『翔んで埼玉』続編にはコメディ離れした感動がある 滋賀県で育ったライターが熱弁
RealSound より 231214
ただいま公開中の作品『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』を観て、泣いてしまった。「この作品、もしかして今年ナンバー1かも……」とさえ思った。決してふざけてはいない。
(参考:GACKT&杏、海外在住の2人が考える真の“郷土愛” 日本に「帰ってきた」と感じる瞬間は?)
長年に渡り虐げられてきた者たちのレジスタンス。筆者の大好きなテーマだ。だがそれだけで、大の大人がそうそう泣くものではない。この作品において、長年の迫害に耐え、遂に立ち上がる者たちが滋賀県民であったことが、筆者の琴線を刺激した。
筆者は生まれこそ大阪だが、5歳からは滋賀県で育った。琵琶湖と田んぼと平和堂ととび太しかないのどかな土地で、のびのびすくすくと育った。
状況が一変したのは、大阪の大学に入学してからである。
コンパなどでフレンドリーに喋っていたのに、「滋賀から通っている」と言った途端に露骨にガッカリした顔を浮かべる神戸や京都の女性たち。
本編中にも出てくる「滋賀作」「ゲジゲジ」「ゲジナン」「近畿の水がめ」などの蔑称は、大学に行ってから初めて知った。「琵琶湖の水止めたろか」という決まり文句で返すが、もちろん一県民にそんな権限はない。
「滋賀って言うても京都寄りの滋賀やし! ほぼ京都やし!」とか、そんな言い訳までするようになり(本当は岐阜寄りの滋賀)、卑屈に小さくなったままの4年間だった。卒業後、すぐに大阪に引っ越した。元々生まれ自体は大阪なので、その後の人生は「大阪生まれ大阪育ち」な顔をして生きてきた。
そんな「滋賀県民としての魂を売ったエセ大阪人」としての負い目を抱き続けてきた筆者の横っ面に、フルスイングのビンタをかましてきたのだ、この作品は。
大阪・神戸・京都など、関西の中でも都会指数の高い地域から迫害を受け続けている滋賀県。そんな滋賀県の自由を取り戻すために立ち上がる滋賀解放戦線の美しきリーダー・桔梗魁を演じるのは、杏である(男性役)。それを手助けする埼玉解放戦線のリーダー・麻実麗を演じるのは、前作に引き続きGACKTである。
このGACKTと杏があまりにも美しく、原作者・魔夜峰央の世界観およびBL観を、一気に現実のものとしている。もし『パタリロ!』がもう一度映像化されるなら、ぜひGACKTにはバンコラン、杏にはマライヒを演じてほしい(パタリロ役は加藤諒続投で)。
GACKTが滋賀県のために戦う。筆者がこの展開に涙したのには、理由がある。GACKTは生まれこそ沖縄だが、中高生の頃は滋賀県在住だったのだ(公式パンフ内で監督も言及している)。作中の麻実麗は、埼玉と滋賀のハイブリッドという設定である。演じるGACKTにも、滋賀県民の魂が熱く燃えているはずだ(という筆者の願望)。
筆者はGACKTの1学年下なので、彼と同じ時期に滋賀県の高校生だった。後に「GACKTと同じクラスだった」と自慢する先輩を、3人は知っている。3人とも違う高校なので、少なくとも2人は噓をついている。筆者が当時通っていた空手道場にもGACKTがいたとの証言があるが、これも噂の域を出ない。そもそも筆者自身記憶にない。GACKTは武道・格闘技に造詣が深いので、「昔GACKTがいた」という噂のある滋賀県の道場は、多いと思われる。
この作品を指して「今年ナンバー1」と述べたのには、もちろん理由がある。この作品、観てない方は単なる「悪ふざけの悪ノリ映画」だと思っているのではないか。その通り。単なる「悪ふざけの悪ノリ映画」だ。だが、大の大人が集まって、魂をこめてふざけ、命をかけて悪ノリしているのだ。
GACKTが、Xでこの作品についてつぶやいている。
「想像もつかないだろうが、翔んで埼玉のロケは本当に過酷で現場も常にピリピリだった。(略)監督がとにかく変な人で、笑わせる演技は絶対NG。ただただシリアスにコメディをするというなんとも奇天烈な撮影現場だ」
これは、質の高いコメディを作る現場として、100%正しい姿だと思う。演者がヘラヘラ半笑いで「こんな感じでゆる~く脱力してやってんのが面白いんでしょ? 多分」てなノリで、半分ぐらいの力で繰り広げるコメディには、1円の価値もない。
『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)や映画『テルマエ・ロマエ』でもわかる通り、漫画原作のコメディを撮らせたら武内英樹監督の右に出る者はいない。その無骨なまでにストイックな姿勢から作られるコメディは、笑いを通り越して感動すら呼ぶ。
そのストイックさは、もちろん演者にも伝わる。GACKTや杏が、漫画からそのまま飛び出したようなカッコ「良すぎる」キャラを大真面目に振り切って演じているからこそ、その異様な世界観を笑うことができる。1作目の京本政樹(麗の父・埼玉デューク役)や麿赤児(麗の育ての親・西園寺宗十郎役)も、ちょっとどうかと思うぐらいに常軌を逸したカッコ良さだった。
この作品にコメディ離れした感動を覚えるもうひとつの理由を、壇ノ浦百美役・二階堂ふみが公式パンフで語っている。
「この作品のディスりはあくまでも手法であって、伝えたいのは『差別や断絶はこんなにも滑稽で馬鹿馬鹿しいんだよ』ということで。それがこの作品の大義名分であり、多分監督のやりたいことや描きたいことだと思うんです」(『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』公式パンフレットより)
自分たちの優位性を示すために、身近な別の対象を見下す。これは、人間にとって最も愚かな行為のひとつだ。
今まで生きてきた中で、少しでもそんな“抑圧”を感じたことがあるすべての方は、この作品を観てほしい。そして、滋賀県も案外いいところであることを、知ってほしい。
ただ、桔梗魁の言うように本当に風が吹いただけですぐ止まるJR湖西線は、もうちょっとがんばってほしい。
(文=ハシマトシヒロ)
GACKTが滋賀県のために戦う。筆者がこの展開に涙したのには、理由がある。GACKTは生まれこそ沖縄だが、中高生の頃は滋賀県在住だったのだ(公式パンフ内で監督も言及している)。作中の麻実麗は、埼玉と滋賀のハイブリッドという設定である。演じるGACKTにも、滋賀県民の魂が熱く燃えているはずだ(という筆者の願望)。
筆者はGACKTの1学年下なので、彼と同じ時期に滋賀県の高校生だった。後に「GACKTと同じクラスだった」と自慢する先輩を、3人は知っている。3人とも違う高校なので、少なくとも2人は噓をついている。筆者が当時通っていた空手道場にもGACKTがいたとの証言があるが、これも噂の域を出ない。そもそも筆者自身記憶にない。GACKTは武道・格闘技に造詣が深いので、「昔GACKTがいた」という噂のある滋賀県の道場は、多いと思われる。
この作品を指して「今年ナンバー1」と述べたのには、もちろん理由がある。この作品、観てない方は単なる「悪ふざけの悪ノリ映画」だと思っているのではないか。その通り。単なる「悪ふざけの悪ノリ映画」だ。だが、大の大人が集まって、魂をこめてふざけ、命をかけて悪ノリしているのだ。
GACKTが、Xでこの作品についてつぶやいている。
「想像もつかないだろうが、翔んで埼玉のロケは本当に過酷で現場も常にピリピリだった。(略)監督がとにかく変な人で、笑わせる演技は絶対NG。ただただシリアスにコメディをするというなんとも奇天烈な撮影現場だ」
これは、質の高いコメディを作る現場として、100%正しい姿だと思う。演者がヘラヘラ半笑いで「こんな感じでゆる~く脱力してやってんのが面白いんでしょ? 多分」てなノリで、半分ぐらいの力で繰り広げるコメディには、1円の価値もない。
『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)や映画『テルマエ・ロマエ』でもわかる通り、漫画原作のコメディを撮らせたら武内英樹監督の右に出る者はいない。その無骨なまでにストイックな姿勢から作られるコメディは、笑いを通り越して感動すら呼ぶ。
そのストイックさは、もちろん演者にも伝わる。GACKTや杏が、漫画からそのまま飛び出したようなカッコ「良すぎる」キャラを大真面目に振り切って演じているからこそ、その異様な世界観を笑うことができる。1作目の京本政樹(麗の父・埼玉デューク役)や麿赤児(麗の育ての親・西園寺宗十郎役)も、ちょっとどうかと思うぐらいに常軌を逸したカッコ良さだった。
この作品にコメディ離れした感動を覚えるもうひとつの理由を、壇ノ浦百美役・二階堂ふみが公式パンフで語っている。
「この作品のディスりはあくまでも手法であって、伝えたいのは『差別や断絶はこんなにも滑稽で馬鹿馬鹿しいんだよ』ということで。それがこの作品の大義名分であり、多分監督のやりたいことや描きたいことだと思うんです」(『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』公式パンフレットより)
自分たちの優位性を示すために、身近な別の対象を見下す。これは、人間にとって最も愚かな行為のひとつだ。
今まで生きてきた中で、少しでもそんな“抑圧”を感じたことがあるすべての方は、この作品を観てほしい。そして、滋賀県も案外いいところであることを、知ってほしい。
ただ、桔梗魁の言うように本当に風が吹いただけですぐ止まるJR湖西線は、もうちょっとがんばってほしい。
(文=ハシマトシヒロ)
💋「笑わせる演技は絶対NG。ただただシリアスにコメディをするというなんとも奇天烈な撮影現場」 全く同感、近年のお笑い芸人は…本来の舞台以外で、笑わせる演技が辟易!
萩本欽一氏もそういう事を言ってた。