goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶‍➡️…槙島農地…コメダ🥪… 1/19/‘25

2025-01-19 19:48:00 | 🚶 歩く
やっと暖冬日,快晴で微風で暄冬,陽光眩しく冬の散歩日和,コンサート予定止めて農地歩き,コート不用な温かさ,汗だく。やはり風次第。向島で無くコメダのサンドを食したく槙島農地へ。

🚶‍➡️…右岸堤防道…宇治川高架橋…槙島(郡…幡貫…大町…島前…五才田…外…)…巨椋神社🙏…槙島(久保…近鉄踏切…蓮池…北小倉小沿…西宇治体育館沿…近鉄踏切…奈良街道…槙島交差点…奈良街道…蛭子嶋旅社…槙島(島前👀…五才田)…コメダ珈琲🥪…槙島(大幡…幡貫…郡)…宇治川高架橋…Alp沿…右岸堤防道…>
🚶‍➡️12567歩3kg8F

☀️暄冬;コート不用な温かさ,微風
汗だく,ネックウオーマ不用,散歩日和

👀用水路にヌートリアがスイスイと!
🥪コメダは満員,ボリュームたっぷりサンド!(味噌カツ,海老カツ)夕食用 🎶70年代ヒット歌謡を聴きつつ食し後,読書








大吉山(仏徳山)何故か古墳を連想する景色



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平安時代に生み出された「日本文化の本質」と言える「3つのコンセプト」 2025/01

2025-01-19 01:51:38 | 📗 この本

中国人も衝撃…平安時代に生み出された「日本文化の本質」と言える「3つのコンセプト」
  現代ビジネス より 250119  松岡 正剛


【】中国人も衝撃…平安時代に生み出された日本文化の本質である3つのコンセプト
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか?
 昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。

 2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。
※本記事は松岡正剛📘『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。

⚫︎『和漢朗詠集』の「なぞらえ」
 貫之につづいて、藤原公任による『和漢朗詠集』が出現します。『古今集』のような勅撰和歌集ではなくて、私撰の詞花集です。プライベート・エディションです。

 平安時代の王朝文化で流行した漢詩と和歌のヒットソングを集めたベストアンソロジー・アルバムだと見ればわかりやすいと思いますが、公任は漢詩1詩に和歌3首、あるいは和歌2首に漢詩3詩などといろいろ対比させて、漢詩と和歌を両方、非対称に収録しました。

 これは「なぞらえ」(準え)という方法です。私は「なぞらえ」をみごとにはたしてみせた『和漢朗詠集』を、日本の歴代の詞花集の中でもとくに重要なポジションに位置づけています。

 公任はこれを娘の婚姻記念の引き出物としてつくり、紅・藍・黄・茶の薄目の唐紙に唐花文をあしらった雲母刷りにして、名筆家で鳴る藤原行成の草仮名の書で仕上げました。目も綾な粘葉本です。

 部立もすばらしい。上巻は春夏秋冬で、春21、夏12、秋24、冬9を配当し、下巻は「風・雲・松・猿・古京・眺望・祝……」というふうに組み立てた。これをしかも漢詩と和歌の両方のコンテキストでつなぐ。

 結局、漢詩が588詩、和歌が216首になったのですが、まさに「和」と「漢」が意識的に混ぜられているのです。部立はチャプター・エディティングのことです。王朝文化は「部立の文化」でもありました。

 こうしたスタイルはのちにまとめて「和魂漢才の妙」というふうに呼ばれます。「和魂」と「漢才」というふうに、あえて「魂」と「才」を振り分けたのも独特です。

⚫︎「しつらい」「もてなし」「ふるまい」
 このように日本人は、舶来の文字としての漢字に自分たち固有の読み方を適用し、そこからオリジナルの日本文字をつくりだしました。

 そうすると、その日本文字をまじえた和歌を書にするときの書き方が柔らかく変化していきます。「和様の書」が誕生したのです。そして、漢字をちゃんと書く楷書に対して、漢字をくずす和様の行書が工夫され、さらに草仮名をメインとした草書が書かれるようになったのです。

「真・行・草」の誕生です。これは王朝のカリグラフィックな表現革命でした。
 しかしそれだけではなく、その草書を美しい和紙(料紙)にさらさらと「分かち書き」や「散らし書き」にするというデザイン革命も、もたらした。小野道風、藤原佐理、藤原行成らがすばらしい和様書を書いた。これらは中国にも運ばれて展観されたのですが、中国の書人たちはその柔らかさに驚きました。

 住居や生活のための素材を木と紙に替え、室内のインテリアに和風のセンスをとりこむということも工夫されます。屏風や壁代や御簾や几帳などが「調度」として登場し、そこに王朝風の「しつらい」(室礼)の文化がつくりだされたのです。そして、この「しつらい」に応じて「もてなし」と「ふるまい」が整えられていきました。

 私は日本の生活文化の基本に、この「しつらい」「もてなし」「ふるまい」の三位一体があると確信しています。私はかつて平安建都1200年のフォーラムのディレクターを担当したことがあるのですが、このときはまさに「しつらい・もてなし・ふるまい」をコンセプトにしてみました。

 信仰上の「和漢の境」をまたぐということもおこった。中国からやってきた儒学と仏教を学びながらも、同時にかつてから日本にあった神奈備や神祇の感覚をそこに加えていったのです。このへんのことについては第4講の「神と仏の習合」で説明します。

 さらに連載記事<日本史上「最初で最大の文明的事件」…日本文化の起源とも言える「ある出来事」の「衝撃度」>では、日本文化の知られざる魅力に迫っていきます。ぜひご覧ください。
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