく

👫🚙〜マツモトSp🛒しまむら🛒〜H六原🛒〜>

年末年始用にあれこれ🛒

😱起床し📺つけたら音声無し,どうも録画機で無く📺本体が…⁇
 チョイ片付け(これが大変)して🔌外し再度🔌を付けると、直る😅。
 年末年始ややこしい時期に…













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仏教はなぜここまで日本で受け入れられたのか…私たちの根源に埋め込まれた「空」というメッセージ 2024/12

2024-12-27 01:59:39 | なるほど  ふぅ〜ん

仏教はなぜここまで日本で受け入れられたのか…私たちの根源に埋め込まれた「空」というメッセージ
現代ビジネス より 241227  藤田 正勝


【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」

 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。
 そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。

⚫︎「空」とは何か
「空」という概念をめぐって、西谷啓治が「空と即」(『講座仏教思想』第五巻、一九八二年)という論文のなかで興味深いことを記している。
 西谷によれば、「空」の概念はインドで──たとえば先ほど見た「色即是空」の場合のように──すべての事物がそれ自体として存在しているのではないということを言い表す理論上の概念として成立したが、それが日本に伝えられたとき、純粋に理論的な概念としてではなく、むしろ感情や情緒と結びつく仕方で受け入れられた。
 その背景には、そもそも日本では「死」というものが、「はかない」とか「むなしい」といった感情と深く結びついたものとしてとらえられていたことがあったと考えられる。

 もちろん人間の有限性、あるいはすべてのものが移ろいゆくということは、日本でも、インドでも、あるいはヨーロッパでも同じであって、日本においてだけとくに人間の有限性ということが言われるわけではない。
無常感、そしてそれを基礎とした無常観という世界観は、どこにも共通して見られる。
 たとえば、よく引用されることばであるが、『旧約聖書』の「伝道の書」には、「空の空、すべては空なり」ということばがある。
しかし西谷は──これは別の論文「芭蕉について」においてであるが──東洋と西洋とでは、無常というものが感じられる地盤は同じではないと言う。西洋においては、すべてが移ろうと言われる場合にも、その根底に、何らかの意味で移ろわぬもの、永遠なものが考えられているというのである。
 たとえばイデアというような考え方もそうであるし、キリスト教の神もそうである。西洋の無常というのは、そういう永遠なものに支えられた、あるいはそれに基礎づけられた無常である。
 それに対して東洋の場合には、そういう移ろいゆくものの背後に永遠なるものが見られず、そのために、その無常感、あるいは心の「むなしさ」といったものがどこまでも深くなっていくところがあると西谷は述べている。

 私たちはたとえば自然の諸事物を見たり、聞いたりする場合でも、それを単なる知の対象としてではなく、むしろ情意の対象として、つまり気分的なものと結びついたものとして受けとっている。
晴れ渡った青空を見れば、さわやかさを感じ、心も晴れ晴れとするし、無邪気にほほえむ赤ちゃんの顔を見れば、見ているこちらの心もおのずから和んでくる。知るということと、気分、感情、情緒というのは深く結びついているのである。

⚫︎西洋と東洋の違い
 一般的にそのように言えるが、仏教の「空」という概念が日本に受け入れられたときにも、──蓮如の『御文章』の「はかない」とか、「あわれ」という表現に端的に見られるように──単なる理論的な概念としてではなく、情緒と深く結びつくような仕方で受けとられた。そのように情意のレベルで受けとられた「空」を西谷は「情意における空」ということばで言い表している。

 もちろん、「空」という概念は中国においてもすでに情意的なものと結びついて受けとられたということも言える。空、つまりシューニヤ(śūnya)というインドで成立した概念が「空」という中国語に移されたとき、純粋に理論の上でというよりも、「空」ないし「虚空」のもともとの意味である「目に見えるそら」と結びつく形で受容されたと西谷は指摘している。
目に見えない永遠無限なものであるシューニヤが、人間にとって目で見ることのできる唯一の永遠なるものである「そら」と結びつけて受容されたのである。概念の受容の歴史という観点から見たときたいへん面白い点である。
異なった文化のなかの新しい概念に接したとき、それをどのように受容するかというのは、つねに大きな困難を伴う作業であるが、中国の人たちは、目に見えない無限である「空」を理解するために、目に見える無限を手がかりとしたのである。

「空」ということばは中国でも、いっさいは空であると観取することから生じる特有の「気分」をも言い表すことばとして使われた。
しかし日本ではより強く「はかなさ」や「むなしさ」、そういった気分と結びついたものとして「空」の概念が受け入れられていった。
 西谷はそうした例の一つとして、次の西行の歌を挙げている。「風に靡くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひかな」という歌である。ここでは自分の思いのはかなさ、あるいは自分の存在の虚しさが、空に消えていく煙のはかなさと、それを消していく空の虚ろさに重ねあわされている。その背後には、もちろん仏教の「空」の思想がある。それがここでは空に消えていく煙のはかなさと、そして自らの存在の不確かさと重ねあわされている。

そのように「空」が受けとめられたということは、本来なかったものがそこに付け加えられたということでもあるが、しかしそれによって教理がゆがめられたとは単純には言えないであろう。
 仏教の理論がこのように気分的なもの、情緒的なものと深く結びつく仕方で受けとめられたために、日本では仏教が人々のあいだに受け入れられ、深く浸透していったということも言える。そうでなかったら、仏教は日本でこれほど深く根を下ろすことはできなかったかもしれない。

 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
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「日本は壮大な実験場になる」…人工知能研究の第一人者に聞く「AIにはできない」こと 2024/12

2024-12-27 01:55:00 | なるほど  ふぅ〜ん

「日本は壮大な実験場になる」…人工知能研究の第一人者に聞く「AIにはできない」こと
FRIDAYデジタル  より 241227 


「裁判官は人ではなく、AIでもいいかもしれません」
社内にどんどんAIが導入され、事務作業が効率化されている。

 今年、ノーベル化学賞を受賞したデミス・ハサビス氏はAIを活用して、たんぱく質の構造を予測したり、人工たんぱく質を設計する技術を開発した。
 彼は、これまで1年かかっていた創薬のために必要なデータ処理を、数分で終わらせたという。
「AIを使うことで、社会は飛躍的に進歩するでしょう。今後、行政機関や会社でどんどん導入されていくと思います」
 こう語るのは、慶應義塾大学理工学部の栗原聡教授だ。栗原教授は、『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』の著者であり、現在、人工知能学会・会長も務めている。
「なぜ行政機関や会社が導入するかというと、今まで人間がやっていた仕事をAIに置き換えることで人件費が浮くからです」

一時期は、AIの登場でブルーカラーの仕事が奪われるのではないかといわれていた。
しかし、今や仕事を奪われるのはホワイトカラーだ。

「ChatGPTには、古今東西のあらゆる書物、文献、データが詰まっている。過去の判例をもとに判決を下すだけだったら、裁判官は人ではなく、AIでもいいかもしれません」

 栗原教授によれば、AIの発達によって、格差も生まれるという。
AIを使えば面倒な作業も短時間で終わるし、ChatGPTを使えば、なんでも答えてくれる。この便利さにあぐらをかいて、自分では考えなくなる人が増えていくだろうというのだ。

「ChatGPTに問いかけるということは、数千万人、数億人に問いかけるのと同じです。
ブレーンストーミングをしても、その場にいるのは、たかだか5~6人。
それがChatGPTに聞けば、数億人に聞いた答えが数秒で返ってくる」と栗原聡教授

⚫︎「発明」「発見」ができるのは人間だけ……“人間力”とは?
 落ちこぼれないためには、どんな技術を身につけたらいいのだろうか。
「少し前まではプログラムが作れるなど、IT系の技術が必要だったかもしれません。基本的なデジタル操作能力は最低限必要とされますが、さらにAIにどのようなことをさせるか、どういうものを作りたいかということが大事です。

 今のAIは、聞いたことに答えてくれますが、発見、発明はまだ人間にしかできません」
これからの人間に必要なのは、発明や発見をするための豊かな想像力や発想力。
これは、どんな仕事につこうとも関係ないという。

発明、発見の大きな手助けとなるのが、ChatGPT。
「ChatGPTに問いかけるということは、数千万人、数億人に問いかけるのと同じです。当然、自分以上に知識を持っている人もいるし、自分と感性が違う人がいる。自分が気づかなかった答えが返ってくるのは当たり前です」

AIがなかったときは、人に相談していた。その相談をしているのと変わりはないという。

「ブレーンストーミングをしても、その場にいるのは、たかだか5~6人。それがChatGPTに聞けば、数億人に聞いた答えが数秒で返ってくる。どれだけ自分の手助けになるかといったら、これまでと月とスッポンどころじゃない。それがAIなんです」

AIを活用することによって、今まで以上にイノベーションは起こりやすくなるだろうと、栗原教授は言う。

ChatGPTはブレーンストーミングの「メンバーの一人」として考える
「でも実はChatGPTを使いこなすのは、とても難しいのです」

 ChatGPTは聞いたことには答えてくれるが、聞いたことにしか答えてくれない。答えをもらうためには質問をしなくてはならないが、質問の仕方が悪いと想定外の答えは出てこないのだ。

「想定外の答えを得ようとすると、質問の仕方を相当工夫しなければなりません。とんでもない知識が入っているけれど、自分が思ってもいない答えを引き出すのが難しい。たぶん僕も、本来の能力のほんの少ししか使いこなせていないと思います」

多様な質問をするためには、いろいろな見方ができる能力、人が言っていることを理解する能力、発想力などの“人間力”が必要になってくるとか。

「もう一つ大事なことは、ChatGPTは1対1で使わないことです。1対1で使うと、自分の能力、発想力以上のものは出てこないから。ブレーンストーミングのメンバーの一人として使うといいと思います」
「大事なことは、ChatGPTは1対1で使わないことです。1対1で使うと、自分の能力、発想力以上のものは出てこないから」と栗原教授は言う

⚫︎脳を鍛えてこそAIが使いこなせる
 “人間力”を養うためには、子どものころに体を使って遊び、さまざまなものに触れて、脳を鍛えることだとか。

 オーストラリアでは16歳未満の子どもがソーシャルメディアにアクセスできないよう規制する仕組みが導入されたが、
「まことに正しい。インターネットはビジネスや仕事で使うと効果がありますが、ほかではあえて使う必要はありません。脳を鍛えなくてはいけないときにインターネットやAIにべったり頼ってしまっては意味がない。脳を鍛えてこそAIが使いこなせるようになるのですから」

脳を鍛える時期が過ぎてしまった私たちは、どうしたらいいのだろう。
「たとえば本を読むことです。それもビジネス書ではない、文芸書。ものを理解する、考える、発想するためには小説や哲学書などを読んだほうがいい。感情をゆさぶられるということは、脳が刺激されたということ。

 読むだけでなく、頭に入って、自分の経験と照らし合わせて感想を言えるかどうか。AIは自分のレベルでしか使いこなせないので、自分を高めなくてはいけない」

⚫︎日本は壮大な実験場になる
 デジタル後進国といわれている日本。これから巻き返すことはあるのか。
「現在のAIは道具です。自分で判断して動くことはできない。けれど、これからは自分で判断して動く自律型AIが必ず登場する。
 それを受け入れる土壌があるのが日本だと思います」
鉄腕アトムやドラえもんのようなAIロボットが登場するのは、それほど遠い未来ではないという。ところが、欧州連合を中心に、このようなAIロボットを規制する動きが強まっている。
「キリスト教圏では神の下に人間、すべてのテクノロジーは人間を助ける道具であって、ロボットはあくまで道具。だから、能動的に動作するタイプのAIには抵抗感があるんです。

 対して日本では、昔から鉄腕アトムやドラえもんなどAIロボットを友達としてみている文化がある。ゆるキャラなど人間でないものとも共存している。このような文化は日本独特です」

AIロボットを受け入れる土壌が日本にはあると栗原教授は言う。
「日本は、自律型AIロボットを使いこなすための壮大な実験の場になるでしょう。そのとき必要なのは、AIを操作するデジタル能力ではなくて、ドラえもんと何をするかということ。脳を鍛えておかなければいけません」

自律型AIが登場したら、人間は何をすればいいのか。
「面倒くさい仕事は全部AIにやってもらえるのだから、よりハッピーに、より快適になります。人間は自分がやりたいことをやればいいだけ。

 ローマ時代、ローマ人はやりたくないことは全部奴隷にやってもらった。
その結果、さまざまな哲学や芸術が花開きました。将来、そうなる可能性もあるのです」



📗『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』栗原 聡著(KADOKAWA)。人工知能の専門家が、現在のAIの“限界”と、その先にある「次世代AIの可能性」を論じた一冊
▶︎栗原聡 慶応義塾大学理工学部教授。人工知能学会会長。慶応義塾大学共生知能創発社会研究センター・センター長。慶応義塾大学AIC生成ラボ・ラボ長。人と共生できるAIの実現を目指し、自律型認知アーキテクチャの構築に取り組む。またネットワーク科学では、複雑な社会現象や生命現象をネットワークの観点から解析し、新たな知見や応用を探求している。

取材・文:中川いづみ
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【京都】巳年に参拝したい蛇にゆかりのある神社とお寺3選【2025】 2024/12

2024-12-27 01:20:00 | 🚇 旅選定の参考

【京都】巳年に参拝したい蛇にゆかりのある神社とお寺3選【2025】
 婦人画報 より 24127


 2025年は巳年。蛇には、財運、病気平癒、健康長寿、不老不死、厄除けなど、さまざまご利益があると伝えられています。2025年が素晴らしい一年になるように、蛇にゆかりある寺社にお参りをしてはいかがでしょうか。


⚫︎1.日體寺(にったいじ)
 清水寺へ向かう坂の途中にある日體寺。江戸中期の享保6年(1721)に開かれた日蓮宗の寺院です。

こちらに祀られているのは、北辰妙見大菩薩(ほくしんみょうけんだいぼさつ)。京都御所の紫宸殿を中心に十二支それぞれの方角の寺院に妙見大菩薩が祀られていて、「洛陽十二支妙見」と呼ばれています。厄除けと開運の守護神として信仰され、江戸時代中期から親しまれてきました。日體寺は御所から見て巳の方角(南南東)に位置する「巳の寺」とされ、財運のご利益に加え、災いから家を護る鎮宅妙見と言われています。

 北辰妙見大菩薩は、北極星を神格化した仏様で、諸星の王として宇宙万物の運気を司る菩薩様。日體寺の北辰妙見大菩薩は穏やかな表情で座り、右手には北斗七星を意味する宝剣を持ち、左手には白蛇が巻き付いています。こうして人々に降りかかる厄を宝剣で切り祓い、開運へと導くと伝えられてきました。

 また、妙見には「妙なるを見る」、つまり先を見通し人々の行く末を見定め、良い方向へ導くという意味があります。新しい一年に思いを巡らせてお参りすれば、きっと良い方向へ導いていただけるのではないでしょうか。

 本堂には「なで巳(み)様」という財運の御像も。蛇がとぐろを巻く姿が、ぐるぐると縁がめぐっていく様子を表しているそう。ここで言う財運とは、金運だけではなく、人や物とのすべての縁を指しています。なで巳様をそっと撫でて、良いご縁との出会いを祈願しましょう。
 このほか、御札所では陶器製や張子の「巳おみくじ」の授与も。2025年の運勢を可愛らしい蛇のおみくじで占ってみませんか。

▶︎DATA参拝時間/ 9時~17時※本堂内参拝希望の方は受付にお問合せを。 tel. 075-561-1248Google mapで確認京都市東山区清水4-151日體寺


⚫︎2.大豊神社
 京都市の東部、東山三十六峰の十五峰目にあたる椿ヶ峰を御神体とする大豊神社(おおとよじんじゃ)。宇多天皇の御悩(ごのう ※病気のこと)平癒祈願のため、藤原淑子(しゅくし)の勅命を受けて887年に創建されました。御祭神は医薬祖神である少彦名命(すくなびこなのみこと)です。さらに、宇多天皇と親交の深かったとされる菅原道真が合祀されたため、学業成就のご利益でも知られています。

 大豊神社には4つの境内末社に、狛猿、狛鳶(とび)、狛きつね、狛ねずみと、さまざまな石像があることでも有名ですが、本殿の両脇には、2体の「狛巳(へび)」があります。
 蛇は体に傷を負っても脱皮して傷がきれいに消えるため、不老不死の象徴として治病や健康長寿のご利益があるとされ、また蛇は水辺を好むことから、田畑が潤って豊作になることと結びついて金運のご利益があるとも言われています。

 授与所にはかわいらしいへび型の陶器に入った「狛へび」おみくじも。こちらは、金運にちなんだ鮮やかなゴールドと白色の2種類から選べます。

▶︎DATA参拝時間/ 境内自由参拝 ※社務所受付時間は9 時~17時tel. 075-771-1351Google mapで確認 京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町1 大豊神社


⚫︎3.玄武神社
 京都の北方、紫野に位置する玄武神社。玄武とは、蛇が巻きついた亀の姿をした北の守護神で、青竜、白虎、朱雀とともに都を守る四神のひとつです。玄武神社には方除けや厄除け、疫病除けのご利益があるとされ、その名の通り、本殿の前に玄武の石像が置かれています。

 玄武神社の起源は平安時代にさかのぼります。創建したのは、御祭神である惟喬(これたか)親王の末裔で、この地に住んでいた星野市正紀茂光(ほしのいちのかみしげみつ)。惟喬親王は、第55代文徳天皇の第一皇子でしたが権力争いに敗れ、仏門に入って大原で隠棲生活を送りました。星野市正紀茂光は、そんな惟喬親王の御霊をなぐさめるためにこの神社をつくり、王城北面の鎮護を願って親王寵愛の剣を祀ったと伝えられています。

 玄武神社は、毎年4月の第2土曜日に行われる「玄武やすらい祭」でも有名です。平安時代中期に発生した疫病を鎮めるために勅命で行ったのが始まりとされ、1987年には国の「重要無形民俗文化財」にも登録されました。

 境内には本殿のほかに2つの末社があり、稲荷大明神は五穀豊穣や商売繁盛を、三輪明神は病気平癒、延命長寿の御利益があるとされています。平安時代から都を守る神社で、新しい年の平穏をお祈りしてはいかがでしょうか。

▶︎DATA参拝時間/ 境内自由参拝※社務所受付時間は8時30分~17時(不定休)※毎月1日、10日、15日は本殿の扉を開放。正面より玄武の石像をご覧いただけます。(開扉時間は各日9時~17時)tel. 075-451-4680Google mapで確認 京都市北区紫野雲林院町88玄武神社
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